民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
旧約聖書:詩編62編9節(新共同訳)
そして(シズコの記憶によると、2006年山形南部教会の年間聖句)
今日は節分。豆まきだよ。
クリスチャンが豆まきしていいかわからんし、私は鬼って聞くと山形が生んだ、日本のアンデルセン・浜田広助さんの「泣いたあかおに」思い出しちゃって、なんかねー、豆まきして鬼出てけ~!っていうの、むつこく(=「可愛そうに」の山形弁)なっちゃうんだよー
で、フツーは豆まきって、家の家長がやるのが正式らしいけど、弟恥ずかしがってしないので、でも母はしたいので、私も「いっちょやるか!」と久しぶりに豆まきに参加。でかい私の声で
「鬼はーーーーー外っ!福はーーーーーーーーーー内!」
って叫んで豆まいた。私はもう一回撒いて
「私の心の中の鬼(悪い思いや、妬む思いなど)が外にふっとんでげー!そして福音(神様のあったかい愛)が私の心と我が家に入ってこーい!」と祈りたかったんだけど、母に言ったら「駄目、豆もったいないもん」だって・・・母よ・・・
まあ良いけどね・・・で、今日は節分!お寿司になった!
母が私と弟に「散らし寿司と恵方まきどっち食べたい?」って聞いたから
二人で「ご飯新米じゃないし、恵方まきじゃなくて散らし寿司で十分だよ~」と言って、皆で厚焼き玉子焼いたり、すし飯作ったりして(我が家はご飯つくりは基本的に全員参加or交代制なの)で、じゃじゃジャーん!こんなに美味しい散らし寿司を頂きました。美味しかったよーーーーーーーーーーーーーーっ!
「寿司にはあったかいお茶を」ということで、緑茶も入れた。
なぜか私のお茶碗は割れたままなので、リラックマカップに・・・
弟が一品足して、鶏肉とお豆腐の煮物も作ってくれて!我が家は超!豪華!
弟ありがとうー!神様ありがとーう!
我が家が幸せだなって思う瞬間のひとつに、毎回のご飯時に
「わー今日もごっつぉ(=ご馳走)だねえ~」
「我が家は毎日ごっつぉだ!」
「幸せだね~」
って言って一緒に食べられること。そりゃ、毎日ステーキや鯛や、そんな高価なものじゃないけど、家族の心づくしのご飯が食べられるってありがたいよね?どんなごっつぉ(=ご馳走)にも勝るって本当に思うもんなー。
今日の聖句は、朝の定期便「携帯ディボーション」からとりました。
昨日、すごくいろんなことがあって、自分のことだけど、興奮して緊張して、「おなかがでんぐり返っちゃって」(=この表現は、私がものすごく緊張して、おなかがおかしくなるとき使うの)、朝まで実は眠れなかったの。ずっとパソコンで文章書いていたら、明け方やっと落ち着いて、久しぶりに薬飲んで寝た。最近導眠剤なしでコテンと寝ちゃうの。出来たら無しで眠れたら良いんだけどね・・・祈ってください。
で、夕方目を覚まして読んで、心にすごく残ったんだよね。次の内容です。
いつでも、どんなときでも、神様に信頼することは
クリスチャン生活の基本です。
しかし、概して『基本」と呼ばれるものほど
ちゃんと実行することは難しいものです。
神様は特別難しいことを要求されている訳ではありません。
信仰生活はそんなに特殊なことではないのです。
聖書は、はっきりと言っています。
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。」(詩篇62:8)
この「どんなときにも」ということが、簡単そうで実は難しいのです。
全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。
どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!
このね、最後の五行が「うーん、そうなんだよな」って思わされた!
特にここね。
全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。
↑す、鋭~いコリャ私だよ。
ほんでもって、こうだよ。これはでもほんとだと思ったよ。
↓
どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!
ほんて(=本当)だな~と思った。特に昨日、礼拝に行けなくて(突然用事が入った)夕拝に行ったんだけど、好美先生のメッセージにじんとしたのよね。
新約聖書:ヘブライ人への手紙12章6節から8節までの有名な聖書箇所からメッセージを頂いたんだけど、こういう聖句
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もし誰もが受ける訓練を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは諸子(しょし)であって、実の子ではありません。
実はこの聖句って、私が13年前、初めて南部教会に来たときに、岡摂也先生から聖書を開いて教えてもらって、祈ってもらった聖句なんだ。覚えてる。
でもね、やっぱり私は特になんだけど、鍛錬とかつらいこと、逃げたいのよ。(情けないけど・・・)だから本音はここ読む度にこう思ってた。
「そう!父ちゃん、そのとおりだってわかってんの。だけどさー鍛錬とか辛いのいやなの。でもしなきゃいけないんだよねえ。困ったなー。」ってさ。
そうしたら好美先生は、こうおっしゃったの。
「あなたが神様に近づくとき、『ああしてから』『ここを直してから』とか考える必要はありません。弱さも、ずるさも、汚さも、そのままのあなたで神様の下に出てください。そして神様、よろしくお願いしますと祈ってください。神様はそのままのあなたの祈りを聞いてくださいます。」
私ね、これ聞いて慰められたよ。ああ、これなら出来る。夕拝に来るにもすごいいろんなことがあって、でも・・・いや、だからこそ、夕拝には絶対出たい!
と思ってきたんだ。だから久しぶりに床に膝まずいて祈りました。
一生懸命祈りました。久しぶりだったかもしれない。でも、うれしかったよ。
読んでくれて今日もありがとう。
あ、最初の画像は今日まで限定のシベール鬼パンです。
可愛いでしょ?一個190円で毎年出るんだって。もっと早く貼りたかったんだけど、終わってから貼っちゃった。シベールの杜北店さんごめんなさい。でも美味しかった~。いつも美味しいパンとサプライズパン!ありがとうございます!
こうして食べたの。一番前は私の大好きなくるみパン「白樺」。
サンドイッチだけ食べて、鬼パンはお土産にした。
白樺パンは迷ったけど、大好きだから買っちゃった!
我が家に来た鬼パン。めんこいっしょ?(=可愛いでしょ?)
皆よい節分を迎えられたでしょうか?
あなたの夜に主の平安がありますように。印間縫える・・・違うだろ・・・・・・・・父ちゃんごめんなさい。
インマヌエル・アーメン(主はあなたとともにおられます)
オヤスミナサイ。
!あ!今日の「まいにち中国語」のラジオの問題満点だった!やったあ!
がんばるぞ~い
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御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
旧約聖書:詩編62編9節(新共同訳)
そして(シズコの記憶によると、2006年山形南部教会の年間聖句)
今日は節分。豆まきだよ。
クリスチャンが豆まきしていいかわからんし、私は鬼って聞くと山形が生んだ、日本のアンデルセン・浜田広助さんの「泣いたあかおに」思い出しちゃって、なんかねー、豆まきして鬼出てけ~!っていうの、むつこく(=「可愛そうに」の山形弁)なっちゃうんだよー
で、フツーは豆まきって、家の家長がやるのが正式らしいけど、弟恥ずかしがってしないので、でも母はしたいので、私も「いっちょやるか!」と久しぶりに豆まきに参加。でかい私の声で
「鬼はーーーーー外っ!福はーーーーーーーーーー内!」
って叫んで豆まいた。私はもう一回撒いて
「私の心の中の鬼(悪い思いや、妬む思いなど)が外にふっとんでげー!そして福音(神様のあったかい愛)が私の心と我が家に入ってこーい!」と祈りたかったんだけど、母に言ったら「駄目、豆もったいないもん」だって・・・母よ・・・
まあ良いけどね・・・で、今日は節分!お寿司になった!
母が私と弟に「散らし寿司と恵方まきどっち食べたい?」って聞いたから
二人で「ご飯新米じゃないし、恵方まきじゃなくて散らし寿司で十分だよ~」と言って、皆で厚焼き玉子焼いたり、すし飯作ったりして(我が家はご飯つくりは基本的に全員参加or交代制なの)で、じゃじゃジャーん!こんなに美味しい散らし寿司を頂きました。美味しかったよーーーーーーーーーーーーーーっ!
「寿司にはあったかいお茶を」ということで、緑茶も入れた。
なぜか私のお茶碗は割れたままなので、リラックマカップに・・・
弟が一品足して、鶏肉とお豆腐の煮物も作ってくれて!我が家は超!豪華!
弟ありがとうー!神様ありがとーう!
我が家が幸せだなって思う瞬間のひとつに、毎回のご飯時に
「わー今日もごっつぉ(=ご馳走)だねえ~」
「我が家は毎日ごっつぉだ!」
「幸せだね~」
って言って一緒に食べられること。そりゃ、毎日ステーキや鯛や、そんな高価なものじゃないけど、家族の心づくしのご飯が食べられるってありがたいよね?どんなごっつぉ(=ご馳走)にも勝るって本当に思うもんなー。
今日の聖句は、朝の定期便「携帯ディボーション」からとりました。
昨日、すごくいろんなことがあって、自分のことだけど、興奮して緊張して、「おなかがでんぐり返っちゃって」(=この表現は、私がものすごく緊張して、おなかがおかしくなるとき使うの)、朝まで実は眠れなかったの。ずっとパソコンで文章書いていたら、明け方やっと落ち着いて、久しぶりに薬飲んで寝た。最近導眠剤なしでコテンと寝ちゃうの。出来たら無しで眠れたら良いんだけどね・・・祈ってください。
で、夕方目を覚まして読んで、心にすごく残ったんだよね。次の内容です。
いつでも、どんなときでも、神様に信頼することは
クリスチャン生活の基本です。
しかし、概して『基本」と呼ばれるものほど
ちゃんと実行することは難しいものです。
神様は特別難しいことを要求されている訳ではありません。
信仰生活はそんなに特殊なことではないのです。
聖書は、はっきりと言っています。
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。」(詩篇62:8)
この「どんなときにも」ということが、簡単そうで実は難しいのです。
全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。
どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!
このね、最後の五行が「うーん、そうなんだよな」って思わされた!
特にここね。
全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。
↑す、鋭~いコリャ私だよ。
ほんでもって、こうだよ。これはでもほんとだと思ったよ。
↓
どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!
ほんて(=本当)だな~と思った。特に昨日、礼拝に行けなくて(突然用事が入った)夕拝に行ったんだけど、好美先生のメッセージにじんとしたのよね。
新約聖書:ヘブライ人への手紙12章6節から8節までの有名な聖書箇所からメッセージを頂いたんだけど、こういう聖句
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もし誰もが受ける訓練を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは諸子(しょし)であって、実の子ではありません。
実はこの聖句って、私が13年前、初めて南部教会に来たときに、岡摂也先生から聖書を開いて教えてもらって、祈ってもらった聖句なんだ。覚えてる。
でもね、やっぱり私は特になんだけど、鍛錬とかつらいこと、逃げたいのよ。(情けないけど・・・)だから本音はここ読む度にこう思ってた。
「そう!父ちゃん、そのとおりだってわかってんの。だけどさー鍛錬とか辛いのいやなの。でもしなきゃいけないんだよねえ。困ったなー。」ってさ。
そうしたら好美先生は、こうおっしゃったの。
「あなたが神様に近づくとき、『ああしてから』『ここを直してから』とか考える必要はありません。弱さも、ずるさも、汚さも、そのままのあなたで神様の下に出てください。そして神様、よろしくお願いしますと祈ってください。神様はそのままのあなたの祈りを聞いてくださいます。」
私ね、これ聞いて慰められたよ。ああ、これなら出来る。夕拝に来るにもすごいいろんなことがあって、でも・・・いや、だからこそ、夕拝には絶対出たい!
と思ってきたんだ。だから久しぶりに床に膝まずいて祈りました。
一生懸命祈りました。久しぶりだったかもしれない。でも、うれしかったよ。
読んでくれて今日もありがとう。
あ、最初の画像は今日まで限定のシベール鬼パンです。
可愛いでしょ?一個190円で毎年出るんだって。もっと早く貼りたかったんだけど、終わってから貼っちゃった。シベールの杜北店さんごめんなさい。でも美味しかった~。いつも美味しいパンとサプライズパン!ありがとうございます!
こうして食べたの。一番前は私の大好きなくるみパン「白樺」。
サンドイッチだけ食べて、鬼パンはお土産にした。
白樺パンは迷ったけど、大好きだから買っちゃった!
我が家に来た鬼パン。めんこいっしょ?(=可愛いでしょ?)
皆よい節分を迎えられたでしょうか?
あなたの夜に主の平安がありますように。印間縫える・・・違うだろ・・・・・・・・父ちゃんごめんなさい。
インマヌエル・アーメン(主はあなたとともにおられます)
オヤスミナサイ。
!あ!今日の「まいにち中国語」のラジオの問題満点だった!やったあ!
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