ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

『アマデウス』の作者ピーター・シェーファー卿が死去

2016年06月07日 | わたしの好きなひと
この記事は、私の記念のために引用した記事です。映画「アマデウス」は私にとってとても大きな影響を与えた映画なので、書きました。


以下、記事まるっとコピーです。




劇作家で脚本家のピーター・シェーファーが6日、アイルランドのホスピスで息を引き取った。90歳だった。

シェーファーは生涯を通じて優れた戯曲を数多く遺したが、その中でも傑出して知名度の高い作品は『アマデウス』だろう。オーストリアの宮廷楽士サリエリが、若き天才作曲家モーツァルトの才能に激しい憎悪と嫉妬を抱き、その苦悩がやがて大いなる悲劇に繋がっていく。

『アマデウス』の舞台は1979年にロンドンで初演を迎え、翌年にはブロードウェイで上演された。イアン・マッケランがサリエリを、ティム・カリーがモーツァルトを演じたブロードウェイ版は高い評価を受け、1981年にトニー賞の最優秀作品賞を受賞した。

1984年には、シェーファーが脚本を担当し映画化。翌年のアカデミー賞授賞式では、作品賞、脚色賞を含む8部門に輝いた。

劇中に、サリエリがモーツァルトを毒殺したことをほのめかす描写があるが、歴史家ロバート・W・ガットマンはこの点に異議を唱えた。ガットマンは自著の伝記で、モーツァルトの死因をリウマチ熱のような病気であると断定していたからだ。これに対し、シェーファーは「これは戯曲であり、モーツァルトの伝記ではない。しかし、大体のことは史実として裏付けられている。私はサリエリがモーツァルトに対し、なんらかの陰謀を企んだと確信している」と反論。サリエリには生前から、モーツァルト毒殺の他にも盗作疑惑も持ち上がっていたが、何一つ立証されておらず、真実は闇の中だ。

『アマデウス』の舞台は今も英米のみならず、世界中で上演されている。日本では松本幸四郎が1982年の初演からサリエリ役を務めている。

シェーファーは拠点を長らくニューヨークに置いていたが、故郷のイギリスを愛し、ロンドンと行ったり来たりの生活を送っていた。2001年にナイト爵に叙され、近年は療養のためアイルランドコーク郡のホスピスに入院していた。ロンドンで密葬の後、お別れの会が開かれるという。


コメント欄に、ニュース元と、映画版アマデウスの予告編を載せます。ご覧下さい。





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精神が鍛えられる場所(ところ)

2016年06月07日 | 日記
故国ユダに帰る道すがら、ナオミは二人の嫁に言った。
「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。どうか主が、それぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」
ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」



旧約聖書:ルツ記 1章7~10節(新共同訳)





伯母が近くの総合病院に入院したので二回目のお見舞いに行ってきました。
母の兄、私の伯父の妻に当たる伯母さんです。私は姪っ子。母は義理の妹になるわけです。
母の兄姉妹は、この伯父以外、全員女なので、伯母は小姑が4人もいる伯父の所に嫁いで来たわけです。本家の嫁として、大変苦労を重ね、体を悪くしてしまった伯母です。

伯父世代にしては珍しい恋愛結婚で、母が仲を取り持ったとか取り持たないとか。事実は定かではありませんが、私を非常に可愛がってくれる伯母で、私も大好きです。病院がすぐ近くなので、今日も二回目のお見舞いに行きました。


部屋に行ったら伯母は検査で留守でした。しばらく待っていましたがひどく暑かったので、母と一緒に館内のコンビニに行ってアイスクリームと飲み物を買いに行きました。今の病院にはコンビニもドトールもあります。私が入院していた頃とは見違えるほどの違いです。初めに見舞いに行った時は、自分がかつて、患者として入院していた頃を思い出し、ちょっとフラッシュバックを起こしましたが、今日二回目は普通に見舞う事ができました。

検査から帰ってきた伯母と三人でアイスクリームとコーヒーと冷たいお茶を飲みました。お茶が終わった頃、伯母のお嫁さん、従兄の奥さんが来てくれて伯母には「洗濯物は無いですか?」私たちには「これをお召し上がり下さい。」など、お嫁さんとしていろいろ気を遣ってくれました。かつて嫁だった私にはよくわかる気遣いの仕方です。


離婚した私ですが、かつての結婚で、すぐ舅姑と2年同居しました。


これはなかなか神経が鍛えられました。


正直、血の繋がらない両親と24時間一緒に暮らすと言う事は、私にとっては寝る時間以外全部神経を張り巡らして暮らす事でした。前にもここに書きましたが、舅姑と共に暮らすと言う最初の頃は、舅姑が「カラスは白い」と言ったら「カラスは白いですね」と言えるくらいで無いと、到底勤まる事ではありません。これは舅姑と同居した方はすぐピンと来る事だと思います。

離婚と言う結果になりましたが、結婚して舅姑と二年間の同居と言う生活は、なかなか私自身にとって貴重な、神経を鍛えられた時間、場所(ところ)だったと思えるようになりました。今でもあの頃の気の遣い方、嫁という、血の繋がらない家族でいることの緊張は、体と心がしっかり覚えています。
私は母がしっかり嫁仕え(こんな言葉が今生きているのかわかりませんが)をして、さんざん姑で苦労したのを見てきたので、ある程度は我慢できると思っていたし、我慢しようと決めていました。我慢無しの舅姑仕えなどあり得ないからです。


嫁として最初は可愛がられた一方、後半は怒鳴られ、叱られ、結局は子供が産めない駄目嫁として烙印を押され、私はうつ状態と言う病気になって今の実家に戻りました。人生の中で、一番活動できたと思う、20代、30代の時期を、病気になってしまい、自分の存在まで否定され、私自身人生のどん底まで味わいました。




でも、伯母を今日見舞い、あんなに地獄のようだった日々も、何かしら意味があったのだと感じられるようになりました。


同居嫁の気持ちは今でも覚えているし、精神科に長く入院したお陰で、今日も伯母の所に行ってすぐごみ捨てをさせてもらえたのもその一つです。



私の入院生活中、母はいつも来てすぐ、私のゴミ箱を持って、ごみを捨てに行ってくれました。離婚して私を引き取ってくれた弟も、私の好きなコーヒーを買って、何度も見舞いに来てくれました。今その家族と暮らせて私は幸せです。



人生何事も、役に立たない事は無いようです。




今庭で育てているズッキーニの花が咲きました。

























友達に見せたら「ちょっと植木鉢小さいんじゃない?ズッキーニが可愛そうだよ。植え替えてあげなよ」とのこと。
今度土を買いに行って、植え替えます。





もう小さな実をならせています。なかなかたくましい。












庭の白木蓮の木。庭の水撒きをすると、この木を無意識に見上げています。空高く青々と繁っているこの木に癒されます。















冒頭の旧約聖書の「ルツ記」は、麗しい姑と嫁の話で超有名な箇所です。私の洗礼式の礼拝でも読まれました。
今読み返すと、ナオミとオルパ(二人の嫁の名前)も嫁として、良い嫁だったのだろうけれど、ナオミも姑として、かなり良い姑だったのだろうな~と思います。

嫁と姑と言う言葉、今でも私には複雑な言葉です。多分、永遠に。






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