ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

記憶のリハビリⅡ

2016年07月04日 | 
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと
  大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。


旧約聖書:イザヤ書 9章1~2節(新共同訳)



こうして
夜中にパソコンを開いて書いていると
ワープロもまだ無かった大学時代を思い出す

さっきね
ある方のブログを見て
「あー私も転勤する時に、お手製の針山を生徒にもらったっけなあ」って
思い出したの

でもね、それが
どの学校だったか忘れてしまって
ちょっと悲しくなった
でも多分あの学校
ほぼあの学校

私の記憶が途切れてしまうのは
余りに現実が辛くて自殺未遂ばかりしていた頃
精神科のドクターが三回も
記憶を失くす注射をしてくれたから

「そんな薬あるの?本当に」って後で思ったけれど
その注射をした時の記憶はおぼろげにあるし
何より母がその事実を苦しく覚えている




お母さん、辛い思いをさせてごめんなさい




でも




こうして書いてて思ったんだけど


書けて日なたに出せるようになったと言うのは
少し良くなったんじゃないのかな?


だからこれは 詩のかたちの

「心のリハビリ パート2」


リハビリだから、辛い事もあるよね


あれ?「記憶」から

「心」になってる

全く無意識


何かが私の中で変わったんだね


あるがままでそのままに


もう寝よう


オヤスミナサイ







ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへにほんブログ村


にほんブログ村 ポエムブログ 心の詩へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村 




記憶のリハビリ

2016年07月04日 | 日記
行く末は誰が肌ふれむ紅の花

(ゆくすえは たがはだふれん べにのはな)


松尾芭蕉 「西華集」




今、不安定な心の状態だけれど、それが少しでも解消出来たら良いなと思って書いています。

タイトルの「記憶のリハビリ」。日本語として適切なのかとても迷っています。実は「心のリハビリ」にしようかとも思ったのですが、「心」にすると、どうも自分の心にしっくり来ないのです。「記憶」でこのまま書かせて下さい。

今日もずっと辛いまま寝ていました。ほぼ3時に近い頃「このままじゃ苦しくて仕方が無い」と言う気持ちになって、母を誘って思い切って外出した。「何処に行くの?」と母に問われて「実はただとにかく外に出たいだけで、当ては無いんだ。でも一人で行くのが心細くてお母さんを誘った」と言ったら「じゃあ、天童の紅花祭りへ行こうか?」とのこと。天童市は山形から車で約30分の隣の市。思い切って母のナヴィゲーターで行く事にした。着いた先は、山の中の一面の紅花畑。


紅花と言うと高校時代何度も合唱曲「紅花抄」で歌った曲の中にあった、芭蕉のこの句を私は思い浮かべます。「行く末は誰が肌ふれむ紅の花」(ゆくすえは たがはだふれん べにのはな)松尾芭蕉の句。

紅花畑は山の中腹にあるので、立っていると、どっと自然が迫ってくるようである種の畏怖を感じる。この感覚は、20年以上前、小国町の基督独立学園高等学校に一人訪ねて行ったときの感覚。あの時もうつだった。真夏の日、さんさんと降る太陽の光と熱と、大自然の中を二時間散策したら、2ヶ月来なかった月経になった。不思議な体験だった。私の体が自然の一部になったのだと思う。


帰宅し、夕食後布巾を消毒していると、何か思い出す感覚がある。なんだろう?ああ、家庭科実習だ。


私は英語の教師として勤めていたが、臨時で家庭科を受け持った事がある。その時に調理実習をした。これは私も生徒達もとても楽しみだった。私はとても厳しい先生だった。作る時もそうだが、それ以上に後片付けを綺麗に済ませること、を生徒に厳命した。古い調理室だった事もあるが、生徒はよく従ってくれたと思う。正直に書こう。私は若い教師だった。そして私は愚かだった。授業で失敗して、生徒に謝って許してもらったこともある。私は愚かな教師だった。でも、本当に生徒達は素直だった。若かったので、何でも仕事を与えられた。捨て身でぶつかって行った。失敗して怒られた事など何回あったかわからない。でも楽しかった。生徒に「先輩」と間違って呼ばれ、卒業式の前に誰よりも早く一週間前から泣いていたのは私だし、卒業式当日も、卒業証書授与から、どぱーっと涙が溢れ出し、泣いたまま生徒を送り出し、保護者の方たちの謝恩会に出席した。保護者の皆さんからは「シズコ先生、ずっと泣いてるんだもよ~。いや全く。」と泣き笑いで言われた。私も「ごめんなさ~い。でも、淋しくて淋しくて、あーん!」と泣いていた。
卒業式後、出来たら校門の前で生徒達をとおせんぼして「行かないで~!」と叫びたかったのは私。そんなこともあった。


この頃私は25歳。全くうつ病では無かった。健康体そのものだった。


こう書くと、どーんと気持ちが落ち込んだ。でも事実。私は実は何歳で欝になったか、思い出したくない。思い出せるけれど、余りにその時が辛くて思い出したくない。でも、思い出してきた。次の学校に転校して私はうつと診断された。


これ以上辛い事を書くのは止めます。


私は、今日、洗い物をしていたら、生徒達と家庭科実習をしていて楽しかったことを思いだしたのに、辛い事を思い出してしまった。

でもこのブログを書いた事は後悔していない。ブログを書く前に、今日はこのことを書きたい、と思い、接続の悪いパソコンをなだめながら書いたからだ。そして一生懸命書いたからだ。

今、毎日なかなか起きられない辛い日々の中で、私は「記憶のリハビリ」をしているんだろう。辛かった事だけではなく、楽しかったことも私にはあったのだ。初めての教え子は10歳しか違わないので、今年で40歳になる。信じられない。今でもその生徒さん達と交流できるのは本当にありがたい。

今ふと、20代でピンク色のジャージを着て、生徒たちと一緒に走り回っている私、が、見えた。そうだ。そんなこともあった。朝6時から部活動に行ったこともあった。本当にいろいろあった。本当に。20代のその学校での思い出は、私の宝物。


でもね、うつになってからの学校生活も、辛くても、生徒達はいつも優しく接してくれました。もったいないくらいに。
このことだけは書いておきたいと思う。


なんだかわけが解らなくなったので、文章としてまとまりが無いですが、終わります。




紅花祭りの紅花。





























収穫した紅花。一抱え500円で売っていました。母が買って家に活けてくれました。母ありがとう。


















ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへにほんブログ村


にほんブログ村 ポエムブログ 心の詩へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村