
もし、聖パウロがケセンにやって来ていたら、かれはきっと必死でわれわれケセン人の全てを学び、あらゆる努力を払ってケセン人になりきって、ケセン語で福音を述べ伝えたことでしょう。(ケセン語訳 新約聖書 ルカによる福音書 のCDパッケージの言葉)
今日はハロウィーン。さっきもテレビで凄い騒ぎらしいと言う事を言っていた。
私は10年くらい前、多分南部教会へ通って少ししたあたりのころ、クッキー屋さんでお化けかぼちゃに入ったクッキーを買い、何の迷いも無く「これはキリスト教のお祭りだろう」と思い、南部教会へ空のおばけかぼちゃの入れ物を「飾って下さい」と持って行ったところ、好美先生が困ったようなお顔で「これはキリスト教のお祭りではないのよ。だから飾れないの。ごめんね」と言って返してくださったのを覚えている。
私はハロウィーンの日本語訳は「万聖節」と知識で知っていたので、「聖」が入るのでてっきりクリスチャンのお祭りだと信じていた。今「万聖節」で検索すると、昔はカトリックのお祝いみたいなことも書いてあるので、あながち嘘ではないのかもしれない。
私は好美先生のその一言で、「そうか、違うのか」と納得し、もうそのかぼちゃの入れ物は、しばらく自宅のピアノの上に飾ってから、結局場所ふさぎになったので、捨ててしまった。その後、なんとなくネットで見てみると、特にプロテスタントのキリスト教は、物凄くハロウィーンを「悪魔の祭りだ!」として忌み嫌っているようなので、それも「ふうん、そうか」と思ってみている。私自身はどうかと問われると、やはり「クリスチャンのお祭りではない」と捉えたので、全く興味は失ってしまった。でも正直、悪魔のお祭りだ!と忌み嫌うほどでもないかな、というのが本当のところ。
でもやっぱり、私自身はあのおばけが駄目なので、私へのプレゼントグッズにはご遠慮いただきたい、というのが本音です。
これだけかぼちゃのお化けが流行っているのを見ると、物凄く人間の心の鬱屈をこの日は晴らす日なのかな?と感じています。
そんな中、10月生まれの私の10月アイテムが、ハロウィーンばかりで憂鬱になっている時、JAで見たこの「ハロイン」かぼちゃは、とても私を癒してくれました。それを記して、10月を終えたいと思います。
人の心にそっと寄り添うような存在にならせて頂きたいと祈りつつ。
JA南館店にあったカボチャ。

近づいてみるとこう。

生産者さんの「ハロイン」の一文字がなんとも爽やか。

「ハロイン」に幸あれ!
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今日はハロウィーン。さっきもテレビで凄い騒ぎらしいと言う事を言っていた。
私は10年くらい前、多分南部教会へ通って少ししたあたりのころ、クッキー屋さんでお化けかぼちゃに入ったクッキーを買い、何の迷いも無く「これはキリスト教のお祭りだろう」と思い、南部教会へ空のおばけかぼちゃの入れ物を「飾って下さい」と持って行ったところ、好美先生が困ったようなお顔で「これはキリスト教のお祭りではないのよ。だから飾れないの。ごめんね」と言って返してくださったのを覚えている。
私はハロウィーンの日本語訳は「万聖節」と知識で知っていたので、「聖」が入るのでてっきりクリスチャンのお祭りだと信じていた。今「万聖節」で検索すると、昔はカトリックのお祝いみたいなことも書いてあるので、あながち嘘ではないのかもしれない。
私は好美先生のその一言で、「そうか、違うのか」と納得し、もうそのかぼちゃの入れ物は、しばらく自宅のピアノの上に飾ってから、結局場所ふさぎになったので、捨ててしまった。その後、なんとなくネットで見てみると、特にプロテスタントのキリスト教は、物凄くハロウィーンを「悪魔の祭りだ!」として忌み嫌っているようなので、それも「ふうん、そうか」と思ってみている。私自身はどうかと問われると、やはり「クリスチャンのお祭りではない」と捉えたので、全く興味は失ってしまった。でも正直、悪魔のお祭りだ!と忌み嫌うほどでもないかな、というのが本当のところ。
でもやっぱり、私自身はあのおばけが駄目なので、私へのプレゼントグッズにはご遠慮いただきたい、というのが本音です。
これだけかぼちゃのお化けが流行っているのを見ると、物凄く人間の心の鬱屈をこの日は晴らす日なのかな?と感じています。
そんな中、10月生まれの私の10月アイテムが、ハロウィーンばかりで憂鬱になっている時、JAで見たこの「ハロイン」かぼちゃは、とても私を癒してくれました。それを記して、10月を終えたいと思います。
人の心にそっと寄り添うような存在にならせて頂きたいと祈りつつ。
JA南館店にあったカボチャ。

近づいてみるとこう。

生産者さんの「ハロイン」の一文字がなんとも爽やか。

「ハロイン」に幸あれ!





広島でも、’ゾンビナイト’とかいう、いい大人がゾンビメイクを施して、街を練り歩くというイベントが始まって、何年になるかしら…
しかし‼︎
実は私も信じてました…さっきまで
ハロウィンって、キリスト教のお祭りじゃなかったの?…(冷汗)
だって、アメリカで盛んにやってるじゃないですか。
だからてっきり…
いやぁ、クリスチャン失格ですわ(冷汗)
桜の真っ赤な落葉に川沿いのカモ,白鳥のフリして居座るサギ..そんな中,今は家中の新しめな廃品をせっせとオークションに出品したり,初心者向けにソフト・シンセで音取りCDの製作をしたりと忙しいです。
ハロウィーン,スペルも考えていませんでしたが,世の中では3種類ほどのカタカナ語を見ます。
イギリス(地)発祥とは言っても,ゲルマン民族(含アングロサクソン)が大移動する前にケルト人が占めていた紀元前の話ですから,イエス様もマリア様の胎内にすらおられなかった太古のこと。
英米人も我が国民も,結局は馬鹿騒ぎ好きなのかな?
私の生家あたりでは,いまだに田植えや稲刈りの時期に,けじめの祭りや儀式を行っていますけどね。
都会ほどいい加減かと。
さてカボチャ..
小学生の頃,体育館で大開催された地元のど自慢大会。
同級生の祖父が出てきて「●番,かぼちゃ節!」..んんん?
歌は「かぼーちゃー,ぼちゃぼーちゃー」と詞はかぼちゃだけ,その後は二度と聴くことがありませんでした。
会場は大爆笑でしたがね(笑)
そうなんですよ。ハロイン?はキリスト教のお祭りじゃないらしいのです。
でも私も同じですよ。
これね、私思うんだけれど、きっとクリスチャンの方も、これが「キリスト教のお祭りです」とはっきり認定されたら、以外と好意的になる方が多いんじゃないかな?と私は思っています。思い込みの強さってとても思わされます。
小説「メアリーポピンズ」の、ガイフォークスのところに、ハロウィーンと似たような記述があったような気がします。でも今検索かけたら、ガイフォークすとはまたハロウィーンは違うんですね。
一つのお祭り、イベントとして私は捉えていますよ。
またコメントくださいね。山形は昨日、山間部で雪になりました。お体ご自愛下さい。
>桜の真っ赤な落葉に川沿いのカモ,白鳥のフリして居座るサギ..
↑受けすぎ(笑)
仰せの通り、ハロウィーンはケルトの時代に遡るようですね。私はガイ・フォークスと今までごっちゃになっていました。子供時代の記憶もあやふやですね。私の海外の子供の知識は、本を読んでゲットしたのが多いです。主に児童文学ですね。
「かぼちゃ節」最高ですね。(笑)
きっとお友達のお祖父様も、「ハロイン」と書かれたかも?
霜月「あたかく」して(笑)参りましょう。
山形県以外では、ガソリンは「入れる」のだと知って、仰天しているシズコでした。
Oyaji様知ってたっけが?ガソリンは「詰めて」は方言なんだとよ?私ぶったまげたやー!
ハロウィンは10月31日ですが、マルチン・ルターが始めた宗教改革の記念日(Reformation Day)も同日だそうです。
ハロウィンは土着宗教的な感じで、日本の「お盆」(地獄が休みになるので、先祖の霊が戻ってくる)と似ているところがあるのでは?と思います。仏教では元々(釈迦の時代)、先祖供養などしなかったそうです(「イエスに出会った僧侶」より)。また、オカルトをやる人たちは、ハロウィンを特別な日と考えて、その日に儀式を行ったりするそうです。
仮装してお菓子を求める近所の子供達と「コミュニティレベルでふれあい」ということならいいのでしょうが、教会の先生が「教会ではお祝いしないんですよ」と言われたのもわかります。
アメリカでは、「ハロウィン」ではなく、「秋祭り」「収穫祭」などと名前を変えて、教会でお祭りをやるところもあります。仮装も、怖いお化けなどではなく、聖書の人物に仮装するコンテストを開いたり。お菓子を配るときに、トラクト(信仰についての小冊子)も添えるところもあります。
そうでした。宗教改革記念日でしたね。
思い出させてくださってありがとうございます。
>アメリカでは、「ハロウィン」ではなく、「秋祭り」「収穫祭」などと名前を変えて、教会でお祭りをやるところもあります。仮装も、怖いお化けなどではなく、聖書の人物に仮装するコンテストを開いたり。お菓子を配るときに、トラクト(信仰についての小冊子)も添えるところもあります。
↑これ良いですね。私もこんなのだったらやってみたいです。なりたい人物たくさんいます。ザアカイさん、マグダラのマリアさん、ペトロさんなど・・・・。
「イエスと出会った僧侶」良い本ですね。私も持っていましたが、本棚整理の時に、手放しました。本棚が相変わらずぎっしりで、今少しずつ手放していますが、結局買いなおす本も出てきます。「無駄だったかな?」と思うのですが、それはそれなりに必要な作業だったと信じてやっています。
アメリカも寒いでしょうね。お互い温まりましょうね。