朝の光が さしこむ前に
目覚めて 孤独な 時間が過ぎる
あの友は あの夢は 今はいづこに
帰らぬ季節は もう 忘れてしまえばいい
すてきな思い出だけ 大事にしましょう
そっと 口ずさむのは 夜明けのメロデイー
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画像は 今朝の夜明け前の様子です。
東の城山から 日が昇り 西の大麻山に日が沈む
それが 世のならいですが、
空に汚れた雲が多い時は 日が昇るのを見ることができません。
今朝の散歩は地元の里山へ出かけて、山頂から撮った城山です。
花のいのちは みじかいけれど
重ねた 歳月 背中に重い
喜びも 悲しみも みんな人生
愛して 別れて また どこかで逢えればいい
ちいさな幸せでも 大事にしましよう
そっと 口ずさむのは 夜明けのメロデイー
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先日は,
お寺まで「美しい蓮の花」を期待して出かけたのですが、
今年は全く「蓮の花」は咲いてなかったので諦めました。
今朝の里山には、まだ紫陽花が凛として咲いていました。
花には詳しくはありませんが、美しい花を見ていると 心まで明るくなりますね。
還らぬ季節は もう 忘れてしまえばいい
すてきな思い出だけ 大事にしましょう
そっと口ずさむのは 夜明けのメロデイー
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散歩の途中に見えるのが「この讃岐富士」です。
この「讃岐富士」は100日間、通い続けた「思い出」の山です。
嬉れしい出逢いあり、悲しい別れありの 山でもあります。(笑)
●看護師の婦長さんから、
退院したら、これから先は「山以外の趣味」を何か探して、
「気ままに暮らして下さいね」なんて言われましたが。。。。
いっしか、
それも無視して、この「讃岐富士」~病院へ「救急車で搬送」された事もありました。
私の第二の人生が、この山から始まり、その後、約20年が経過しましたが、
現在まで生きて過ごしています。
人の「命」ほど不可思議なものはありませんね。
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ ですねー。
地元の里山からの帰り道に、こんな「看板」がありました。
昔の「歌舞伎小屋」の看板ですね。
コロナもあって、ここ3年間ほど「歌舞伎」公演は中止が今も続いています。
私も、コロナ感染症の6回目のワクチン接種を14日に終えました。
でも、再び感染拡大がささやかれており、まだまだ「安心」できませんね
妻の「しん子」さんは、この電車に乗って約1時間半もかけて
毎日、35年間も「○○省」へ通勤しました。
定年までは務めませんでしたが、
「国家公務員」として立派に最後まで「国民全体の奉仕者」としての
使命を果たしました。感謝ですねー。
これから先は、妻のために 私自身の
この命を大切にして務めてまいります。
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あなたに出会えて、風が吹きました。
夏の激しい 嵐のように
余計な ものなど 吹き飛ばされて
最後に 残ったの 真実だけが。。。
あなたを 愛して 風がふいた 汚れた雲が 消え去るように
痛みも 涙も枯れ葉になって 心に 真っ青な 空が ひろがる
魂が 溶ける ほど 温めあって 愛の歴史を つづりましょう。
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朝、家を出た時は、まだ日が出る前でしたが、1時間少々ほど歩いているうちに、
空を見上げると、真っ青な空が 広がっていました。
今日は日曜日です。ヘルパーさんも、リハビリ師さんも、看護師さんも、誰も来ません。
妻の「しん子」さんと二人たけの時間です。
散歩から戻り、まずは仏前へお参りし、朝食の準備をし、それから「しん子」さんを
起こし車椅子に座らせます。
そして、朝食の介助をします。食事の後片付け、洗濯もします。
しん子さんが家でいる日は、我が家から外へ出ることはありません。
こんな、日々が3年以上続いていますが、マジて辛いと思ったことは一度もありません。
ただ、私の腰が痛くなる時があります。彼女の体重が基に戻って少し重くなったのです。(笑)
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