甲山寺と「かぶと山」が当初思ったよりも短時間で終わったので、次に「我拝師山・出釈迦寺」へ出かけました。
四国霊場第七十三番のお寺ですね。
ここのお寺の ご本尊は釈迦如来ですね。
弘法大師が幼い頃にも、これから登る「我拝師山」へも何度となく出かけていたのかもしれません。
地元の人達は 禅定寺さんと言っているようですが、地元の人に親しまれているお寺&山でもあるようです。
境内から見える、これから登る左側の山が我拝師山です。二つの山の少し凹んだ中間あたりにお寺の奥の院があります。
車で来られる方は、ここに駐車場があるので、ここから歩いて急な坂道を歩くことになります。
ここから約30分程度で奥の院まで行けますが、かなりキツイ参道が連続して続きます。
地元の人たちの散歩道として親しまれているようです。この日も、かなりの人たちと出合いました。
このあたりは少しゆるやかな登りです。ツツジが咲いていました。やがて、アジサイの花も咲くようです。
途中に「西行法師の石碑」がありました。これから少し先に進むと、更に「西行法師」が腰かけた跡の岩もありました。
西行法師が讃岐の白峰寺まで来られたことは有名でが、ここ善通寺まで来られたとは全く知りませんでした。
我拝師山へは、もう20数年も前に来て以来、長年来ていなかつたので、ここに「釈迦如来」の黄金の碑が建立されているとは
知りませんでした。これが、「捨身ケ嶽」なのかなー? 弘法大師がまだ若い頃に、この断崖絶壁から身を投じたという伝説の
場所ですね。このような伝説話は確か高知県にもあった気もします。
ここが、我拝師山・出釈迦寺の奥の院です。ここの風景も20数年前とはかなり変わっていました。
これから先は岩場が続きますので、今回はこの奥の院までとしました。
実は、この日に我拝師山へ来たのは一つの目的がありました。今から約40数年以上前の若い頃に、ここの岩場へ山の仲間と共に何度も岩登りの練習に通っていた山なのです。時には一人でトレーニングに来る時もありました。
その昔、ここの岩場に打ち込んだハーケンが、もしかしたら今も残っているのではないかと思い確かめかったのです。アッチ、コッチと探すまでもなく、すぐに発見出来ました。錆びついたハーケンが確かに今も残っていました。その写真もUPしょぅと思ったのですが、なぜか?UP出来ないのです。何度も繰り返し繰り返しUPをしてみたのですが、その錆びついた「ハーケンの画像」だけは貼り付けが出来ませんでした。全く不可思議な現象ですね。
追加 そのハーケンは私が打ち込んだハーケンではありません。
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