盆休み、次の写真集の取材目的で『近鉄・南大阪線』で『大阪阿部野橋ー古市』間を、往復してきました。本来ならば『南大阪線』『長野線』『道明寺線』『吉野線』と、南大阪線系の狭軌(1,067mm)を全走破したかったのですが、酷暑でへとへと。『もう、古市の連結・解結でいいや』とあきらめて帰って来ました。秋には、吉野まで足を延ばしたいな、と思っています。
【写真:古市止まりが、次は『急行・橿原神宮前行』に化けて、待機線へ】
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◆固定編成の阪急京都線沿線で育った『私』には、超新鮮路線です。
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平日の朝夕には『二方向から来た電車』を、
古市駅で『連結』して『電車』を『化け』させたりしています。
この『連結』や『解結』は『KT南大阪線』では『日常茶飯事』です。
まぁ、古い車両と新しい車両を『連結』する写真は『後日』に掲載します。
▲高性能車として普及した『6200系』も、現代のKTカラーへ。
乗降口の上には、『雨どい』が付けられ『利用者目線』が伝わってきます。
▲同型の乗務員室入り口にも『雨どい』が付いています。
昭和58・59年頃に新造(更新)された6600系には、
雨どいが省略されていました。
近鉄の『いいところ』は『こういう中途半端さ』がおもしろいのと、
古いものを大事に使う精神です。
ちなみに、近鉄南大阪線と乗換連絡している『道明寺線』は、
現在のJR柏原駅とスムーズに乗り換えが可能です。
それもそのはずで、近鉄史で『最古』に位置付けられるのが、
今の『道明寺線』です。
1898(明治31)年に国有省線・柏原から、
河陽鉄道が『貨物の受け渡し』を目的に敷設した名残。
開通の翌年、河陽鉄道の経営破綻で河南鉄道が債権債務を譲渡され、
その後の延伸建設や運営を図ったのが、現在の近鉄南大阪線のスタートです。
いわば、狭軌である理由は『省線との乗入上、必然だった』といえます。
その後、大東亜戦争時には『名阪間を狭軌で結び、時には省線車両も乗入』計画もあったとか。
実際には、狭軌の名阪直通車は走らなかったと聞きますが、
大軌、大鐵、関急・・・いろんな会社が統合され、
多くが広軌(標準軌:1,435mm)に変えられましたが、
南大阪線は、狭軌のまま『ガラパゴス進化』したということになります。
毎度おおきに。ほんじゃーね!!
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