らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

40年振りにソフト麺を食いました。

2012年03月04日 19時06分44秒 | 親父の食い物

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 大分県情報へにほんブログ村 オヤジ日記ブログ 独身オヤジへにほんブログ村 オヤジ日記ブログへ



親父の小学校は生徒が実験台モルモットの学校でした。

モルモットにはデキの悪い貧乏人の子も必要やから親父も入れたんやと思います。

当時は給食も実験の一つやったんやと思います。

親父の時代は米国とは名ばかりのアメリカの小麦を大量に日本国が消費を迫られていました。

学校の給食はすべて美味くないコッペパン・食パンでした。

たまの太陽堂のオメ◯パン・コッペパンにきなこの付いたきなこパンが楽しみでした。


高学年になった頃、突然ソフト麺なる者がメニューに。

スパゲッチィみたいなんやけどスパゲッチィではない。

まぁ、スパゲッチィも食ったことはあんまり無かったです。

うどんでも無い、何か解からん麺やけど、パン嫌いの親父の救世主でした。


先日、ジャスコでソフト麺を見つけました。





当時は水みたいなカレーシチューと呼ばれるものとかがかかってたような、ハッキリせんです。

なぜなら親父はカレーがハタチ過ぎ迄嫌いやったんです。

カレーが好きになったんはココ壱番屋が大津の西武百貨店に出来てからなんです。

それもバイトした己の金で5辛が食えるようになってからなんです。


イメージでソフト麺カレー掛をして食いました。





コンソメと本出汁のスープ増しでね。

当時のカレーは黄色かったなぁ。

肉はかしわやし、皮のブツブツにビビりながらかしわを避けていました。

かしわが嫌いやったんは、田舎で曾祖父さんが首をはねてるのを見てからやなぁ。

考えたら大分へ来るまで36年間、かしわは食えんかったです。


ソフト麺やけど、やっぱり関西人の親父には合います。

柔らかいしソフトや。ソフト麺や。

スパゲッチィとも違ううどんとも違うソフト麺や。

これは今度は中華だしで食うてみたいわ。

八宝菜をかけて食ってみたいわ。

ソフト麺だけで思い出と夢が広がった親父です。


びわ湖毎日マラソン、やっぱり一発屋の登場でしたね。

女子の小鴨由美を思い出した親父です。



【パンもカレーも嫌いやってガリガリ親父でしたが今は肥満です】


下のボタンをポチッと。よろしくお願いいたします。


にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 大分県情報へにほんブログ村 オヤジ日記ブログ 独身オヤジへにほんブログ村 オヤジ日記ブログへ