きままな旅

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2015/11/19奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねる。

2015-11-20 | 尾張文化の会

2015/11/19奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねる。(No373)
 『尾張文化の会』のメンバー32名と紅葉の奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねて春日井市をバスで出発、心配の東名阪も順調に進み、名阪国道の針ICから一般国道を進み安倍文殊院に着いたのは11:40分を回っていました。次は移動時間15分で聖林寺、これより談山神社へ30分の移動で県道を進み、狭い山道をすれ違い待ちを何度か繰り返したら、神社の駐車場5ヶ所を過ぎた所にみやげもの屋と定期バスの停留所および6台の観光バス駐車場は有り、最近な隣の駐車場に止めることができました。紅葉は終わりかかっていましたのでスムーズに参拝する事ができました。
 帰路は行きと同じコースで心配の亀山から四日市はやはり、亀山ジャンクションから鈴鹿ICまで渋滞でありますたが、春日井市には18時半ごろに無事着くことができました。
✿華厳宗別格本山 安倍文殊院(あべもんじゅいん)
 安倍文殊院は、大化元年(645)安倍一族発祥の地である、大化の改新時に左大臣と成った安倍倉梯麻呂公(くらはしまろ)によって創建された。奈良時代の遣唐使に随行の安倍仲麻呂や平安時代の安倍晴明公が出生された寺院で国陰陽道の源流の寺院である。 
 和尚の話を聞きながら「知恵の抹茶と手作りらくがん」をいただき、話は、現在ではお寺でありながら、葬儀などは行わず、お墓も無ければ檀家も居ません完全な「祈願寺」として運営されているそうです。

 
・山門     ・本堂
○寺宝
渡海文殊菩薩郡は国宝で鎌倉時代(1203年)の大仏師快慶により造立です。 文殊師利菩薩像、善財童子像、優墳王像、須菩薩像は全て国宝であり、鎌倉時代の快慶作、維摩居士像は国宝で安土桃山時代の宗印作また台座の獅子も国宝で安土桃山時代の作品である。

 ・文殊師利菩薩像
○文殊院西古墳
 『特別史跡』として指定されて安倍倉梯麻呂公の墓と推定されいる古墳で、645年頃に築造され、良質の花崗岩を表面上は四角く仕上げられ、築造当時のままとしての古墳内部の美しさは定評あるそうです。
 
・正面入口     ・内部の幻室には「願掛け不動」(弘法大師作)
・安倍仲麻呂公の詩『あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』百人一首の古今集(巻8-406)
 
・金閣浮御堂  ・安倍仲麻呂公の詩碑

・伊勢神宮への大道標(「右 はせ、いせ 左 たへま、大坂 ・・・」裏面には「寛政十午戌年、造立願主桜井、吉林修理謹言下邑石工与助」と刻印が有りました。)
✿霊園山聖林寺(しょうりんじ)
 当寺は和銅五年(712)で奈良時代に現在の談山神社別院として、鎌足の長子で藤原定慧(じょうえ)が創建。 本尊は元禄時代に造られた丈六石仏であり、観音堂には国宝の十一面観音菩薩を祀っている。
  
・山門     ・本堂
○国宝、十一面観音菩薩は木心乾漆像で760年代に東大寺の造仏所で造られたとされている。今年4月に『尾張文化の会』で京都・南山城の観音寺を訪れた時、同時時代の木心乾漆像で国宝十一面観音とそっくりであり、同時代の観音像をお目にかかった、
感激が人一倍であった。
  
・観音堂     ・十一面観音菩薩   ・観音寺の十一面観音菩薩
 
・境内     ・古墳が見える(どこかな、メスリ古墳かな)
✿談山神社(たんざんじんじゃ)
 創建は白鳳七年(678)唐より帰国した藤原鎌足の長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨を多武峯に改葬し、十三重の塔と講堂を建立して妙楽寺と称した。これが談山神社の始まりです。本殿の裏山で多武峯山中は『多武峯縁起絵巻』の「談合の図」は藤原鎌足公が中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに で「大化改新」の談合をしている様子が有名弟子す。
   
・入口     ・十三重塔
   
・本殿
  
・神廟拝所          ・十三重塔
  
・総社拝殿       ・総社拝殿の裏側でかすかに残る『狩野永納の壁画』です。
 
・総社本殿

・石燈篭(後醍醐天皇御寄進)元徳三年(1331)の刻銘が刻んである。
    以上

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