きままな旅

きままな旅ときままな日記

2016/11/17 晩秋の城下町郡上八幡の文化を訪ねる。

2016-11-13 | 尾張文化の会

2016/11/17 晩秋の城下町郡上八幡の文化を訪ねる。
 『尾張文化の会』の11月の例会でメンバー29名と郡上八幡に行って来ました。(No384)
今回は小牧東IC→郡上八幡IC→城山公園で下車し郡上八幡城へ→(食事)→郡上八幡博覧館→郡上八幡市内を散策→郡上八幡IC→小牧東ICの行程です。
○郡上八幡城
 当城は戦国時代末期の永禄2年(1559)遠藤盛数が砦を築き、寛文7年(1667)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認めらた。
 明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわされました。現在の城は、昭和8年(1933)木造4層5階建の天守閣等は郡上市「重文」城跡は「県史跡」です。
 
     天守閣     
 
     天守閣          
○山内一豊の妻「千代」(見性院)
 弘治2年(1556)初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘として生まれました。千代が3歳のころ、盛数は病死、やがて千代は、縁あって尾張の山内一豊に嫁ぎました。山内一豊は現在の愛知県一宮市南部から岩倉市で生まれて織田信長、秀吉、家康に仕え、千代の内助の功があり夫が出世したと伝えられている。
 
  千代 出世の里標示旗(天守閣内)         山内一豊と妻(千代)の像
○安養寺 真宗大谷派
 近江源氏佐々木高綱の三男高重が出家して、親鸞上人の弟子となり法名を西信と賜い、康元元年(1256)江州蒲生郡に一宇を建築し安要寺と称した。佐々木高綱は宇治川の合戦で有名であるが、この先陣争いの相手梶原景季の乗馬磨墨は郡上の気良の産と伝えられている。
 壮大な本堂は木造の建造物としては岐阜県下で最大のものといわれ、「郡上御坊」の呼び名をもちます。
 700年以上にも及ぶ長い由緒をかたる寺宝の数々は宝物殿に収められ一般の公開されています。
  
  寺入口の八幡城登口     山門                         本堂
 
   郡上八幡博覧館            郡上おどりのデモンストレーション
 
     長敬寺の石柱                  本堂
○大乗寺
 慶長8年(1608)日了上人により創建されました。
 日了上人はもともと越前の戦国大名で朝倉家一族の「清水三右衛門尉」が、朝倉氏滅亡ご出家して日了と改め、その事蹟を継いだ日奥上人の弟子日能上人が妙覚寺から本尊を賜り大乗寺を開山しました。
 
     大乗寺の山門                      本堂       

     大乗寺の本堂 
○古い町並み
  
     職人町の民家           綺麗な水の流れ        各く家の備え付け消化設備
 
     桜間見屋                        
 
     郡上おどりの像                本町から眺める天守閣
○宗祇水(そうぎすい)名水百選の第一号
 文明三年(1471)蓮歌師の堀尾宗祇と郡上領主の東常縁から古今伝授を受けた、二大歌人がこの泉のほとりで歌を詠み交わしたと伝えられている。
  
    宗祇水入口の路地           宗祇水入口          宗祇水

 宮ヶ瀬橋より上流の新橋(飛び込み橋)
○左京町
 
 郡上八幡楽藝館             レントゲン棟

 野口雨情の歌碑 「今夜逢ひませう 宮ヶ瀬橋で 月の出るころ のほるころ」
○郡上八幡旧庁舎
 昭和11年(1936)築で国の重文で、平成6年まで役場として使われていた。
 
    郡上八幡旧庁舎           庁舎入口の郡上おどり発祥碑
○いがわこみち
 寛文年間(1661-1672)にできた用水で、地元住民により大切に管理、使用されている。
  
 「いがわこみち」の水路で水の透き通る中を丸々と育った鯉が多く泳いでいます。
○新橋(飛び込み橋)

     新橋
 橋から川への飛び込みは郡上八幡のもうひとつの名物である吉田川の橋上からジャンプして飛び込むイベントで、中学生や高校生が度胸試しとして昔からの言い伝えとか。
○旅館(備前屋)
 江戸期藩校「潜竜館」の跡地で、明治中頃創業、日本庭園には天然記念物のモリアオガエルの池がある。
  (中が拝見できないのが残念である)

  備前屋門前(文化財の標示「筆校 潜竜館」がある)

天空の城郡上八幡城(パンフレットより)
  以上

コメント