きままな旅

きままな旅ときままな日記

2018/06/14 長野県下伊那郡阿智村にある「園原の里」を訪ねた。

2018-06-18 | 尾張文化の会

2018/06/14 長野県下伊那郡阿智村にある「園原の里」を訪ねた。
古東山道で現在は恵那山トンネルが、神坂峠遺跡直下をつらぬいている。長野県側の阿智村で「園原の里」を訪ねた。
✿長野県下伊那郡阿智村
 東山道最大の難所「神坂峠」で標高1,576mと高く、大変苦しめられた場所であった。この地域には昼神温泉がある、「昼神」の地名は「蒜(ひる)噛」を替えたもので、『古事記』、日本武尊が記載されているところに「蒜」があり、信濃坂を越え美濃の神坂峠に出る者は以前、神の気を受けて病になる者が多かったが、この後は、山を越えるものは「蒜を噛んで」人や牛馬に塗ると神気にあたらなくなったと言い伝えられている。

✿阿智神社(前宮)まえみや
創祀年代は不詳。
祭神は天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのかみ)天表春命(あまのうわはるのみこよ)
 
 
  
鳥居 参道 拝殿

✿阿智神社(奥宮)おんみや
      
鳥居 参道 拝殿
・吾道太神宮(あちだいじんぐう)
  
史跡 説明板
・阿智神社元宮の磐座
 
鳥居 
 
磐座 説明板

✿これより「園原の里」
・古代東山道信濃坂碑


・園原ビジターセンターはゝき木館
  
はゝき木館
・園原の里より眺める網掛山(1,132m)
 
網掛山

「園原の里」案内板
✿信濃比叡廣拯院(こうじょういん)天台宗
・信濃比叡参道
   
 参道入口 
・伝教大師最澄像
  
最澄像

伝教大師最澄が見つめる網掛山
・熊谷直一翁頌徳碑


・山門
伝教大師最澄の有名な言葉「一隅(いちぐう)を照らす」
  
山門 額
・根本中堂(本堂)
不滅の法灯は本堂建立に伴い、行者にて運ばれたと云う。
  
本堂 格天井の花々
・不滅の法灯
最澄が末法の世に仏法興隆と人類救済の願いを掲げられてともされたと云われる。
・如来堂

如来堂
・蛇紋岩

蛇紋岩
白蛇の宿る岩で、今も「白蛇」は門前屋に2匹見られます。

✿道端の「吾妻の碑」
 日本武尊が神坂峠の麓にお着きになって、乾飯を召しあがっておられると、この坂の魔物が鹿になって尊の行方をふさがれた。尊はすばやく食べ残りの蒜をかんで、その鹿の近づくのを待って投げ捨てると、その鹿の目にあたって死んで仕舞った。(晝神の地名の起り)やがて尊はこの神坂峠に登られ、東のほうをのぞまれ、駿河湾で死なれた妻のことを思いだし“あゝわが妻よ“と嘆かれた。それからこの峠から東のほうを「吾妻」と呼ばれるようになった。  日本書紀の中から



✿廣拯院護摩堂(月見堂)
伝教大師最澄は弘仁8年(817)東国への布教で布施屋として旅人のために伝教大師最澄が建てた廣拯院跡と云われる。
  
護摩堂

説明板
歌碑
かゝやきのますはかりなりけふの月    卓池

句碑
満月の片隅にある伏家かな  八巣蕉雨
歌碑 保延元年(1135)
木賊刈るその原山の木の間より みがかれいづる秋の夜の月 源仲正

句碑 源仲正(左)  八巣蕉雨(右)
護摩堂近くの東山道
  
東山道

✿伏屋跡伝える
 
鳥居  説明版

✿駒つなぎの桜
源義経が奥州に行く途中、馬(駒)をつないだといわれる一本桜。
幹周り5.6m、高さ14mの巨木です。
  
桜 案内板

✿滝見櫓
   
滝見櫓
歌碑
・帚木の心をしらでその原の道にあやなくまとひぬかな  光源氏
・数ならぬふせ屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木  空蝉
 
歌碑 説明板
・まれに待つ都のつても絶えねとや木曽の神坂を雪埋むなり 空良親王
(まれに届く音信を待ちわびているのに、それさえもとだえてしまうというのかのように、木曽の神坂を雪が埋めてしまった)
 
歌碑

✿暮白の滝
夕暮れに白く見えると伝ある。
 
暮白の滝 石碑

✿恵那山トンネル(二期線)開通記念
 
 
碑 換気塔

✿帚木(ははきぎ)
この木を使って恋歌を交わしたと伝えている。
 
入口  説明板
・園原や伏屋におふる帚木のありとはみえてあはぬ君かな
  新古今和歌集  巻十一恋歌一 (九九七)
 
句碑
・古代東山道ルート図

案内板

✿神坂神社(みさかじんじゃ)
 
 
参道 石標
   
 
鳥居 拝殿

神坂神社と日本杉の説明板
・日本杉
 
・日本武尊の腰掛石 
 
日本武尊御腰掛石と石標
・日本武尊駐蹕之舊跡(旧跡)

石標
万葉集防人歌碑
・ちはやふる神の御坂(みさか)に幣(ぬさ)まつり斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため
     主帳埴科郡神人部子忍男(みわひとべのこおしお)  巻20
 
歌碑
・信濃道は今の墾り道刈りばねに足ふましむな沓はけわが背
   万葉集東歌 巻14-3399
  
歌碑
・句碑 
作者 左大史正六位上兼行伊勢権大掾  坂上忌寸今継(さかのうえのいみきいまつぐ)
渉信濃坂 積石千重峻 危途九折分 人迷邊地雪 馬躡半天雲 岩冷花難笑 溪深景易曛 郷関何處在 客思轉紛々
案内板より
・解説①
信濃坂を渉る
積石は千重悛しく 途危うして九折に分かる 入り迷う辺地の雪
馬は躡む半天の雲 岩冷やかに花笑き難く 溪深くして景曛れ易し 郷関何處にか在る 客思轉紛々
・解説②
信濃坂(神坂峠の古名)を越える
岩石は幾重にも積み重なって峻しく 危険な山道は屈折して分かれている
旅人は人里を離れた国境の雪に踏み迷い 馬は中空の雲を踏んで行くように見える
冷えきった岩間の花は咲きそうになく 深い谷間の日ざしは早く暮れてしまう
故郷はどちらの方向にあるのだろうか 旅人の愁いはつのり千々に乱れてしまう
 
句碑 自然石にはめ込み
 
句碑  説明板

✿神坂峠への道
 
案内柱 神坂峠へ6.3キロ

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