2019/02/26岐阜県東濃地方にある小里城跡、明智城(長山城)跡をめぐる。
✿✿小里(おり)城跡(岐阜県史跡)✿✿
岐阜県瑞浪市の城山の山頂(標高約405m)に有り、城下から約150m登った地点にある。その築城時期については、天文3年(1534)に小里光忠によって築城され、以後小里氏の居城となったと伝える。また天正8年(1511)生まれの光忠が22歳の時に居住を小里に定めた記載が「小里家普」にあることから、天文元年(1532)とも考えられる。
戦国時代の天正2年(1574)には織田信長が改修を命じ池田恒興を置いて対武田戦の最前線として重要な役割を担った。小里氏は一時期小里城を撤去するものの、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、再び小里城を居城とした。<パンフレットより>
県道33号沿いの石標 県道20号の登口
小里城跡全体図
大手門跡手前の石垣
大手門跡手前の堀切リ
大手門跡
御殿場跡
大手道
岩
急な登り道の石組み
曲輪跡
本丸前の休憩場 城下を眺める
案内板
本丸の天守台の周囲石垣(東南西北)
天守台入口
天守台の内部
✿✿可児明智(長山)城跡✿✿
美濃の守護、土岐頼清の次男である頼兼が、康永元年(1342)頃に築城と伝える。
諸説ある中、二つの明智城がこの近くに存在する、恵那明智城は宝治元年(1247)に築城とか。
明智址跡案内板 大手門跡
大手口
桔梗坂(入口) 桔梗坂(城近く)
明智城址碑
本丸跡
馬坊柵 馬場跡
二の丸跡
七ツ塚
本丸跡から眺める
✿✿明智氏歴代之墓所✿✿
大手口跡の近くにある青雲山天龍寺の敷地内で鐘楼近くに墓所はある。
天龍寺参道 山門と本堂
明智家の案内板
明智氏歴代之墓所 標柱の後方にある宝篋院塔は明徳時代(1390)頃と云う。
✿太元神社(だいげんじんじゃ)
祭神は国常立尊と応神天皇
鳥居 拝殿
✿✿八坂入彦命の墓(宮内庁管理)✿✿
八坂入彦命は崇神天皇皇子と云う。宮内庁の看板に「崇神天皇皇子 八坂入彦命」と記載がある。
第12代景行天皇(日本武尊の父)は泳宮(可児市久々利)に長期に滞在し、八坂入彦命の女、八坂入媛命と結婚しその子は第13代成武天皇となる。
(場所は可児市の県道84号とMAGロードの立体交差近く)
案内板 宮内庁の注意案内
◎後日、可児明智(長山)城跡の六親眷属幽魂塔と産湯の井戸に行って来ました。
✿六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)
昭和48年(1973)明智城址発掘調査で六親眷属幽魂塔が発掘された。発掘の折り地中から人骨や武具が発見されたが戦いの時代とは断言できない。
標柱 案内板
自然石の表に「六親・・・」の刻印がある。 祠の破風部分にある明智家の家紋「桔梗」
幽魂塔に向う山道脇にある古い弥勒菩薩で文化財級と云う。
✿明智光秀公の産湯の井戸
田んぼの中央部分に井戸が有ったと云う。井戸は耕地整理で無くなったがこの付近で古い土器が出土されたと伝える。
井戸が有った田んぼ
✿明智光秀公の位牌
日本一高い184cmで「長在寺殿明窓智禅定門」と戒名が記されている。
天龍寺の山門 明智光秀公の位牌
以上