2020/02/19 愛知県西尾市の古刹、源徳寺、吉良家の菩提寺である華蔵寺を訪ねる。
上横須賀駅より源徳寺、大通寺、東条城跡、瀬門神社、華蔵寺を回りホワイトウェイブ21より六万石ぐるりんバスにて西尾駅に戻りました。
ここ西尾市の吉良氏は足利の一門で、鎌倉時代初期に足利義氏が三河守護となって以降、現在の西尾市(吉良町)辺りを領域とする吉良荘に住み、吉良氏と称した。
〇尾崎士郎生誕の地 顕彰碑
〇福泉寺(ふくせんじ)浄土宗
尾崎家の菩提寺である。
山門 山門と尾崎士郎の菩提寺看板
本堂
尾崎士郎文学碑(ペンの形) 尾崎士郎の墓
〇源徳寺(げんとくじ)浄土真宗
応仁元年(1467ごろ)三河碧南郡の大須賀市郎左衛門信道が第八世蓮如上人の三河巡教のおり、出家弟子となり当山を創設すた。
仁吉の墓は一周忌の慶応3年(1867)に清水次郎長が「仁吉の任侠」を忍んで建立したと云う。
吉良仁吉資料館は本堂の横に併設されている。
山門
仁吉之墓 案内版
〇正向寺 真宗大谷派
山門 山門紋章(二つ巴)
本堂
柱の多い鐘楼
〇精立寺(せいりゅうじ)真宗大谷派
本堂
〇大通院(だいつういん)
東条吉良氏の重臣富永氏の菩提寺です。
常夜燈 本堂
富永伴五郎の墓 案内板
稲荷社 案内版
広目天立像 案内版
〇東条城跡
東条吉良氏の居城であった。承久の乱(1221)ののち、三河守護で吉良荘地頭であった足利義氏が3男義継(よしつぐ)を当城においたことが始まり。以後永禄4年(1561)室町幕府14代将軍足利義昭(よしあき)が松平元康(家康)により追放されるまで存続した。
遠方から望む東条城
西東入口
門 物見櫓
石碑 城内 説明版
〇瀬門神社(せもんじんじゃ)
祭神は天照大神です。源頼朝が建久6年(1195)に修復し、松平元康(家康)が永禄4年(1561)に戦勝祈願した神社と伝える。
石標 参道 鳥居
拝殿 説明版
梅に花
墓 南極探検隊長大和雪原(ゆきはら) 開拓者之墓・陸軍中尉白瀬矗(のぶ)
南極観測船「しらせ」のスクリュウ
〇岡山陣屋跡
江戸時代初期、この地域は広田川と須美川の水が溢れるたびに被害をうけていたため、貞享3年(1686)吉良上野介義央は西尾藩主土井利意(としもと)と話し合い、岡山陣屋代官斎藤金右衛門に命じて堤を創らせたのが「黄金堤」であると云う。
門 案内板
〇赤馬(駄馬)
吉良上野介義央は領国入りした時は「赤馬」にまたがり領地を視察し、気さくに領民に話掛けたと伝える。
赤馬
〇正覚寺(しょうかくじ)浄土真宗
石柱 山門 本堂
〇花岳寺(かがくじ)臨済宗
東条吉良氏の菩提寺として貞和3年(1347)に実相寺から仏海(ぶっかい)禅師が入山し東条吉良氏の保護を受けて栄えた。
本堂(国登録)は江戸時代初期の宗禅方丈の様式と伝える。
石柱 参道
赤馬(ゆるやかな影を刻む春の陽ざしである。その悠揚と伸びてゆく陽ざしの中をのろのろ動いてゆく赤馬のすがたの愉しさがおのずから象徴するものは上野介の人徳でもあった。
〇華蔵寺(けぞうじ)臨済宗
吉良氏はもともと西尾市下町の実相寺を菩提寺であったが、慶長5年(1600)吉良上野介義央の曾祖父義定がこの地に領地を得たときに菩提寺とした。文永8月年(1271)西条(西尾)城主吉良氏の菩提寺として第3代満氏が実相寺を建立した。
常夜燈
石柱 山門
参道
本堂
吉良公御堂
吉良家墓所 吉良上野介義央の墓
参道に咲く梅
以上