2022/11/17 奈良の圓成寺と木津川市の浄瑠璃寺と岩船寺を訪ねる。
春日井市にある『尾張文化の会』の会員28名と高蔵寺を8時頃出発して、勝川ICより東名阪経由にて五月橋ICで降り、名勝月ヶ瀬梅渓を通り国道368号に出て圓成寺、浄瑠璃寺、岩船寺を拝観し帰路に着いた。
京奈和道の木津ICより京滋バイパスを通過して名神高速道路より春日井市に戻って来た。(No438)
✿圓成寺(えんじょうじ)
天平勝宝八年(756)聖武・孝謙天皇の勅願により、唐僧虚瀧(ころう)和尚の開祖と伝えられているが、史実的には万寿三年(1026)命僧(みょうぜん)上人が十二観音を祀られたのが始まりである。
天永三年(1111)迎接(こうしょう)上人経源が本堂の本尊として祀った。
本尊は阿弥陀如来坐像(平安)国重文
石標
〇本堂(阿弥陀堂)(室町)国重文
文正元年(1466)栄弘阿闍梨が再建。
本堂は工事中です。
〇本尊は阿弥陀如来坐像(平安)国重文
天永三年(1111)迎接(こうしょう)上人経源が本堂の本尊として祀った。
〇楼門(室町)国重文
応仁二年(1468)の再建。
楼門
〇春日堂・白山堂(鎌倉)国宝
安貞二年(1228)奈良春日大社造営のさい、当寺の藤原時定卿(大社神主)が旧社殿寄進した、全国でも最も古い春日造社殿です。
春日堂・白山堂
〇庭園(平安)名勝
平安末期に寛編僧正が築いたと云う。
庭園と楼門
〇『相應殿』には多くの仏像がまつられている代表です。
・大日如来坐像(平安)国宝
安元二年(1176)運慶二十五歳頃の最初期作で坐高98.8cmです。
・四天王(鎌倉)国重文
建保五年(1217)国重文
康勝(運慶の四男)作ではないかと云う。
(撮影禁止)
✿食事場所
食事場所
食事場所の庭園
✿浄瑠璃寺(じょうるりじ)
寺伝(浄瑠璃寺流記(るき)国重文)によれば、永承二年(1047)当麻出身の僧義明(ぎみょう)上人を開基に阿知山大夫重頼を檀那(だんな)として創建されたと伝える。
創設時は薬師如来を本尊としたが、現在は九体阿弥陀仏を当寺の本尊とする。
嘉承二年(1107)現在の本堂(国宝)を建立し、京都一条大宮から三重塔(国宝)を治承二年(1178)に移設してきた。
浄瑠璃寺庭園(国史跡)は池を挟んで東岸(此岸・現世)に薬師如来を安置した三重塔、西岸(彼岸・来世)に阿弥陀如来を安置した本堂が対置する。中心に池は恵信(藤原頼道の子)が掘ったといい、州浜敷きの出島や中島を設け、中央の小洞には弁財天を祀る。池を挟んで「現世の苦しみを救う」東方薬師瑠璃光浄土(三重塔)と、「極楽往生を願う」阿弥陀極楽浄土(本堂)が向かい合い、まさに浄土世界を具体化した庭となっている。
石燈籠二基(国重文)は本堂前と三重塔前に阿弥陀仏と薬師仏のお燈明として池の両岸にある。
〇阿弥陀如来中尊像(国宝)藤原時代
〇九体阿弥陀如来坐像(国宝)藤原時代
〇四天王像(国宝)藤原時代
〇石標
石標
〇山門
山門
本堂
三重塔
燈籠
燈篭から覗く
州浜敷きの出島
州浜敷きの出島で「カワセミ」です。
✿岩船寺(がんせんじ)
聖武天皇の発願で行基が建立したと伝え、大同元年(806)知泉(空海の甥)が阿闍梨の位をつぐことを許すための灌頂をする道場を構え、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が子の仁明天皇生誕の機縁で伽藍を整え岩船寺と称した。
本尊は木造阿弥陀如来坐像(国重文)天慶九年(946)、その他、本堂内には木造四天王立像(府文化財)正応六年(1293)、厨子入木造普賢菩薩像(国重文)平安時代、他多く配置されています。
〇山門
山門
〇本堂
本堂
〇三重塔(国重文)鎌倉時代、嘉吉二年(1442)
三重塔
〇十三重石塔(国重文)鎌倉時代正和三年(1314)
十三重石塔
〇五輪塔(国重文)鎌倉時代
五輪塔
〇石室(国重文)鎌倉時代、応長二年(1312)
石室
〇厄除け地蔵菩薩
厄除け地蔵菩薩