人の細胞は生まれてから亡くなるまで何度も新しく入れ替わるそうです。
でも私たちは実際にそれを感じることも客観的に見ることもできません。
細胞が入れ替わっているとしても、私は私。
生まれてから今もずっと変わらない私がここに存在すると、ふつう思います。
また、ずっと変わらない自分でいることが安心なように思えます。
変わらないもの、不滅なもの、永遠に続くものへの憧れ。
それを求める脳の意識が、より快適な居心地の良い社会をこれまで作り上げて来たのかもしれません。
予め予測ができ、答えが導き出せる。= 変わらないもの。
誰でもそっちのほうに意識が向かいます。
なので、変化の絶えない不安定な自然現象には当然抗いたくなります。
その意識に偏りすぎてしまうと、もともと人は自然の生命体の一部であるという現実と矛盾することになります。
自然災害が年々ひどくなるのもその矛盾から生じた抗いの結果なのかもしれません。
変わらないものに意識が固執してしまう社会は、無垢な子どもにとっては過酷な環境です。
小さな子どもは自然そのもの。変化に絶えず新たな可能性を見出していく存在ですから。
変わらないでいることは滞っていること。
変わることは新たに生まれ変わること。
私の細胞も確実に生まれ変わり、老人力を年々増して来ています。
でも、将来無垢な老人にはなれそうにありません。
湯ノ花温泉にて
テルテル坊主とカエルが入り口でお出迎え。