じんべえ時悠帖Ⅱ

東京タワー秘話

 昭和33年12月、東京タワーが完成した。エッフェル塔を

抜いて、当時世界一の333メートル。

 同じ年の春、読売巨人軍に長嶋茂雄が華々しく入団した。

三塁、三番、背番号3で「3,3,3,3、ナガシマさん」と

いう歌?エール?が出来た。3が一つ多いのは語呂合わせ?

いや、太陽のサンだろう。

 

 この東京タワーの上部の鉄骨に、朝鮮戦争に使われた米軍

戦車のスクラップが使われているという。全体で4千トンの

鉄骨の約1/3になる。(朝日新聞土曜版「はじまりのみち」)

 東京タワーの建設が始まったのは、戦後まだ十年ちょっと、

日本の高炉メーカーはまだ貧弱で鉄は不足していた。戦争の

記憶も生々しい頃で、戦車が使われているとは言えなかった。

 

 東京・虎ノ門の高いビルに3年ほど勤務したことがある。

東京タワーから真北に約1キロ、夜空に浮かぶ東京タワーの

赤い灯りはすぐ横、手に取るように近かった。

 あれから二十年、間にビルが立ち並んでもう見えない

かも知れない。

 

 さて、松戸市の坂川沿いの河津桜、葉が出始めてちょっと

遅めの花見である。

 建て替え中の松龍寺、屋根の瓦工事が終って見事な

曲線を見せる。庫裏の庇は銅葺きである。

その参道、橋から上流を撮る人

 松戸神社の鳥居と石燈籠、左右の三つ穴の「逆さま」

はアリなのだ。自宅近所の神社はいつの日か同じ向きに

直してしまった。

 並木が始まる春雨橋の袂の親水公園まで辿って松戸駅に

向かう。バスが通るのは水戸街道である。

 

 

 

 

  


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
昭和三十年代の東京ですね。
私が板橋に住んだのは五十年代のはじめ。
三十年代の東京と言えば、「Always三丁目夕日」三部作が
懐かしいです。
都電が走る通りの向こう、東京タワーの下が出来始めている風景、
良かったですね。
jinbei1947
ワイコマ様
中学の修学旅行で東京タワーに登りましたが小雨で視界が効きませんでした。
板橋に住んでいる時に子供を連れて行きましたが、やはり曇り空でした。
「晩年」仕事で近くを通った時に晴れていたので登りました。
さて、東京スカイツリーはいつにするか・・・。
eme
出来たばかりの東京タワーに登ってみました。当時私は、渋谷区立鉢山中学校教諭の身分でした。今日は午後から、山沿いの小さな社で、祈年祭を奉仕します。[年々歳々祭相似たり 歳々年々人同じからず]
ykoma1949
東京タワー、確か私が中学生の時に東京の
親戚に行って、そこの叔母に連れて行ってもらいました。確か外に数時間並んでの見学
その後高校生の時も・・並んで入場、以来
東京タワーは、余り好きではなくなりました
今考えるとあの混雑ぶりは懐かしい思い出
そんな東京タワーの裏話・・知りませんでした
信州ではお金持ちの寺院や神社は総銅板葺き
のところが多くなっています。耐震性を考えて
いるのでしょうね
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