金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

地球史の地質時代名に「チバニアン」 国際学会が決定

地磁気は1830年代に観測開始され以来、一貫して弱くなり続けています。
このまま低下し続ければ、近い将来に地磁気の逆転が実際に起こるかもしれないという。
その際には地磁気のバリアが弱体化し、世界の送電網や携帯などの通信網、そしてGPSや気象衛星、衛星通信など、現在高度化して欠くべからざる情報インフラがダウンして大混乱に陥るかもしれないとされる。
過去の地磁気の逆転と生物の大量絶滅には、相関関係が見られないと云いますが、情報化した現在の人類社会との関係では、どうなるのでしょうか。特に現代のお金は、貨幣現物は少なくほとんどが数字として銀行で扱われているので、情報途絶が起こると現代社会はほぼ即死するのでは、個人としてはコンビニで、目の前にものがあっても、買いたくても買えなくなってしまう。
こうしたことを未然に防ぐために、松山らが開いた地磁気逆転の研究は、これからいよいよ重要度を増して来るようです。

地磁気逆転の発見
 松山の仮説は発表当時は、その意義はまだ未解明で、学会に受け入れられず、注目を集めることも無かったようだ。
日本で「地磁気逆転の発見者」といえば松山の名が挙がりますが、正確には松山が発表するおよそ20年前の1906年に、フランスの物理学者ベルナ―ル・ブルンが発表したのが最初です。
ブルンの発表も松山と同様に評価を受けられず、この後地磁気についての研究発表をやめてしまっていたという。
松山の発表から20年以上経って事実が受け入れられた
地磁気が逆転してきたという事実が受け入れられるのは、松山が発表してから20年以上経った1950?1960年代になってからのことでした。

京都大学の教授であった松山基範は、兵庫県の玄武洞の溶岩が現在とは逆方向に磁気を帯びていることを発見しました。さらに古い溶岩も調べた結果、地球は地磁気の逆転を何度も繰り返してきたとの推論に達しました。そして1929年に論文として「時代の変遷とともに地磁気が逆転を繰り返してきた可能性がある」ことを世界で最初に報告しました。
ブルンは磁極が逆転していた時代がかつて一度あったとの推論でしたが、
松山は地磁気逆転がくり返し起きていたと指摘していたことが評価されるという。

このような経緯があるのであれば、縄文時代の金生遺跡・大配石での太陽暦発見でも、
認められるようになるまでには相当な時間が必要だろう。
縄文文化のイメージは既に確立されていることから、世代の問題とすれば
縄文研究者の2世代、40年ほど掛かるのだろうか。最近はもっと長寿命だから60年 還暦ほど掛かるのか。それでは余りに遅すぎ。どうすればそれを加速できるのだろうか。

    図はお借りしました

 

完全な太陽暦の完成は、人新世開始のエポックとなるのかとも思うので
太陽暦の確立は何時なのか、文明社会と農耕開始のための重要要素であり、
これにより農耕が確立されて、文明が始まり地球環境に影響するまでに人類の力は強大化するに至り、問題を引き起こしているとされる現在に至っている

 

引用ーーーーーーーーーーーーーー

千葉県市原市の養老川沿いにある地磁気逆転の地層。ここからチバニアンと命名された(写真:holyphoto/PIXTA)c 東洋経済オンライン 千葉県市原市の養老川沿いにある地磁気逆転の地層。ここからチバニアンと命名された(写真:holyphoto/PIXTA)
日本の科学技術力の低下が懸念されていますが、歴史をたどると日本で発明された優れた科学や技術がたくさんあります。今回はその中から、日本の地名が由来となった地質時代の名前「チバニアン」の命名秘話についてRikaTan(理科の探検)誌編集長の左巻健男氏編著『世界が驚く日本のすごい科学と技術』から一部抜粋・編集してお届けします。
2020年に日本の地名を冠した時代が誕生
2020年1月17日。77万4000年前?12万9000年前の時代名を「チバニアン」と呼ぶことが決定しました。地球の歴史に初めて日本の地名を冠した時代が誕生した瞬間です。

【図で確認】「チバニアン」はいつの時代なのか?

46億年の地球の歴史を示す時代を地質時代といいますが、「古生代」とか「中生代」のような「~代」という名称がよく知られています。これをもう少し細かく示すときは「ジュラ紀」、「白亜紀」といった「?紀」で表します。「国際年代層序表」では、これをさらに細分化して116の時代に分けられていて、それぞれ名称がつけられています。

この表は国際地質科学連合の国際層序委員会が作成し、時代の境目が世界でいちばんよく観察できる場所を「国際境界模式層断面とポイント(GSSP)」と指定し、「ゴ―ルデンスパイク」と呼ばれる金色の鋲(びょう)を打ってそれを示しています。

そしてこのGSSPが置かれた場所の名称が時代名となります。とはいうものの、GSSPや名称が決まっていない時代もわずかに残っていて、チバニアンも承認されるまでは、そんな時代の1つでした。

チバニアンを正確に記すと、新生代―第四紀―更新世―チバニアンとなります。第四紀は比較的寒く、「氷期(極地の他に北アメリカ北部やヨ―ロッパ北部も分厚い氷が覆った時期)」と「間氷期(比較的暖かくて極地のみが氷で覆われた時期)」が数万年周期で交互に訪れる時代です。

出所:『世界が驚く日本のすごい科学と技術』c 東洋経済オンライン 出所:『世界が驚く日本のすごい科学と技術』
そんな中で、チバニアンはわれわれの祖先である現生人類が生まれた時代でした。約50万年前に現生人類の近縁種であるネアンデルタ―ル人が現れ、それより少し後の30万年前に現生人類が生まれました。

ネアンデルタ―ル人は約4万年前に絶滅しますが、チバニアン時代の中ごろから終わりには、ネアンデルタ―ル人と現生人類が共に暮らしていました。チバニアンはわれわれ人類にとって、とても身近な時代なのです。

今回のGSSPおよび時代名の認定については、日本以外にイタリアの2地点が手を挙げていました。

当初、GSSPとして日本が認定されるのは難しいと考えられていました。それは新生代が始まる6600万年前からチバニアンの時代まで、GSSPはすべて地中海沿岸地域に置かれ、他の地域の地層が選ばれた例がなかったからです。つまり、この時代のGSSPは地中海に置くことが常識なので、そのまま行けばイタリアが圧倒的に有利でした。

それを覆したのは、松山基範(1884~1958)の名を冠した「松山―ブルン逆転境界」の存在でした。---中略---

現在とは逆方向の磁気を帯びる溶岩を発見
京都大学の教授であった松山基範は、兵庫県の玄武洞の溶岩が現在とは逆方向に磁気を帯びていることを発見しました。
火成岩はマグマが冷えて固まってできますが、このときに含まれていた磁鉄鉱などがその時代の磁極方向を向いて固まり、岩石全体が弱い磁石になります(これを残留磁気あるいは古地磁気といいます)。玄武洞の火成岩に残された過去の地磁気の記録は、かつての磁極が現在と反対だった、つまり方位磁針のN極が南を指していた時代があったことを物語っていました。

松山はさらに日本各地や朝鮮半島、そして中国北東部まで出かけ、溶岩のサンプルを多数採取して調べました。すると、最近できた溶岩は現在と同じ方向に磁化していましたが、古い溶岩は逆向きでした。
さらに古い溶岩も調べた結果、地球は地磁気の逆転を何度も繰り返してきたとの推論に達しました。そして1929年に論文として「時代の変遷とともに地磁気が逆転を繰り返してきた可能性がある」ことを世界で最初に報告しました。
しかし、松山の仮説は学会に受け入れられず、注目を集めることはありませんでした。日本で「地磁気逆転の発見者」といえば松山の名が挙がりますが、正確には松山が発表するおよそ20年前の1906年に、フランスの物理学者ベルナ―ル・ブルンが発表したのが最初です。
ブルンの発表も松山と同様に不評で、この後地磁気についての研究発表をやめてしまったので、おそらく松山はブルンの成果を知らずに独自の研究で同じ結論を得ていました。また、ブルンは磁極が逆転していた時代がかつて一度あったとの推論でしたが、松山はくり返し起きていたと指摘していたことが評価されています。

松山の発表から20年以上経って事実が受け入れられた
地磁気が逆転してきたという事実が受け入れられるのは、松山が発表してから20年以上経った1950?1960年代になってからのことでした。このころ可能になった溶岩の詳細な年代測定により、世界各地の正・逆に磁化された岩石は、同時期のものはすべて同じ向きに磁化していることが判明したのです。

地磁気逆転は、
プレ―トテクトニクスの証明に貢献し、新しい地層の年代測定法としても重宝されています。
さらに、将来的な不安に対する備えとしても重要だと考えられています。
というのも、地磁気が逆転する際に地磁気が極端に弱くなるからです。地磁気は宇宙からの放射線や太陽からの太陽風(電気を帯びた粒子の流れ)から地球を守るバリアの役目をしています。地磁気の逆転が生じる際、このバリアが薄くなってしまうのです。

太陽フレアによって起こった大停電
例えば1859年に太陽の表面で大規模な爆発(フレアといいます)が起こったとき、大量の太陽風が地球を襲いました。このとき、すでに電化が進んでいたアメリカやヨ―ロッパの送電線や変電所に過電流が流れ、電信ネットワ―クがダウンしました。

今日でも1989年のフレアによりカナダのケベック州で大停電が引き起こされた例や、地磁気の弱いエリアで人工衛星が故障する事例が数多くあります。地磁気のバリアが薄くなってしまえば、こうした事態が頻発する可能性があるのです。

地磁気は1830年代の観測開始以来、一貫して弱くなり続けています。このまま低下し続ければ、近い将来に地磁気の逆転が実際に起こるかもしれません。その際には地磁気のバリアが弱体化し、世界の送電網や携帯などの通信網、そしてGPSや気象衛星、衛星通信などがダウンして大混乱に陥るかもしれません。

幸い、過去の地磁気の逆転と生物の大量絶滅には相関関係が見られませんが、小さな絶滅や生命の進化との関係は今も調べられています。こうしたことを未然に防ぐために、松山らが開いた地磁気逆転の研究は、これからもより重要度を増しているのです。
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われわれはいま第四紀完新世(第四間氷期)にいるのだが、
クルッツェンらは、いやいや、われわれはいま第四紀人新世にいるのではないかと言ったのである。
 もしそうだとしたら、これまで地質年代は太陽の活動や巨大隕石の落下や地球温度の変化や海洋事情などの、地球の内外におこった自然条件によってステージングされてきたのだが、「人新世」という提案によって、われわれは有史史上初めて「文明や人為のかかわりによって生まれた地質年代」にいるということになる。
 気温上昇、インフルエンザ流行、オゾンホール問題、温室効果ガス蔓延、エイズの大流行、SARS、MARS、コロナの流行は、そういう第四紀最後の地質年代の喘ぎだということになる。
資本主義がこれほど高度に爛熟しているかのようなのに、飢餓や貧困がなくならないことも、
この数十年の人新世が新自由主義、金融工学の流行、マッドマネーの狂乱、ネット資本主義の蔓延などと結びついている可能性がある。
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人新世(じんしんせい[1]、ひとしんせい[1]、英: Anthropocene[1])とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている、地質時代における現代を含む区分である[2]。オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年にAnthropocene(ギリシャ語に由来し、「人間の新たな時代」の意)を提唱し、国際地質科学連合で2009年に人新世作業部会が設置された[2](後述)。和訳名は人新世のほかに新人世(しんじんせい)[注釈 1]や人類新世[5]がある。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大[6]、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる[7]。

人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている[8]。
人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、
1900年頃、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある[9][10]。
人新世の最も若い年代、特に第二次世界大戦後は社会経済や地球環境の変動が劇的に増加しており、この時期はグレート・アクセラレーション(大加速)と呼ばれる[注釈 2][12]。


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