価値観ややり方が違う「だけ」で争うことが多いと思う。例えば、ハワイのマウナ・ケア山で起きている「宇宙のことをもっと知りたいから展望台を作りたい人(対)自然を守りたいからその建設を阻止したい人」やアメリカ本土で起こっている「違法な移民を食い止めるのに物理的な壁を建設したい人(対)移民の人権を守ることも含め、法律で管理したい人」
違いがあるのは当たり前だ。同じ国(アメリカ)でも、生まれ持った性格や育った環境が違ってくる。逆に違いがない、洗脳された社会の方が不気味だ。でも、その価値観ややり方への想いが強くなりすぎると、それとは違う、それに賛成しない人に対して嫌悪や怒りを抱き始め、最悪暴力や戦争にまで発展する。
自分にとって相手(違い)が悪に見える時は、相手からも自分(あなた)は悪に見えている。お互い様だ。でも、それが個性であり、自分のアイデンティティーだ。悪ではない。それを理由に嫌悪や怒りを持ってはいけない。違いがあって当然だ。それより、相手が何故自分とは違う価値観を持ち、違うやり方をしたくなるのかを理解する努力が必要だ。相手も自分が信じる何かのためにやっていることだから。
お互いに理解を深め、両者が納得する(妥協ではない)「第三の道」を模索することこそ、個性の先にある「進化」だと思う。自分を進化させるヒントは、自分と違う価値観ややり方にこそある。
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