いやなに, 1977年1月10日が今の会社の前身にワタシが入った日なんです.あの日からちょうど30年たちました. 採用時期が変則的だったこともあって配属先の新規採用はワタシ一人.とても目立ちました. 入社式に親の出席可とあったので,非常に恥ずかしかったのですが,田舎の母を連れて行きました. 20歳になるまで世話になった人に勤務先を見てもらうのも良いかと考えてのことだったのですが,そのことで職場では一時マザコンと勘違いされていたようです (^_^;)
初めて歩く大手町の路上で界隈のビジネス街の風景にビックリし,勤め先のビルの大きさにまたビックリしたことをよく覚えています.あれは逓信総合博物館のあたりだったか...
入社の決まったのが前月の末だったのでそれまで夜間だけ勤めていたテレビ工場のライン責任者に急な退職を申し訳なく思いながら報告すると祝いの言葉をもらいました. 当時在籍していた専門学校をあわただしく夜間に切り替えて,入社後も3月まで通ったことなども思い出されます. 今考えると当時の一般の方の就職に比べるとかなり変則的な就職事情ですね.
現在,サラリーマンとしてはそろそろ定年が視野に入り始める時期ですが,その時までこのまま好きなことをやりながら田舎勤務が続けられればいいなと思っています. まぁ,現場の技術屋は田舎にいても技術革新の波を避けることは不可能ですし少人数なので専門にかじりついていることも出来ないのでむしろキツイくらいです. でも都会の暮らしに比べると地域社会とのかかわりがある分変化があって生活を楽しめるような気がするのです. 地域といえば一人息子は今春中学卒業.いろいろと忙しかったPTA活動からはいったん足を洗えそうです.
今日はとりとめもないお話でした.
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦すところ
楽しまざるをこれ如何せん
写真は大島では有数の規模の神社・・・ と言ってもこの程度. 神津島にはこの数倍規模のものがあります.
大宮神社