大島の空の下で

伊豆大島在住の中年のおっさんのブログです.日々の出来事を綴っていきます.一部は mixiとマルチポスティングしています.

硫黄島

2007-01-16 01:57:58 | Weblog


昨年後半からクリントイーストウッド監督の作品が盛んにとりあげられています.文藝春秋の今月号には現地司令官だった栗林中将の最後は部下の反乱よることを示唆する記事があります. そんなこんなでなにかと硫黄島が話題なのでワタシ自身の記憶を備忘のため記します.

「父親たちの星条旗」・「硫黄島からの手紙」. 今回の二作は未見ですが,20年以上前,C-1ジェット輸送機で硫黄島に行きました. 一時的ですが深夜一人で,すり鉢山のふもと付近の建物でも仕事をしました. その時まわりに見える人工物は数キロ離れた隊舎の灯りと巨大鉄塔の航空標識灯だけでここで数万人が戦死したということがにわかには信じられない静けさでした.

日中の空き時間に滑走路付近を探索したところ,すぐ近くに露天掘でドラム缶10本分位の大穴があり,中に入ってみるとかなりの熱さでした.隊員の方に聞いたところ天然サウナとして使用しているとのこと. そのときは良い物があるなと思っただけでした. その後戦記を読んで当時の状況や西中尉のエピソードを詳しく知り,渡島前に読んでおけばよかったと悔やみました.
攻防戦は塹壕・トンネルを駆使して行われたと聞いていますがあれに倍する熱さの中を耐えて戦闘を持続することの困難さは,いかばかりだったかと思われます.

管制塔と隣接した隊舎の裏側がちょっとした崖になっていて下に10メートル四方ほどの大きなトーチカが残っています.ここは全滅直前まで陸戦隊本部として使用されていたものだそうです.

コンクリート製の壁の厚さは1メートルほどで,外壁面には機銃や迫撃砲によると思われる無数の炸裂痕やヒビ割れがありました.この中で敗北を意識しながら着弾の衝撃に耐えるのはどんな気分だったかと想像してかなり暗い気分になりました.

おりから遺骨収集団が来島していて,収集したアルミ水筒やガラス瓶,タイヤ等の遺品・ 遺骨らしき白いものの混じった土等等が内部に集積してありリアリティある想像となりました.

20年前当時,かの地を訪れる業者は花束持参で慰霊碑に見舞うことが恒例でしたが,こっちのトーチカの方が亡くなった方たちをしのぶにははるかに有効だったと思います.