「プレイバック '70」リーダーのブログ(アーカイブ)です!

35年間の活動休止を経て、2010年に再結成したバンド「プレイバック '70」のことを色々と書きます

『我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ3のパート2)』を完結処理しました

2015年12月29日 | 音楽
我がバンド活動のアーカイブ《フェーズ3のパート2:2013/1~2015/12》を完結処理しました。

2016/1から2018/12までを
我がバンド活動のアーカイブ《フェーズ3のパート3》とすることで
新たな記事を《準備中》として起こしました。

さらに、このブロブの全体整理として
過去(1965~2012年分:フェーズ1~フェーズ3のパート1)の記録も順番に並べ替えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ3:パート2) 【2015/12/28版】

2015年12月29日 | 音楽
◇◇◇我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ3:パート2)◇◇◇

私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いています。

☆フェーズ3(2009年~Forever)のパート2(2013/1~2015/12)☆ ・・・少々長文です。

 □2013/1から2015/12までを「フェーズ3:パート2」とします。

 □バンド活動にのめりこんで行く自分を、ちょっと引いて見てみると、
  バンド活動が無くなったら「どうなるか?」心配のこの頃です。
  よって、バンド(メンバー)を大切にし、細く長く続けられたらと思っています。
  そして(フェーズ3:パート1)で記載したように、
   ・2021年に「白い風」結成50周年コンサート、
   ・2023年に「飛行船(Sound Circus)」結成50周年コンサート
  を行うまでは上り調子で頑張りたいと思うこの頃です。
  さらに、2025年の秦野市/市制制定70周年記念イベントで
  秦野の歌「With youありがとう」を再び演奏したいと思います。

**********************************************************************************
【2013年1月~12月】
 再結成から3年経ち、いつまで経っても未完成曲多々ですが、
 レパートリーも30曲を越え、出演イベントも多岐に渡るようになってきました。

 ☆特に、5月26日(日)に開催した自前の「第3回PB70FDフォークコンサート」は
  第1回が定員24席の会場、第2回が定員40席の会場に比べて
  一気に背伸びして定員150席(補助席含め183席)の会場「タウンニュースホール」
  で行ない、結果は満席でした。予想外の嬉しい悲鳴でした。

 ☆上記コンサートの事前宣伝が、
  初めてマスメディア(神奈川新聞紙面/Web、タウンニュース紙面)に掲載されました。

 ☆7月28日(日)のイオン秦野SC「ふれあいステージ」は2ステージの単独ライブで
  スタッフがFM湘南の方々だったので、
  後日、初めてラジオ(FM湘南)で収録編集がオンエアされました(年内に9回)。

 ☆10月から、新メンバー(昔のバンド仲間)が加わり、5人から6人編成になりました。
  新メンバーにはカホン(時々ベース)を担当してもらい、パーカッションを強化しました。

 □2013年は下記のイベントで演奏しました。
  ・01月 丹沢ブルーグラス新年会 at秦野市「ほうらい会館」
  ・02月 秦野市本町公民館まつり「あふたーぬーんコンサート」at秦野市本町公民館大会議室
  ・03月 秦野市「里山まつり」 at秦野市野外活動センター広場
  ・04月 第3回「湘南軽音楽Festa」 at大和市渋谷学習センター多目的ホール (IKOZA内2F)
  ・04月 カフェラウンジ「スナヤマ」ライブ at渋沢駅南口「Yスクエアビル2F」
  ・05月 カフェラウンジ「スナヤマ」ライブ at渋沢駅南口「Yスクエアビル2F」
  ・05月 第3回PB70FDフォークコンサート at東海大学駅南口「タウンニュースホール」
  ・07月 第2回「カントリーとフォークの休日」 at秦野市北公民館大会議室
  ・07月 イオン秦野「ふれあいステージ」 at イオン秦野SC くすの木広場
  ・08月 秦野市平和の日「ピースキャンドルナイトつどいコンサート」at 秦野市文化会館
  ・08月 老人福祉施設納涼祭 at 山北町
  ・09月 第4回「湘南軽音楽Festa」 at 大和市渋谷学習センタ(IKOZA内2F)
  ・09月 第4回「湘南軽音楽Festa」《打上げ懇親会》 at 大和市渋谷学習センタの近隣
  ・09月 第66回秦野たばこ祭「ミュージックフェスタ」 at 秦野市役所西庁舎駐車場
  ・10月 渋野ライブ秋出演(1回目)at渋沢駅南口「Yスクエアビル2F」
  ・11月 第39回北公民館「まきの木まつり」at 秦野市北公民館大会議室
  ・11月 第4回野外活動センターフェスティバル at 秦野市野外活動センター広場
  ・11月 第36回ビッグマウンテンオープリー(BMO) at 伊勢原市民文化会館小ホール
  ・12月 2013 in 大道イルミネーションフェスティバル at 秦野市栄町公園
  ・12月 マンション自治会Xmas会 at 厚木市内マンション「リヴァージュ21」
  以上2013年のイベント出演の記録を
  別記事「我らプレイバックの2013年イベント出演の記録」に写真入りで掲載しています。
  【2010/2011年、2012年版もあります】

 ☆自前コンサートの、初めてのマスメディア掲載記事(事前宣伝)を記念に掲載します。
  2013年05月26日(日)実施の 第3回PB70FDフォークコンサート at東海大学駅南口
  「タウンニュースホール」の記事です。
  ・タウンニュース【紙面】(2013.05.23掲載):黒色で加筆の囲み枠部分
   

  ・神奈川新聞【紙面】iバザール(2013.05.22掲載):黒色で加筆の囲み枠部分
   

  ・神奈川新聞【Web】iバザール(2013.04.20掲載)
   

**********************************************************************************
【2014年1月~12月】
 再結成から4年が経ち、常時演奏可能なレパートリーも40曲を越え、
 出演イベントも定着してきたようです。

 ☆今年は昨年(2013年)と同様に19のイベントに出演しました。
  (活動を再開した2010年が1回、2011年が5回、2012年が10回)

 ☆今年のトピックス
  ・「渋野ライブ」が閉店のため春出演で終わってしまいました。
    全レパートリーを試し演奏できる場だったので残念でした。
  ・「ブルックスライブ」を立ち上げました。
    非常にいい感じで気持ちよく演奏できる場なので
    来年以降もこの場を大切にしたいと思います。
  ・「サマーフェスティバル(盆踊り舞台)」に初参加しました。
    観客は酒が入っているので盛り上がりましたね。
  ・「年金受給者誕生日会」に初参加しました。
    懐かしの曲のプレイバック演奏だったためか
    涙を流しているような方がいたのが印象的でした。
  ・「老人福祉施設ボランティア」を初めて実施しました。
    「こういうのは東京に行かないと聴けないね」と
    喜んでくれたおばあさんが印象的でした。
  ・昨年7月に実施の「イオン1st.ライブ」の収録が
   本年3月までに「FM湘南ナパサ」で12回オンエアされました。
   本年10月に実施の「イオン2nd.ライブ」の収録は
   年内に4回オンエアされ、来年も継続と思います。
   記念に2014年12月の放送カレンダーを掲載します。
   
   12月10日(水)と12月22日(月)が我らバンドの放送でした。

 □2014年は下記のイベントで演奏しました。
  ・01月 丹沢ブルーグラス新年会 at秦野市「ほうらい会館」
  ・02月 渋沢駅南口「渋野ライブ」at渋沢駅南口「Yスクエアビル2F」
  ・02月 本町公民館まつり「あふたぬーんこんさーと」at秦野市本町公民館大会議室
  ・03月 ブルックス1st.ライブ atブルックス大井事業所無料喫茶室
  ・04月 湘南軽音楽フェスタ at大和市渋谷学習センタ(IKOZA内2F)
  ・04月 渋沢駅南口「渋野ライブ」at渋沢駅南口「Yスクエアビル2F」
  ・07月 北公民館「カントリーとフォークの休日」at秦野市北公民館大会議室
  ・07月 老人福祉施設納涼祭 at 山北町
  ・08月 秦野市平和の日「ピースキャンドルナイトつどいコンサート」at 秦野市文化会館
  ・08月 サマーフェスティバル at堀山下東自治会/広場
  ・09月 湘南音楽フェスタ at大和市渋谷学習センタ(IKOZA内2F)
  ・09月 秦野たばこ祭「ミュージックフェスタ」at 秦野市役所西庁舎駐車場
  ・10月 イオン秦野「ふれあいステージ」《FM湘南オンエア》
  ・10月 北公民館まきの木まつり at秦野市北公民館大会議室
  ・11月 野外活動センターフェスティバル at 秦野市野外活動センター広場
  ・11月 年金受給者誕生日会 at秦野市南公民館大会議室
  ・12月 渋沢公民館まつり at秦野市渋沢公民館大会議室
  ・12月 老人福祉施設ボランティア(Xmasコンサート)at 山北町
  ・12月 ブルックス2nd.ライブ atブルックス大井事業所無料喫茶室
  以上2014年のイベント出演の記録を
  別記事「我らバンドの2014年イベント出演の記録」に写真入りで掲載しています。
  【2010/2011年、2012年版、2013年版もあります】

**********************************************************************************
【2015年1月~12月】
  再結成から5年が経ちました(5周年記念)。
  35年間の活動休止を経ての再結成のため、
  練習・イベント出演でメンバーが集まると未だに昔に戻った感覚が継続しています。
  老体に鞭打って青春しています、たぶんこの先も同様ですね。

 ☆今年は一昨年(2013年)および、昨年(2014年)の記録(19回)を更新して
  25のイベントに出演しました。
  (活動を再開した2010年が1回、2011年が5回、2012年が10回)

 ☆今年のトピックス
  ・秦野市/市制施行60周年記念「With you ありがとう リレーコンサート」に
   2回(1月の2回目と12月のFinal)出演すると共に、
   独自の普及活動として、この歌(With you ありがとう:秦野の歌)を
   23のイベントで披露しました。
  ・秦野市内の11の公民館を巡回する「公民館巡回コンサート」を立ち上げ
   第1回は西公民館、第2回は上公民館、第3回は堀川公民館で実施しました。
   2016年2月に第4回(南が丘公民館)を予定しています。
  ・湘南地域を移動して行なうフェスタ「湘南 Light Music Festa」を立ち上げ
   第1回は茅ヶ崎、第2回は秦野で実施しました。
   2016年4月に第3回(大和)を予定しています。
  ・今年はイオン秦野くすの木広場「ふれあいステージ」に4回オンステージし
   定着してきました。
   来年以降も年2回(5月と10月)、エントリーしたいと思います。
  ・ブルックス大井「ブルックスライブ」も定着してきました。
   来年以降も年2回(6月と12月)、エントリーしたいと思います。

 □2015年は下記のイベントで演奏しました。
  ・01月 With you ありがとう リレーコンサート[野外]
  ・02月 あふたぬーんこんさーと
  ・02月 公民館巡回コンサート 1st. in 西公民館
  ・03月 南が丘公民館まつり[野外]
  ・03月 厚木なよたけライブ
  ・04月 湘南 Light Music Festa 1st. in 茅ヶ崎
  ・05月 ビッグマウンテン・オープリー
  ・05月 秦野バンド・ジョイントライブ[野外]
  ・06月 ブルックス 3rd.ライブ with 丹沢マウンテン・ボーイズ
  ・06月 公民館巡回コンサート 2nd. in 上公民館
  ・07月 カントリーとフォークの休日
  ・07月 福祉施設納涼祭
  ・08月 ピースキャンドルナイトつどいコンサート
  ・08月 南が丘ウェルシー夕涼み会[野外]
  ・09月 フォークとカントリーの集い
  ・09月 西田原地区敬老会
  ・09月 丹沢アートフェスティバル活活祭[野外]
  ・09月 たばこ祭まほろばショー[野外]
  ・10月 まきの木まつり
  ・10月 湘南 Light Music Festa 2nd. in 秦野[野外]
  ・11月 公民館巡回コンサート 3rd. 」堀川公民館
  ・11月 野外活動センターフェスティバル[野外]
  ・12月 渋沢公民館まつり発表会
  ・12月 ブルックス 4th.ライブ
  ・12月 With you ありがとう Final コンサート[野外]

**********************************************************************************
以上で、
フェーズ3(2009年~Forever)のパート2(2013/1~2015/12)を閉じます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ3:パート1)【2013/12/28版】

2015年12月29日 | 音楽
◇◇◇我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ3:パート1)◇◇◇

私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いてみます。

☆フェーズ3(2009年~Forever)のパート1(2009/秋~2012/12)☆ ・・・少々長文です

 人生は予想外のことが起きるものだ。
 まさか、もう一度バンドを組むなんて(ギターを弾き、唄うなんて)考えもしていなかった。

【2009年秋】
 昔のコンサートの録音テープをデジタル化することを始めました。
 最初は「録音テープが錆びて聴けなくなってしまうのではないか」との単純な心配から
 作業を開始したのですが、
 録音を聴きながら作業をしているうちに、もう一度バンド活動をしたいとの気持ちが
 起きてきました。
 実家に帰った際に押入れを探したら、昔の12弦フォークギターが見つかりました。
 早速持ち帰って弦を交換して弾いてみましたが、全然弾けない(指は動かない、
 コードは忘れる)状態でした。
 諦めかけたのですが、もう一度バンド活動をしたいとの気持ちが勝り、
 地道にひとり練習を継続しました。

【2009年11月】
 本当にご無沙汰の昔の仲間、アマチュアフォークバンド団体「KFG(神奈川フォーク
 集団)」に所属していたメンバーのうち、連絡が付き/都合の良い12名で
 「懐かしのKFGバーベキュー大会」を実施しました。
 とにかく懐かしかった。40年近く前の仲間たちだったが、昨日の出来事のように
 あの頃のことが思えて来ました。
 そして、ますますバンド活動の再開を願うようになりました。

【2010年1月】
 1971年結成のバンド「白い風」の男1名と、1973年結成の男2名/女1名に声掛けし、
 演奏活動の再開の打合せを実施しました。
 すると、全員が待っていたかのように同意してくれ、男4名/女1名のバンドが
 結成されました。
 
 公民館で練習するために、公民館に団体登録しました。
 団体名は「1970年ころのフォークをプレイバック演奏し、あのころの夢と活力を
 再現しよう」との思いから、「プレイバック ‘70フォーク夢」としました。
 略称はPB70FD(Play-Back around nineteen-Seventy’s Folk-song for Dreaming)です。

【2010年2月】
 2010年2月から市内の公民館で練習を開始しました。
 活動休止から34年(最後のコンサート出演から35年)、ここに活動を再開しました。
 本当に久しぶりの演奏だったので、とても人様に聴かせられる状態ではなかったのですが、
 本当に新鮮な、そして懐かしいバンド活動の再開となりました。

 その後、昔のレパートリーを中心に、月に2回の練習を繰り返しました。

【2010年10月】
 秦野市北公民館の「まきの木まつり」に出演し、4曲演奏しました。
 1975年の「KFGコンサート」出演以来の、35年ぶりの人前での演奏となり、
 昔の仲間も応援に来てくれたので、感無量でした。

 その後、ますますバンド練習に力が入るようになりました。

【2011年5月】
 秦野市北公民館の音楽室で「第1回PB70FDフォークコンサート」を開催しました。
 これは、我々の成果発表の場として企画した単独ライフでした。
 この日のために、およそ1曲/月(月2回練習)の強行スケジュールでレパートリーを増やし、
 粗製濫造の未完成曲多々だったのですが、13曲演奏しました。

【2011年8月~11月】
 5月の「第1回PB70FDフォークコンサート」の勢いにのって、更にレパートリーを増やし
 以下のイベントに出演しました。
  ・2011年08月 秦野市平和の日イベント「ピースキャンドルナイト」コンサート
◆初参加で、5曲演奏しました。
  ・2011年09月 秦野「たばこ祭」ミュージックフェスタ
◆初参加で、7曲演奏しました。
  ・2011年10月 秦野市北公民館「まきの木まつり」
◇2回目の参加で、6曲演奏しました。
  ・2011年11月 秦野市「市民の日」ステージパフォーマンスショー
◆初参加で、3曲演奏しました。
以上で2011年のイベント出演を終了しました。

【2012年1月~】
 2012年1月からは、月2回練習から月3回練習に増やし、相変わらず公民館で練習しました。
 レパートリーが増え、年齢相応の記憶力劣化による覚えの悪さを改善するための、対処でした。

【2012年5月】
 秦野市本町公民館の音楽室で「第2回PB70FDフォークコンサート」を開催しました。
 今回も単独ライブで、相変わらず、およそ1曲/月のペースでレパートリーを増やし
 粗製濫造の未完成曲多々だったのですが、24曲演奏しました。
 聴く方も、演奏する方も、24曲は限界でしたが、限界チャレンジのつもりで挑戦しました。

 次回からは、曲目を絞り、ゲストを迎える等の工夫が必要になると思いました。
 また、色々なイベントに対応できるレパートリー数になってきたので、
 この先は数曲/年にペースダウンしてレパートリーを追加し、質の向上に努めたいと思いました。
 といっても、「覚えては忘れる」の繰り返しで、質の向上は永遠の課題のようです。
 でも、いつまで経っても満足できる完成領域に至らないのが、
 「張り合いがあるのではないか」と勝手に思っています。

 ☆このコンサートの前に、神奈川新聞の日曜版に連載されていた
  「団塊びと(ひらり放課後)」に投稿し、
  まさかの結果として、ライターの取材を受け、「第2回PB70FDフォークコンサート」の
  リハーサル時に写真撮りを行い、ライターの方は最後まで聴いていただきました。
  余談ですが、このライターの方は当方の小学校の後輩であることが後で分かりました。
  そして、6月17日(日)の神奈川新聞「団塊びと(ひらり放課後)」に、我々のこと
  (コンサートのこと等)が掲載されました。
  バンド活動再開の記念すべき出来事になりました。

  コンサートでの話(記事の内容)の通り、
  「白い風」結成50周年の2021年、「飛行船(Sound Circus)」結成50周年の2023年までは
  上り坂調子でバンド活動を継続し、その後は緩やかに老後対応に移行したいと
  思うようになりました。

【2012年6月~2012年12月】
 その後、以下のイベントに出演しました。
  ・2012年06月 秦野市北公民館主催「カントリーとフォークの休日」コンサート
◆初参加で、たっぷり9曲演奏しました。
  ・2012年08月 秦野市平和の日イベント「ピースキャンドルナイト」コンサート
◇2回目の参加で、5曲演奏しました。
  ・2012年08月 山北町老人福祉施設「納涼祭」
◆初参加で、4曲演奏しました。
  ・2012年09月 秦野「たばこ祭」ミュージックフェスタ
◇2回目の参加で、6曲演奏しました。
  ・2012年10月 秦野市北公民館まきの木まつり
◇3回目の参加で、4曲+1曲(フィナーレ)演奏しました。
  ・2012年11月 秦野市表丹沢野外活動センターフェスティバル
◆初参加で、たっぷり9曲演奏しました。
  ・2012年11月 第34回ビッグマウンテンオープリー
◆初参加で、4曲演奏しました。終演後は打上げ懇親会で楽しみました。
  ・2012年12月 秦野市渋沢公民館まつり
◆初参加で、たっぷり7曲演奏しました。

★★★以上2012年のイベント出演の記録を別記事「我らバンドの2012年イベント出演の記録」に
   写真入りで掲載しています。


こうして、私のバンド活動の軌跡フェーズ3(2009年~Forever)は開始されました。
そして、先ずは2009年~2012年12月までを”パート1”として記録しました。

この後(フェーズ3・・・”パート2”:2013年1月から)が始まります。

フェーズ3・・・”パート1”の記念品を公開します。
 ◇2012年6月17日(日)の神奈川新聞「団塊びと(ひらり放課後)」に掲載された我々の記事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ2) 【2013/12/30版】

2015年12月29日 | 音楽
◇◇◇我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ2)◇◇◇

私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いてみます。

☆フェーズ2(1971年~1976年)☆ ・・・少々長文です

【1971年9月】
 この年の春、生まれ育った静岡県から神奈川県に移り住み、
 その後、市内で音楽好きの友人と巡り合い、男3人のフォークバンドを結成しました。

 バンド名は、当時メジャーデビューしていた「赤い鳥」を真似たのか
 (記憶は定かではないが)、暫定名「赤い鳥居」でした。

【1971年12月】
 バンド名を「赤い鳥居」から「白い風」に改名し、本格的な練習を開始しました。

 フォークギター2本、ウッドベースの構成で、
 私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
 この時のベースマンと私が、現「プレイバック‘70フォーク夢」のメンバーです。
 サイドギターとボーカル担当だったもう一人のメンバーは、
 その後の「白い風」解散後に残念ながら若くして病死しました。
 主なレパートリーは、「五つの赤い風船」「六文銭」「かくや姫」ほかのコピーと
 オリジナル曲でした。

【1972年9月】
 経緯は定かではないのですが、
 「白い風」のベースマンを会長として(2代目は私だったかな)、
 アマチュアフォークバンド団体「KFG(神奈川フォーク集団)」を立ち上げ、
 1972年9月に第1回KFGコンサートを開催しました。
 記念写真を追加掲載します。
 ■1972.09【白い風】第1回KFG(秦野市青少年会館)
  

【1973年4月】
 これまた、経緯は定かではないのですが、「白い風」を解散することになり
 (当時は、グループをつくっては解散することが流行っていた気がしますが)、
 1973年4月の第4回KFGコンサートが解散記念となりました。

【1973年9月】
 「白い風」解散後に、会社の同僚と男3名/女1名のフォークバンド「飛行船」を結成し、
 途中で女性メンバーが入れ替わって、9月に最終メンバーが確定しました。

 この最終メンバーが、現「プレイバック‘70フォーク夢」の男4名中の3名と女1名です。
 楽器編成は、主としてフォークギター2本、エレキベース、
 タンバリン等のパーカションで(曲によってはフルート、ピアニカなども使用)、
 ボーカルは主として男2名と女1名で行いました。
 私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
 主なレパートリーは、「かくや姫」「六文銭」ほかのコピーでした。

 過日、この私のブログでタイトル「写真掲載の練習(40年前の練習小屋の現状)」
 にて紹介した練習小屋を神奈川県南足柄の山の中に建て、
 共同生活をするが如く練習に励みました。

 1973年11月の第6回KFGコンサート、1974年4月の第8回KFGコンサートなどに
 出演しました。
 記念写真を追加掲載します。
 ■1973.12【飛行船】駿河小山の山中
  

 1974年4月の第8回KFGコンサートのライブ録音は、
 LPレコード(カッティング製法)にして保存しました。

【1974年7月】
 その後、バンド名を「飛行船」から「Sound Circus」に変更し、
 1974年7月のKFGコンサートで再出発しました。

 メンバー変更もなく(男3名/女1名のまま)、基本的な楽器編成/レパートリーは
 同じでしたが、先々のサウンド変更を目標にしていたと記憶しています。
 KFGコンサート、生まれ育った静岡県での凱旋?コンサートなど、
 活発な演奏活動を行いました。

【1975年5月】
 「Sound Circus 1st.アルバム」を作成しました。
 6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダーを使用して録音し、
 カセットテープに収めました。
 全曲とも、当時のプロアーティストの曲を我々なりにアレンジしたものでした。
 カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
  ◇RL1001 ,Sound Circus 1st ,Produced by Music Trails Company ,May 1975
    A1 ひとりきり  (原曲:かぐや姫)
    A2 夏の日の忘れもの (原曲:ダ・カーポ)
    A3 私は広い海に出る (原曲:五つの赤い風船)
    A4 へのへのもへじの赤ちゃん (原曲:六文銭)
    B1 今はちがう季節  (原曲:かぐや姫)
    B2 比叡おろし (原曲:小林啓子)
    B3 加茂の流れに (原曲:かぐや姫)
    B4 ボクの胸でおやすみ (原曲:かぐや姫)
    B5 突然さよなら (原曲:かぐや姫)
 ◇Produced by Music Trails Company at EIJI-PELTE STUDIO ,
  Recorded at Green Hill Studio

 その後、リードギターを12弦フォークギターから6弦エレキアコースティックに
 変えることにより、今までのアコースティックなフォークとは若干異なる、
 エレキティックなサウンドに変えるようになりました。
 そして、徐々に我々の仲間が創ったオリジナル曲を中心に演奏するようになりました。
 記念写真を追加掲載します。
 ■1975.05 【Sound Circus】 南足柄のGreen Hill Studio周辺
  

 
【1975年10月】
 1975年10月に実施のKFGコンサートは仲間のバンド「酒乱Ⅱ」の解散記念で、
 友情出演しました。
 そして結果的に、我々「Sound Circus」にとっても、
 人前での最後の演奏となりました。
 
 その後、仲間のバンドも徐々に活動を停止し、
 KFG(神奈川フォーク集団)は活動休止状態となりました。
 それぞれが仕事に、そして結婚して家庭に、注力するような世代になり、
 引き潮の如くバンド活動から離れていったと記憶しています。
 KFGコンサートは全11回実施し、個人単独も含む名簿登録バンドは30バンド、
 会員54名でした。

【1976年7月】
 その後も、我ら「Sound Circus」は、神奈川県南足柄の山の中の練習小屋で
 練習を続け、「Sound Circus 2nd.アルバム」を作成しました。
 1st.アルバムと同様に、6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダー
 を使用して録音し、カセットテープに収めました。
 2nd.アルバムは全曲とも、我々の仲間のオリジナル曲を我々なりにアレンジ
 したものでした。
 カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
  ◇RL1002 ,Sound Circus 2nd ,Produced by Music Trails Company ,
   July 1976
    A1 恋の空中戦 (作詞:yando,作曲:mtagu)
    A2 3月24日の湖 (作詞・作曲:jtagu)
    A3 胸さわぎ (作詞・作曲:jtagu)
    A4 たとえば時計が本当ならば (作詞・作曲:jtagu)
    A5 さよならなんて言わないで (作詞:msuzu,作曲:eayu)
    A6 想い出は青空の彼方に (作詞・作曲:taki)
    B1 やり直しの人生 (作詞・作曲:jtagu)
    B2 かげろう (作詞・作曲:ksuzu)
    B3 思い出は今ふたたび (作詞・作曲:noki)
    B4 エミチャン (作詞・作曲:mtagu)
    B5 小犬のビーバー (作詞・作曲:tnari)
    B6 夏の夜は更けて(ブルースター) (作詞・編曲:jtagu)
  ◇Produced by Music Trails Company ,Recorded at Green Hill Studio

 その後、我ら「Sound Circus」も活動休止となりました。

 以上のフェーズ2の活動に並行して、
 会社の独身寮のお祭りや、会社のダンスパーティで演奏する
 寮祭バンド(イベントの直前にメンバーが集まり練習)もやりました。
 エレキギター、エレキベース、ドラムス、キーボード、クラリネットなどで構成し、
 女性ボーカルを中心に唄うバンドでした。
 バンド名は当初「ティンカーベルとメロディーフェアー」でしたが、
 その後も同じバンド名だったか記憶が定かではありません。
 私は主としてエレキベースと時々ボーカルを担当し、
 ビートルズの曲(Something, The long & winding load,
 I saw her standing there)などを唄いました。
 特に「I saw her standing there」はベースを弾きながら唄うとノリノリで
 とても気持ちよかった記憶があります。
 そして、このバンドもいつしか自然に活動休止となりました。

こうして、私のバンド活動の軌跡フェーズ2(1971年~1976年)は終わりました。
青春時代の終わりでもあったと思います。
この後(フェーズ3)は、およそ35年後の2009年から始まります。

フェーズ2の記念品を公開します。
 ◇1974年4月の第8回KFGコンサートの「ライブ録音LPレコード」のレコードとジャッケット
 
 ◇1975年5月に作成した「Sound Circus 1st.アルバム」のカセットとジャケット
 
 ◇1976年7月に作成した「Sound Circus 2nd.アルバム」のカセットとジャケット
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ1) 【2013/12/30版】

2015年12月29日 | 音楽
◇◇◇我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ1)◇◇◇

私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いてみます。

☆先ずはフェーズ1(1965年~1971年)☆ ・・・少々長文です

【1965年】
 たぶん、下記(1966年3月)の行事でのサプライズ演奏をターゲットのひとつとして、
 エレキギター等を購入し、ひそかに練習を開始したような気がします。
 今にして思えば、
 そのころ映画館で見た加山雄三さんの「エレキの若大将」に影響されていたようです。

【1966年3月】
 中学校行事「3年生を送る会(正式な名称は記憶が定かではない)」で、
 私(3年生)と近所等の友人(1年生、2年生もいたかな?)で構成した確か男4人のエレキバンド
 (エレキギター2本、ベースギター、ドラムスの構成だったかな?)でベンチャーズの曲
 (パイプライン、ダイアモンドヘッドとか)を演奏したと記憶しています。
 バンド名は無かったのか、記憶から消えたのか不明ですが、
 私はエレキギターを担当し、曲によってリードとサイドを弾いたと記憶しています。
 当時、エレキは不良のシンボルの一つだった気がしますが、
 我々は真面目な音楽好きだったと思います。

【1966年3月~】
 記録もなく、記憶も定かではないのですが、
 最初のエレキバンド(ベンチャーズのコピーバンド)をしばらく続けました。

 その後、当時の流行を追いかけるように和製ポップスを唄うグループサウンズの
 コピーバンドに変貌しました。
 バンド名は今にして思えばちょっと格好悪いですが、「ザ・シルバーナイツ」で、
 私はエレキギター(リードギター)と一部ボーカルを担当したと記憶しています。

【1968年12月~】
 経緯は定かではないのですが、
 アマチュアバンド団体「CAP(Creation And Playing association)」を立ち上げ、
 1968年12月の第1回CAP演奏会、および1969年2月の第2回CAP演奏会に
 「ザ・シルバーナイツ」として出演しました。

 その後、「ザ・シルバーナイツ」のメンバーだった「胸毛ちゃん(愛称)」とふたりで、
 これも当時の流行を追いかけるが如く、フォークソング風のオリジナル曲を唄う男2人
 のバンド「ジュンと胸毛」に移行しました。

 その後、バンド名が「ジュンと胸毛」ではカッコ悪いためか、
 最初のエレキバンドのメンバー(後にこのバンドのメンバーになる友人)が
 「TWICE」というバンド名を付けてくれました。

【1969年7月~】
 1969年7月の第3回CAP演奏会、および1969年10月の第4回CAP演奏会には、
 この男2人のフォークソング(モドキ)バンド「TWICE」として出演しました。

 その後、メンバーが入れ替わり、
 最終的には男3名女1名の本格的?なフォークソングバンド「TWICE」に移行し、
 PPM(ピーター・ポール&マリー)のコピーバンドとなりました。

【1970年1月~】
 この男3名女1名の「TWICE」は
 1970年1月の第5回CAP演奏会、および1970年4月の第6回CAP演奏会ほか、
 地元の桜まつり、教会等での活発な演奏活動を行いました。
 記念写真を追加掲載します。
 ■1970.04【TWICE】三島遺伝研桜まつり
  

【1970年6月】
 第4回「全日本ライト・ミュージック・コンテスト」地区ブロック・オーディションに出場し、
 PPMの「Come and go with me」ほかを演奏してフォーク部門で入賞し、
 県大会への出場権を得ました。
 しかしながら、今となっては理由が定かではないのですが、「TWICE」を解散することになり、
 県大会に出場することなく、同月実施の第7回CAP演奏会を「さよならTWICE解散記念演奏会」
 として解散しました。

 その後もCAP演奏会は継続し、「TWICE」の残党?も出演しました。

【1971年1月】
 1971年春を目指して各々の新しい道も決まり、
 1971年1月の第10回CAP「CAP解団記念音楽祭」をもって、
 アマチュアバンド団体「CAP(Creation And Playing association)」を解団しました。
 全10回のCAP演奏会の延べ出演グループ数は41組、延べ出演者数108人でした。

以上が私のバンド活動の軌跡フェーズ1(1965年~1971年)で、今から40年以上前の出来事でした。
この後(フェーズ2)は、生まれ育った静岡県から神奈川県に場所を移して始まります。

フェーズ1の記念写真を公開します。
 ◇第4回「全日本ライト・ミュージック・コンテスト」地区ブロック・オーディションの
   フォーク部門に入賞時の賞状と盾
   
 ◇友人が作ってくれた「CAP」のポスター
   
 ◇友人が作ってくれた「TWICE」のポスター
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする