気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月16日 (月) #2 竹富島散歩

2023年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
泉屋に着いてから一服した後、島の案内も兼ねてみんなで散歩に出掛けた。この散歩の間にお互いの素性等を話し合っていた。私と一緒に歩いていた娘は佐藤明美といった。大分県日田市から来ていると云う事だった。少し前を歩いていたのはテツペイさんと先生。ほぼ同じ位置に(下船後)桟橋から一緒だった女の娘二人。その様なメンバーで西桟橋からコンドイ(浜)へ向った。明美の友達は前日からの日射病の為一人で寝ていた。
気が付くとテツペイさんと先生が先を、次いで女の娘二人。後から私と明美の二人が、其々少しづつ間隔を開けて別々に歩いていた。途中雨が降り、この四ヵ月の間にコンドイ浜に設置された屋根の下で雨宿り。鬱陶しさを感じるどころか、逆に楽しめる雨だった。再び歩き始める頃、コンドイ浜に人影は無く私と明美の二人きりであった。みんな何処へ消えたのだろう?
でも私にしてみれば、そんな事はどうでもいい事だった。他の者よりは一足早い夏の煌めく陽射しを浴び、この日本中の何処よりもステキな海を見て、爽やかな潮風を浴びている。何を話していたのか思い出せはしない。ただその時空の中を漂っていただけだった。
東の桟橋迄出るとまた(この竹富に)着いた時と同じ道を辿り、郵便局に差し掛かる頃食事をする事で意見が合った。既にお昼をだいぶ回っていたので、丸八食堂で遅い昼食にお腹を満たさせた。二人共焼きそばを注文したのだけれど、これだけで十分だった。
まだまだ早い夏の日とは言え、内地より気温の上がっているこの南の島。躰の火照りを冷ます様なここでの冷たい水の一杯がとても美味しかった。
この小さな食堂を出ると今度は泉屋の裏手の道をミサシの方へと歩き、岩場で撮影したりしながら西の桟橋に向かい歩いた。食後の腹ごなしとしては適当な散歩だった。それにしても午後三時過ぎの昼食というのも妙なものだ。しかしこれ迄の八重山での事を思い出してみると、「これも成り行き」的に考えられる。

「不自然」という言葉が、ここでは時々内地と同じ場面に必ずしも当てはまらない事が有る。一種のカルチャー・ショックに似た様なものである。それが時折り旅人にとっては都合良く作用する事が有る。

これから先の行動予定やその希望などを尋いていた時だった。
「あの娘は西表島に行きたいらしいけれど、私は石垣島を観てみたいの」
「西表はその気になれないの?」「そうじゃなくて、時間がかかるでしょ?行きたいとは思うけど、どうせ行くならゆっくりと観たいから…。それに石垣島は前から観て廻りたいって思っていたし…」
「八重山イコール石垣ってイメージが強いんだ?」
「う〜ん、どうかなァ、そうかも知れない」
「大体そういう人達って多いみたい」
「そうなの?」
「うん、私の知ってる限りではね。でも全体的にみても、その傾向は有るみたい」
「ジュンさんは石垣島を良く知ってるの?」
「良く…って程じゃないけれど、海博の頃波止場近くに、ホラ、朝廻った辺りに住んでいたから…、まあ大体は分かるつもりだけれど」
「ふ〜ん、そうなの。何処を観て廻ったらいいのかしらね?」
「そうねぇ、川平って聞いた事有る?」
「うん、何処かのパンフレットで見た事あるわ」
「内地の人は大体行くみたい。当然みんな旅行者だけど。とてもいい処で、本当に分刻みで海の色が変っていくんだけど、それがまた信じられない程でね。言葉じゃ何って言っていいのか判らないけど、とにかくいい処。一度は行くべき処だと思うなぁ、うん。それからバラビドーとか…。あっ、これはパイン農園で、パインの食べ放題になってて、…そうだァ、一緒に廻って案内しようか?」
「ええ…いいの?本当?」
「うん、本当サァ〜」
「良かったァ、どうしようかなァ…って、ずっと考えてたの」
「ああ、そうなの。…で、行くとしたらいつがいいの?」
「…うん、そうと決まれば早いほうがいいわね」
「じゃ、明日は?」
「そうねぇ、いいわ。そうしましよう」
…という事になり、私は明美と共に明日石垣へ行く事になった。

楽しかった今回の竹富での第一日目も、やがて落ちる夕陽と共に幕を降ろす。夕食時に窓の外の光景がほのぼのとした日没を知らせてくれる。食後の一服をしていた時、昼間の話しの確認のつもりで話してみた。
「明日は何時の船にしようか?」
「そうねぇ、日帰りなら時間が惜しいからァ、なるべく早めの時間ね」
「午前中…十時の船でいいね」
「いいわよ」
石垣を観てみたいと言った明美。案内役をかって出た私。
ちゃんと案内出来るのだろうか?!
ちょっと不安が残らないではない…。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿