橋下・河村らの最終的目論見は、『道州制』以外の何物でもない。二重行政の無駄、これを廃した新たな制度を掲げてはいるが、耳触りの良い事を並べ立てているだけのマインド・コントロールでしかない。確かに現在の行政の中には国民不在の利権政治が闊歩している側面もある。が、しかし、それを正すに当たって、道州制度しか無いのかと云えば、余りにも了見が狭すぎる・・としか言いようがない。と云うよりは『愚かな下剋上狙い』と言わざるを得ない。
無駄を省くこと自体反対はしない。しかしその前に思い出すべき事が有る。世に言う「平成の(大)市町村合併」だ。あの愚かな行為は何を齎したのかを、今一度振り返ってみる必要が有る。隣り合う小さな市町村が幾つかずつ合併した事に由り、その自治体は大きくなり税収などは増えたものの、豊かになった恩恵を受けられたのは、人口が増えた地域であり、その一方では増々過疎地域が増えてしまったのです。当然、行政サービスは悪化し、人の集まらない所は置いてけぼりを食う始末。形が変ろうと規模が変ろうと、取り残される人々はそのまま居続けるのだ。が、その半面、豊かになれる者はその機会を広げられる。そればかりではない。人が減り過疎化が進めば、その土地その土地の昔から続いてきた文化・風習なども消え去ってしまう。言ってみれば日本の文化が消え去ってしまう事にもなるのだ。それを『時代の流れだ』と、けんもほろろに受け流してしまっても良いものだろうか。
道州制とはその様な日本特有の文化を破壊する事をいとわず、富めるものだけに焦点を当て、取り残される人々を顧みる事もしない、目先の事しか考えない愚策なのだ。日本は合衆国ではない。国土の狭い島国なのである。その狭い土地の中で今更土地分割による政策転換などと言うのは、まともな日本人の考え方ではない。
政治がおかしいのは、二重行政が起こるのは47都道府県制が原因ではない。世界中どこでも起きている事だ。問題はそういった『体制』などではなく、政治家の資質そのものである筈だ。それを変えずして『オラが大将』になる事しか考えないボンボンやボンクラなどに、一体何が出来るというのだ。知名度だけでは世の中を変えられない。『下剋上』など、夢のまた夢でしかない。国民の願っているのは全く別のものである事に気が付くべきだ。賢明なる国民が「本当の政治」に気が付いた時、元弁護士の口の上手さも方言丸出しのシャガレ声の押しも、直ぐに効き目を失うだろう。
大阪・中京を『都』にしなくても、政治家次第で日本は変れるのだ。これ以上日本を区分けする道州制も必要ない。いや、日本古来の文化・風習・伝統を守る為にもやってはいけないのだ。日本人の心を捨て去る行為は決して許されるものではない。
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