本の感想

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科挙(宮﨑市定著 中公文庫)

2024-01-11 23:48:53 | 日記

科挙(宮﨑市定著 中公文庫)

 私は受験生であった頃、受験勉強の間に聊斎志異を読みふけったことがある。大抵は科挙を受ける受験勉強中の人物が登場して、ちょっといけないことをして そのいけないことをした相手が幽霊になって(お菊さんの皿の枚数を勘定するようなもので)受験生がえらい目にあわされたりする筋立てになってるのが記憶に残っている。受験生のくせしてそんなことするのはいかがなものかと思っていた。きっと親がカネを出すのを良いことに趣味で何回も受けているのがいるはずで、科挙の時代でも案外のんびりしていたのではないかという印象を当時はもっていた。実際お金持ち階級の中には趣味のように受けているヒトは居るもので、還暦どころか七十歳で合格した人までいるそうである。これでは、試験に合格してから大儲けを働けないではありませんか。

 市定さんの「科挙」は勿論真面目な学術書風の内容であるが、科挙の試験中に(試験は布団持ち込みの泊まり込みで行われるそうだが)受験生がいけないことをした相手の人の幽霊が出てくる話がいくつも紹介されている。本当にあった話のようである。(本当に幽霊が出たのではなく、本当にうなされた受験生がたくさん居たという意味である。従って聊斎志異は作り話ではなく、実話に近い。)

 この本を読んでいるうちに、きっとこうではないかと思うことが三つある。いずれもこの本の著者にも同意してもらえる内容だと思っている。

 第一に、最初はよく言われる通り貴族政治の弊害を取り除くためであったが、科挙を行うと人々(と言っても豊かな階層だけであるが)自分の費用で勉強してくれる。国家が学校を設立する必要がない。(実際は形だけはあったそうであるが)これは国家財政にとって大変プラスである、ということで科挙が歴代王朝で重要な制度として受け継がれた。

 第二に、試験内容に変化進歩がなかったので自然と文字文化が保守的になった。日本も朝鮮半島もインドシナ半島ももとは漢字文化圏であったのに、あの画数の多い漢字を使いこなせない。そこでそれぞれ変化してしまったのに、中国は試験科目であるから変えるわけにいかなかった。これはややマイナス点かもしれない。

しかし漢字を用いる文書を用いる各地方がすべて中国の版図に入るのであるから、これは戦わずして皇帝の威徳の及ぼす範囲を広げるという作戦で、現にこれで版図を広げた。戦わずして勝つという孫子がほめそやすいい作戦である。

 現に、広州まで行くと言葉の分からない私でさえ北京とは全く違う言語であることが分かる。これだけ言葉が違うのに同じ国であるのは、同一漢字文化圏だからであろう。行政文書は同じ形式で南北同じように通用するからだと思う。

 第三に、保守的な勉強とはいいながら独特のレトリックを皆が寄ってたかって磨きに磨いたと思う。その功徳は、今の我々も有難く受け取っていそうな気がする。読んだことないから知らないが、受験生が勉強した漢詩文にも四書五経の考証の中にも磨かれたレトリックは今も脈々と受け継がれているのではないかと思っている。

 東洋では孔子のいう六芸(礼楽射御書算)を学んだ。ここには西洋のリベラルアーツにある修辞がない。しかし、漢文には見事な修辞がある。科挙によってみな修辞を自然と学んだのであろう。科挙のなかったわが国では、どうも文章が平板になってしまって何を読んでも面白みに欠けるように思うがどうか。

 

 弊害ばかりが言われるが、科挙にはいいことも沢山あったのではないかというのが読後感想である。


小説 清玄坊の出奔②

2024-01-10 14:08:02 | 小説

小説 清玄坊の出奔②

黒川の決断は実に早かった。市役所は自分の隣に住んでいるヒトが大卒で行っているから一緒になるのが嫌で寺に行くと決めた。次の日は土曜日であったので朝からその墨で書かれた紙を持って寺に出かけた。寺の入り口には拝観料五百円を徴収する係の若い女のヒトが座っているので紙を見せて来意を告げると、奥の方から作務衣を着た髪の毛を普通に伸ばした初老のヒトが出てきて案内されたところは、受付の裏にある事務室である。

大きなソファに腰かけて、作務衣の人は聞かれもしないのに真っ先に自分は何とかという有名な国立大学の法学部を出て大きな銀行に勤めていたが、事情あってこの寺の事務長になったんだと聞かれもしないのにしゃべりだした。まだ心が幼かった黒川は、この作務衣のヒトの心境を理解することができない。作務衣のヒトは、黒川に自慢しても無駄ということが分かるまでずいぶんな時間を浪費した。

この長い時間の浪費の挙句に

「仕事は、ご住職が朝昼晩三回のお勤めをするときに、衣装を着せたりお勤めをなさっているときに姿勢を正して斜め後ろに正座しているのが主な仕事であとは多少の掃除の仕事がある。お経はおいおい読めるように勉強してくれたらいい。給料は安いがいい仕事だぞ、詳しくは兄弟子に聞くがいい。どうだやるか。やるなら早速今日の昼からやってほしいんだが。前のが、駆け落ちしていなくなってしまったからヒトが居なくて困っている。やるなら今日の分から日割りで給料をだすがどうだ。うん名前は清玄坊がいい。玄とは玄妙の玄の字を使う。うちはみな苗字の一時を取るんだ、しかし黒川の黒を使う訳に行かんからな。」

と名前まで一気に考えてくれた。黒川は、まさか今日からやるわけにもいかないので、正式に退職した後で再び来るとだけ返事して帰った。

その後黒川が退職して、割り増しといってもささやかなものだが退職金を受け取った次の日の朝のことである。その日の朝から寺で勤めることになっていたのだが、黒川の姿は忽然と消えた。同時に寺の拝観料受付の女の子も消えた。作務衣のヒトは大騒ぎしたが、黒川の母親はなぜか泰然自若としていた。二人が駆け落ちであることは確実であった。母親は居場所を知っているに違いないのだがそれを喋ることは決してなかった。

ところで作務衣のヒトは、年に数回いや十数回かもしれない、東京の歓楽街をほっつき歩くのが唯一の楽しみであった。寺から離れているので知り合いには会わないであろう。東京の有名な国立大学を卒業し、メガバンクに就職したのである。本当なら今頃は本社に残ってバリバリ仕事をしているか、たとえ天下りでももっといいところへ行っているはずの身であるのにこんな仕事をしているのがみじめで、そのみじめを忘れるために歓楽街を歩くのである。大学入試前の模擬試験では全国二位の成績であったのにである。

それから三年ほどしたころのことである。いつものようにほっつき歩いているある夕方、歓楽街の目立つ場所に、大きな看板があって「清玄坊拉麺店」とある。大きくて清潔な店で、お客が数人並んで待っているほど流行っている。この時作務衣の人(と言ってもこの時は作務衣を着ているわけではないが)は、その入り口で並んで待っているお客をさばいている黒い服を着ている人物が黒川に似ているんだが、そんなはずはないと自分に言い聞かせる努力をした。

次の日の朝早く、作務衣のヒトは(こんどは作務衣を着て)門前の黒川の家がどうなっているのか見に行ったところ、家は取り壊されて猫のひたいほどの土地に草がわずかに生えているだけであった。近所の土産物屋の前を掃除しているおばさんに尋ねると、東京に出ていった息子さんが成功したのでお母さんを呼び寄せ、今は東京のどこかに住んでいるはずだということであった。この時作務衣のヒトは、自分の人生が失敗であったと思い込んで、深く落ち込んだ。小さいころから毎晩夜遅くまで塾に通ったのは何の役にも立っていないではないかと愕然とした。作務衣のヒトの給料は決して低くはなかったし、この大きな寺を一人で切りまわしていたので世間からは仕事のできるヒトとされていたのにである。

作務衣のヒトが、辞表を出していなくなったのはその日の夕方である。初老の妻だけがひとり淋しく家に残されたという。


小説 清玄坊の出奔①

2024-01-07 15:38:38 | 日記

小説 清玄坊の出奔①

 黒川孝彦は、母一人子一人の境遇である。父親に会ったこともない、今ドコにいるかもしれない、ただおじさんが一枚の写真を手渡しこれが父親だと告げたことがあった。写真では大変な美男子であった。親子はある大きな寺院の門のそばに小さな家を借りて住んでいる。母親は保険の外交をやっていたが最近は売り上げが落ちてきて生活は苦しく、先の見通しも立たない状況であった。

地元の高校三年生であった黒川は一も二もなく就職を希望した。それはこの境遇だからというわけでもなく単に勉強が嫌いだったからである。この境遇は、就職を選ぶにはちょうど良い口実であった。それに黒川は父親似の美男子である、この子が東京の大学に出てはどんなことをしでかすか分からぬと母親は心配した。貧しくても手元に置きたかった。

地元のといっても十キロばかり離れた自動車部品の会社に正規の社員採用になったのは彼を含めて二人であった。朝早くに迎えのマイクロバスが家の近くまで迎えに来る、残業で遅くになっても同じバスで送ってもらえる。給料は、残業代を含めると驚くような額であった。母親に相当額を渡すと残りは全部貯金に回すことができたので一年間でかなりの額を貯めることができた。何に使おうというわけではない、ただ貯金のある生活をしてみたかっただけである。

高校の時の同級生で大学に行った友人が就職するころのことである。黒川の工場では急に派遣工員が居なくなって残業もなくなった。送り迎えのバスの送迎も中止になったし、昼ごはんの質が目に見えて悪化してきた。テカテカしていた社長の頭がくすんだ感じになってきたころ、希望退職募集の張り紙が工場内に掲示された。はじめは五十歳以上であったが、それが四十五歳四十歳と年齢が下がってきた。電気自動車が売れ始めたので、ガソリンエンジンの部品である黒川の会社はかなりの苦境に立ったようである。

 まだ希望退職が四十歳以上の者になっていたころのことである。人事部長が黒川を呼び出し、二、三枚の書類を示した。それは市役所からの職員募集の募集要項であった。給料は悪くないし残業もない。きっと今まで法人税でお世話になった会社に、少しでもお返ししようと市役所の連中が特別の便宜を図っているのであろう。

「何で僕にですか?」

「若いのでないと新しい仕事は無理なんだ。だからこうやって若いヒトにも声をかけている。もう私も含めて年寄りはこの会社と一緒に倒れることになるかもしれん。大きな会社なら新しい分野を開くこともできるが、ウチはこれ一筋だからな。今なら退職金を二倍にするがどうかな。」

三十万円が六十万円になってもさして嬉しくもないが、しばらく考えてみるとだけ返事した。部長はその書類にさらに一枚墨で書かれた書類を重ねて

「これは君の家の近くのあの寺からの求人だ。給料安いしいろいろ制約があるから気に入らないだろうがまあ一緒に見ておいてくれ。市の職員の仕事はこっちから頼み込んだものだが、寺の仕事は向こうから頼むからヒトを回してくれと言ってきているんだ。」

と言った。


映画 perfect days

2024-01-02 21:17:49 | 日記

映画 perfect days

 日本映画ながらヨーロッパ風の作り方をしている。フランスならもっと人間に対して皮肉な見方をするはずで、木を大事にする趣旨もあるからドイツ風かもしれない。ハリウッド映画の資本こんだけつぎ込んだんだから回収させてくれよなというあざとさや、観客の方もこんだけの見世物をこの値段で見れて幸せとかいうケチ臭い根性とは一切無縁の、淡々としているけど観客の心の中に眠っている何ものかを掘り起こすいい映画である。日本でも本物の映画作れることをまざまざと見た。

主役は殆どセリフなしで、音と映像だけでその立場状況人柄までを説明する。日本のお能に似た演出でこれは見事である。見せ場は最後の(車内で)主人公の笑いがこみあげてくるところにあって、主役俳優のここの演技を見せたくて長い前置きがある。その前置きはこの主役の笑いのこみあげに、効果を発揮している。われわれが布袋さん戎さんを拝むのは、こんな幸せそうな顔をしたいからであるが、布袋さん戎さんがなぜ幸せそうなのかは知らない。その幸せの中身を知ると布袋さん戎さんの有難味がきっと増すであろう。その(といっても主人公のであるが)幸せの中身を説明する映画である。これあってこそ観客は幸せな気分を共有できるのである。普通はこの程度のことでは、(少なくともわたしは)幸せを感じない。しかし、長い前置きのおかげでいい感じに共有できた。

主役の演技は凄いものがあるが、役作りの時間が無かったんだろう。もう少し疲れた感じと出さないと現実感が出ない。一番いけないのは、脇役のミスキャストまたは練習不足である。もっと時間とおカネをかけて脇役を鍛えないといけない。小学校の学芸会にプロの主役一人だけが出演しているちぐはぐなところがある。

むかしアランドロンの映画では脇役が皆 主役より演技が上手でかつ存在感をうまく調節して主役を喰わない。そういう作り方をしてほしかった。