科挙(宮﨑市定著 中公文庫)
私は受験生であった頃、受験勉強の間に聊斎志異を読みふけったことがある。大抵は科挙を受ける受験勉強中の人物が登場して、ちょっといけないことをして そのいけないことをした相手が幽霊になって(お菊さんの皿の枚数を勘定するようなもので)受験生がえらい目にあわされたりする筋立てになってるのが記憶に残っている。受験生のくせしてそんなことするのはいかがなものかと思っていた。きっと親がカネを出すのを良いことに趣味で何回も受けているのがいるはずで、科挙の時代でも案外のんびりしていたのではないかという印象を当時はもっていた。実際お金持ち階級の中には趣味のように受けているヒトは居るもので、還暦どころか七十歳で合格した人までいるそうである。これでは、試験に合格してから大儲けを働けないではありませんか。
市定さんの「科挙」は勿論真面目な学術書風の内容であるが、科挙の試験中に(試験は布団持ち込みの泊まり込みで行われるそうだが)受験生がいけないことをした相手の人の幽霊が出てくる話がいくつも紹介されている。本当にあった話のようである。(本当に幽霊が出たのではなく、本当にうなされた受験生がたくさん居たという意味である。従って聊斎志異は作り話ではなく、実話に近い。)
この本を読んでいるうちに、きっとこうではないかと思うことが三つある。いずれもこの本の著者にも同意してもらえる内容だと思っている。
第一に、最初はよく言われる通り貴族政治の弊害を取り除くためであったが、科挙を行うと人々(と言っても豊かな階層だけであるが)自分の費用で勉強してくれる。国家が学校を設立する必要がない。(実際は形だけはあったそうであるが)これは国家財政にとって大変プラスである、ということで科挙が歴代王朝で重要な制度として受け継がれた。
第二に、試験内容に変化進歩がなかったので自然と文字文化が保守的になった。日本も朝鮮半島もインドシナ半島ももとは漢字文化圏であったのに、あの画数の多い漢字を使いこなせない。そこでそれぞれ変化してしまったのに、中国は試験科目であるから変えるわけにいかなかった。これはややマイナス点かもしれない。
しかし漢字を用いる文書を用いる各地方がすべて中国の版図に入るのであるから、これは戦わずして皇帝の威徳の及ぼす範囲を広げるという作戦で、現にこれで版図を広げた。戦わずして勝つという孫子がほめそやすいい作戦である。
現に、広州まで行くと言葉の分からない私でさえ北京とは全く違う言語であることが分かる。これだけ言葉が違うのに同じ国であるのは、同一漢字文化圏だからであろう。行政文書は同じ形式で南北同じように通用するからだと思う。
第三に、保守的な勉強とはいいながら独特のレトリックを皆が寄ってたかって磨きに磨いたと思う。その功徳は、今の我々も有難く受け取っていそうな気がする。読んだことないから知らないが、受験生が勉強した漢詩文にも四書五経の考証の中にも磨かれたレトリックは今も脈々と受け継がれているのではないかと思っている。
東洋では孔子のいう六芸(礼楽射御書算)を学んだ。ここには西洋のリベラルアーツにある修辞がない。しかし、漢文には見事な修辞がある。科挙によってみな修辞を自然と学んだのであろう。科挙のなかったわが国では、どうも文章が平板になってしまって何を読んでも面白みに欠けるように思うがどうか。
弊害ばかりが言われるが、科挙にはいいことも沢山あったのではないかというのが読後感想である。