全国の塾長日誌読者の皆様、こんにちは。
今朝、大学に入って以来最も軽い体重を記録したおだです。
さて、今日で筆者の塾長日誌担当は最後ということなのですが、まずはお花見のクルー紹介が最後まで終わっていないという失態を犯していることに気付いたため、クルー紹介からさせていただきます。
COX水本。
今一番勢いに乗っている1年生COXと言われているMIZUMOTOです。
割と思っていることをはっきり言うので筆者としては話しやすい後輩の一人です。
「BOWはシートレース野郎か?」という名言を今日の練習中にも残してくれました。
まあまだまだなところもありますが、冬から春にかけて成長を続けています。
ちなみに身長を伸ばすこともまだ諦めていないようで夜な夜な牛乳を飲む姿が目撃されていたりします。
いよいよ明日からお花見レガッタです。
1年生3人はよくがんばっています。私もこやつらと共に艇速に貢献するのでよろしくお願いします。
筆者は半年以上にわたり塾長日誌を書かせていただいていたわけなのですが、それも本日で最後です。
今後、自分で新しくブログを始めようなんてことは全く思わないですが、なんやかんやブログを書くのも悪くは無かったと思います。
正直に言うと、必ず奥田さんがコメントをしてくれたのは嬉しかったです。
自分が自由に記事を書いて誰も反応してくれないと少し寂しいですし。
奥田さんが必ずコメントをしてくれるという保証があったからこそ、私は自分の好きなようにやれたのだと思っています。ありがとうございます。
まあそんな風に自由にやっていた私ですが、いくつかだけ意識していたことがあります。
一つ目は、毎回の更新で1000文字以上は書く、ということ。
これはレギュラーメンバーとして塾長日誌を任せてもらうようになってからは毎回達成しています。
理由としては、単純に1000文字は区切りがいいし、1000文字あればそれなりに記事として成立するのではなかろうかと思ったからです。
実際は、私自身が文章を冗長に書きがちなところもあり、気付いたら超えていたことが結構あった上、大幅に上回っていたことも数回ありました。
ただ、中身が伴っていたかと言われると正直に言って自信は無いです。
二つ目は、あまりネガティヴなことは書かない、ということ。
これは結構意識しました。筆者は割とネガティヴな性格なので、自由にやっていると、よくネガティヴな記事を書いてしまいます。
個人的には、後ろ向きなくせに不真面目だし適当な上、後先考えない性格なのでこの辺りはどうにかしたいです。
と、少し反れましたが、この理由としては
せっかく自分の拙い記事を読んでくれている人がいるなら、少なくとも読み終わった時にいやな気分にはなって欲しくない(プリキュアを筆頭に誰も得しない記事をよく書いていたのは申し訳ないです。)というのと
そもそもの塾長日誌の読者層は北大の方で、自分の知らない人なので、誰なのかわからない奴がネガティヴな記事を書いていても面白くないだろう、と思ったことが主なものです。
他にも細々としたものはありますが基本的には上のような感じですかね。
しかしあまり読者に配慮した記事をかけなかったことは申し訳なく思います。
そして、自分の頭に「塾長日誌でこれをやろう」という企画がいくつかあったのですが、結局今日が最後なのでもうやることもないです。
恐らくこの企画たちは墓場まで連れて行くことになりそうです。
どうでもいいですが、私は普段、タイトルは最後に適当に考えることが殆んどです。
なので、投稿した後にタイトルがないことに気付いて慌ててタイトルを入れるなんてこともしばしばです。
しかし、今回はタイトルも考えました。
色々思いついたものがあったのですが、このタイトルがしっくりきました。
このタイトルは、私が好きなバンドの解散ライブでのせりふです。厳密には解散ライブなのかはよくわかりませんが。
何だか小生ごときがこの言葉を使うのも身の丈にあっていないと思ったため全部平仮名にしておきました。
長くなりましたが「筆者」としての塾長日誌への思いは以上です。
本日のアニソン
サクラサクミライコイユメ/yozuca* /D.C.~ダ・カーポ~/☆☆☆☆
春なのでこの曲にしてみました。
次に読者として思うところをつらつらと書こうと思います。
私は塾長日誌の大ファンだと自負しています。
塾長日誌を書くこともありますが、筆者の前に一読者であると思っています。
未だに時間がある時はついつい塾長日誌の過去の記事を読んでしまっている時もあります。
なのでこの塾長日誌が終わることは非常に寂しいです。
私が高校2年生の時に、当時の古典の先生が定年を迎えるということで、3月の最後の授業で盛大にお別れ会を行いました。
しかしながら、高校3年になって、学校に行ってみると、この先生は古典の先生ではなくなっていましたが、副校長となっており、何事もなかったかのように高校に居りました。
塾長日誌も、3月31日で終わりかと思いきや、終わったのは東北大学編で4月1日からは塾長日誌社会人編、的なものが始まるのではなかろうか、などと期待はしていたりしますが、なんやかんや本当に終わってしまうのだろうな、というのは薄々感じています。
奥田さんは引退して、もう卒業までしたのに今でも艇庫にいてくださっています。
その奥田さんが社会人になって部を離れて、ブログまで閉鎖してしまうと奥田さんとの接点が無くなってしまうかもしれなくて、それがさみしい気分に拍車をかけているような気がします。
奥田さんはいつも優しく、私がどんなにわけのわからないことを言っても話を聞いてくださりました。プリキュアもとりあえず見てくださりました。
ところで、私が昔読んだ漫画で、別れるのが辛いというのは、それだけ、誰かと一緒にいた時間が楽しかったということであって、別に悪いことではない、みたいなせりふがあったのですが、私にとって、塾長日誌はそのようなものなんだと思います。
塾長日誌が終わる寂しさは、今まで塾長日誌が続いてきたことへの楽しみがあったからなんだと思います。
奥田さん、ありがとうございます。
佐佐木さん、田原、私と書いて、これで残るところ後2日となりました。残り2回は満を持しての奥田さんの更新となります。
最後まで楽しみにしております。
読者の皆様、私の拙い記事を読んでくださってありがとうございます。
またどこかでお会いしましょう。
今朝、大学に入って以来最も軽い体重を記録したおだです。
さて、今日で筆者の塾長日誌担当は最後ということなのですが、まずはお花見のクルー紹介が最後まで終わっていないという失態を犯していることに気付いたため、クルー紹介からさせていただきます。
COX水本。
今一番勢いに乗っている1年生COXと言われているMIZUMOTOです。
割と思っていることをはっきり言うので筆者としては話しやすい後輩の一人です。
「BOWはシートレース野郎か?」という名言を今日の練習中にも残してくれました。
まあまだまだなところもありますが、冬から春にかけて成長を続けています。
ちなみに身長を伸ばすこともまだ諦めていないようで夜な夜な牛乳を飲む姿が目撃されていたりします。
いよいよ明日からお花見レガッタです。
1年生3人はよくがんばっています。私もこやつらと共に艇速に貢献するのでよろしくお願いします。
筆者は半年以上にわたり塾長日誌を書かせていただいていたわけなのですが、それも本日で最後です。
今後、自分で新しくブログを始めようなんてことは全く思わないですが、なんやかんやブログを書くのも悪くは無かったと思います。
正直に言うと、必ず奥田さんがコメントをしてくれたのは嬉しかったです。
自分が自由に記事を書いて誰も反応してくれないと少し寂しいですし。
奥田さんが必ずコメントをしてくれるという保証があったからこそ、私は自分の好きなようにやれたのだと思っています。ありがとうございます。
まあそんな風に自由にやっていた私ですが、いくつかだけ意識していたことがあります。
一つ目は、毎回の更新で1000文字以上は書く、ということ。
これはレギュラーメンバーとして塾長日誌を任せてもらうようになってからは毎回達成しています。
理由としては、単純に1000文字は区切りがいいし、1000文字あればそれなりに記事として成立するのではなかろうかと思ったからです。
実際は、私自身が文章を冗長に書きがちなところもあり、気付いたら超えていたことが結構あった上、大幅に上回っていたことも数回ありました。
ただ、中身が伴っていたかと言われると正直に言って自信は無いです。
二つ目は、あまりネガティヴなことは書かない、ということ。
これは結構意識しました。筆者は割とネガティヴな性格なので、自由にやっていると、よくネガティヴな記事を書いてしまいます。
個人的には、後ろ向きなくせに不真面目だし適当な上、後先考えない性格なのでこの辺りはどうにかしたいです。
と、少し反れましたが、この理由としては
せっかく自分の拙い記事を読んでくれている人がいるなら、少なくとも読み終わった時にいやな気分にはなって欲しくない(プリキュアを筆頭に誰も得しない記事をよく書いていたのは申し訳ないです。)というのと
そもそもの塾長日誌の読者層は北大の方で、自分の知らない人なので、誰なのかわからない奴がネガティヴな記事を書いていても面白くないだろう、と思ったことが主なものです。
他にも細々としたものはありますが基本的には上のような感じですかね。
しかしあまり読者に配慮した記事をかけなかったことは申し訳なく思います。
そして、自分の頭に「塾長日誌でこれをやろう」という企画がいくつかあったのですが、結局今日が最後なのでもうやることもないです。
恐らくこの企画たちは墓場まで連れて行くことになりそうです。
どうでもいいですが、私は普段、タイトルは最後に適当に考えることが殆んどです。
なので、投稿した後にタイトルがないことに気付いて慌ててタイトルを入れるなんてこともしばしばです。
しかし、今回はタイトルも考えました。
色々思いついたものがあったのですが、このタイトルがしっくりきました。
このタイトルは、私が好きなバンドの解散ライブでのせりふです。厳密には解散ライブなのかはよくわかりませんが。
何だか小生ごときがこの言葉を使うのも身の丈にあっていないと思ったため全部平仮名にしておきました。
長くなりましたが「筆者」としての塾長日誌への思いは以上です。
本日のアニソン
サクラサクミライコイユメ/yozuca* /D.C.~ダ・カーポ~/☆☆☆☆
春なのでこの曲にしてみました。
次に読者として思うところをつらつらと書こうと思います。
私は塾長日誌の大ファンだと自負しています。
塾長日誌を書くこともありますが、筆者の前に一読者であると思っています。
未だに時間がある時はついつい塾長日誌の過去の記事を読んでしまっている時もあります。
なのでこの塾長日誌が終わることは非常に寂しいです。
私が高校2年生の時に、当時の古典の先生が定年を迎えるということで、3月の最後の授業で盛大にお別れ会を行いました。
しかしながら、高校3年になって、学校に行ってみると、この先生は古典の先生ではなくなっていましたが、副校長となっており、何事もなかったかのように高校に居りました。
塾長日誌も、3月31日で終わりかと思いきや、終わったのは東北大学編で4月1日からは塾長日誌社会人編、的なものが始まるのではなかろうか、などと期待はしていたりしますが、なんやかんや本当に終わってしまうのだろうな、というのは薄々感じています。
奥田さんは引退して、もう卒業までしたのに今でも艇庫にいてくださっています。
その奥田さんが社会人になって部を離れて、ブログまで閉鎖してしまうと奥田さんとの接点が無くなってしまうかもしれなくて、それがさみしい気分に拍車をかけているような気がします。
奥田さんはいつも優しく、私がどんなにわけのわからないことを言っても話を聞いてくださりました。プリキュアもとりあえず見てくださりました。
ところで、私が昔読んだ漫画で、別れるのが辛いというのは、それだけ、誰かと一緒にいた時間が楽しかったということであって、別に悪いことではない、みたいなせりふがあったのですが、私にとって、塾長日誌はそのようなものなんだと思います。
塾長日誌が終わる寂しさは、今まで塾長日誌が続いてきたことへの楽しみがあったからなんだと思います。
奥田さん、ありがとうございます。
佐佐木さん、田原、私と書いて、これで残るところ後2日となりました。残り2回は満を持しての奥田さんの更新となります。
最後まで楽しみにしております。
読者の皆様、私の拙い記事を読んでくださってありがとうございます。
またどこかでお会いしましょう。
小田とのやりとりも今日が最後か、寂しいものだ。
小田は類まれなる文章力によって、とてもユーモラスな記事をよく書いてくれたな。
田原や佐々木の記事が短いことがよくあっても小田は本当によく書いてくれたと思う。
タイトルは毎回楽しみにしていたよ。
1回くらいタイトルに沿った記事を書いてほしかったけど。
小田はこのブログに今までなかった風を吹き込んだと思う。
アニソン紹介、プリキュアの紹介、どれも面白かったよ。
ただ俺がプリキュアにハマる事はないな。
これからはそのプリキュアへの想いを学年ノートに書きつづってくれ。
これからも頑張ってくれ。
「小田、ありがとう。」
いつかタイトルに沿った記事を書こうと思ったのですがそれよりも前に最終回を迎えてしまいました。
最近自分も同期も学年ノートを書く機会が減っているのですが仙台に戻ったらちょっくら学年ノートを荒らそうかなと思います。
何だか奥田さんがボート部にいるのが今日で最後だという実感が全くわかず、本当に明日仙台に戻ったら奥田さんも新勧してるんじゃないかと思ってしまっています。
本当に今までありがとうございました。
戸田や仙台にいつでも来てください。楽しみに待っています。