デジタル時代は、いつも2つの選択肢・二者択一やON/OFFなのか。いい加減アナログでしかモノを見てこなかった自分には、馴染めない思考だ。といいながら、デジタルが人々の生活や社会を大きく革新改革したことは認めざるを得ない。デジタルが高度情報化社会を推進させたのだ。モノに価値基準を置く社会から情報や知識に価値基準を置く社会に移行しつつあるのも、デジタルのお陰だ。
デジタル化に乗り遅れたプレ団塊世代の私など、いまもってアナログ思考から脱皮できない。パソコンを使ったり、情報やデータ処理なども仕事の一部にしている自分だが、自分の目や手(ざわり)などの感覚や印象で何かを理解することから離れられない。いたく主観や感覚を頼りにしているのだ。
AかBか、YESかNOか、白か黒か、どちらかを選ぶしかない生活より、もう少しあいまいだったりぼんやりした選択肢があってくれてもいい。2つより3つ4つといろいろ選べる商品やブランドがあったほうが選ぶ楽しみが大きい。選べることがいろいろあったほうが楽だと思うのだが、世の中は逆に進んでいる。
伊勢丹と三越が一緒になるという。このところの企業や流通は合従連衡のオンパレード。大きくなって強さと効率を上げようと合併合戦している。バブル崩壊直後の西武とそごうの合併とは大分違うような大丸と松坂屋につづく、伊勢丹と三越のグループ化。スーパーもひと昔前の2大GMSダイエーや西友と違ったグループ化が進んでいる。セブン&アイホールディングスとイオングループの二大流通グループ化だ。
百貨店やGMSスーパーといった流通だけが二大グループ化しているわけではない。ビールもインスタントラーメンも、銀行や商社なども2つか3つに寡占化している。政治だって、保守と革新や自民党と民主党というように二大政党化している。消費者や市民や国民が望んでそのような傾向や方向を求めているのか、力や権力や体制を求める方々がそのように仕組んでいるのかわからないが、私には窮屈だ。”どちらか選べ”といわれる世の中がキツイのだ。
選ぶ店がSかIかしかないとか、選ぶブランドがKかAしかないとか、自民か民主しか選ぶ選択肢がないという生活がイヤなのだ。このような二大化や選択肢2つという社会が本当に消費者や国民の”利”になっていくのであろうか。利益や効率を競争市場という社会のなかで追求する人々に世の中の方向づけを委ねていいのだろうか。
選択肢が多かったり、あいまいや妥協などを受け入れてくれるそんな社会もいいのではないかと、勝手に思ったりしている自分だ。急いで白黒つけることが、世の中の効率や生産性を上げることになるのだろうかと自問している最近なのだ。
デジタル化に乗り遅れたプレ団塊世代の私など、いまもってアナログ思考から脱皮できない。パソコンを使ったり、情報やデータ処理なども仕事の一部にしている自分だが、自分の目や手(ざわり)などの感覚や印象で何かを理解することから離れられない。いたく主観や感覚を頼りにしているのだ。
AかBか、YESかNOか、白か黒か、どちらかを選ぶしかない生活より、もう少しあいまいだったりぼんやりした選択肢があってくれてもいい。2つより3つ4つといろいろ選べる商品やブランドがあったほうが選ぶ楽しみが大きい。選べることがいろいろあったほうが楽だと思うのだが、世の中は逆に進んでいる。
伊勢丹と三越が一緒になるという。このところの企業や流通は合従連衡のオンパレード。大きくなって強さと効率を上げようと合併合戦している。バブル崩壊直後の西武とそごうの合併とは大分違うような大丸と松坂屋につづく、伊勢丹と三越のグループ化。スーパーもひと昔前の2大GMSダイエーや西友と違ったグループ化が進んでいる。セブン&アイホールディングスとイオングループの二大流通グループ化だ。
百貨店やGMSスーパーといった流通だけが二大グループ化しているわけではない。ビールもインスタントラーメンも、銀行や商社なども2つか3つに寡占化している。政治だって、保守と革新や自民党と民主党というように二大政党化している。消費者や市民や国民が望んでそのような傾向や方向を求めているのか、力や権力や体制を求める方々がそのように仕組んでいるのかわからないが、私には窮屈だ。”どちらか選べ”といわれる世の中がキツイのだ。
選ぶ店がSかIかしかないとか、選ぶブランドがKかAしかないとか、自民か民主しか選ぶ選択肢がないという生活がイヤなのだ。このような二大化や選択肢2つという社会が本当に消費者や国民の”利”になっていくのであろうか。利益や効率を競争市場という社会のなかで追求する人々に世の中の方向づけを委ねていいのだろうか。
選択肢が多かったり、あいまいや妥協などを受け入れてくれるそんな社会もいいのではないかと、勝手に思ったりしている自分だ。急いで白黒つけることが、世の中の効率や生産性を上げることになるのだろうかと自問している最近なのだ。