吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「森林バンク」構想(林野庁)に賛成!

2017年09月19日 | Weblog
2017年9月18日(敬老の日)の朝日新聞で、「森林バンク」創設構想を知った。賛成。国土面積の3分の2を占める日本の山林。杉や檜などの人工林に限らず、松やブナに加え、楢や椚などの雑木林まで今、山森林は手入れナシの荒れ放題状態。

杉や檜林の木々の間や林道や麓は、蔓蔦葛なるつる性雑草に覆われ、荒れ原野化している。下刈り、枝打ち、間伐など、手入れができていないのではない。手入れできないのだ。手入れする人手もない。無理に無理して手入れし育てても、成木を伐採したり、運び出す人手がない。また無理しても、その木材が売れない。ビッジネスにならない。

山林の保水力低下やCO²の削減などの環境保全への貢献なども、ビジネス評価されない。中山間地や山村地域の少子高齢化や限界集落化の進行は、都会地に大きく先行し、いまや森林や過疎地の土地は、タダでも引き受ける人がいない。山森林の個人所有の多くは、林業経営云々の問題にもならない。原料木材の入手ができない木材生産会社の廃業も後を絶たない。

公的にどのような施策で日本の森林や自然環境を守るのかは、喫緊の課題。政府農林水産省、林野庁、市町村の共働で、効果的な「森林バンク」構想を推進し、創設し、その活動方向を考えてほしい。
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ほぼ〇〇や〇〇もどきの話

2017年09月14日 | Weblog
最近、テレビで「ほぼ〇〇」や「〇〇もどき」の商品CMを見たりする。先日、生家の庭で小さな実を付けたウメモドキ(梅擬)に目を奪われた。がんもどき(雁もどき)や蟹(擬)カマなどは、結構本家を越えたおいしさがあるが、ウメモドキは全く梅の”もどき”さがない。

とは言え、梅擬や苔桃のように小さな赤い実を付ける秋の木の実は、かわいい。時には、小さな赤い花と間違う。赤い小さな実というと、ナナカマドやハナミズキなどが真っ先に思い浮かぶが、アオキやグミなどを別にするとマユミやサンシュユや万両千両などがイメージされる。しかし、南天や梅擬などの方が身近だ。

この”もどき”だが人によっては、時代受容性が高いと揶揄する。もどき(擬)は、どちらかというと批判や非難のイメージの抵牾(もどき)に近そうだ。もどき(擬)を、偽(にせ)や真似(まね)という人もいれば、まがいや模倣と言って揶揄する人もいる。中国あたりのパクリや贋作文化なども、この類だ。

文化と言えば、お笑いや喜劇などからみれば、道化や滑稽などを”もどき”というのかも知れない。偽装社会や虚偽社会などいわれる現代にあって、”もどき”は意外やハイテクなのかも知れない。ハイテク擬きは、遠慮したいが。
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籔椿(ヤブツバキ)雑話

2017年09月12日 | Weblog
宮崎県は延岡市に縁を持つ友人が多いせいで、ヤブツバキ(籔椿)についての会話をよくする。彩々な薮椿が自生する延岡の城山公園あたりを故郷にする友人も多い。ツバキ(椿)というと、大島のツバキや椿油などしかイメージ想起できなかった自分には、城山に自生する薮椿の多種多彩は、大きな発見だった。

わたしの生家の庭横には、円周1メートルにもなろうかという椿の大木があった。裏山にも、所どころ山椿をみた。しかし、城山の薮椿のように紅白桃色や斑の花や房咲き一重咲きなど多様多彩なツバキは見なかった。どれもこれも、大島ツバキなどのような山椿だった。だから、城山に自生するという多様多彩なヤブツバキは、発見だった。

北限を青森(椿山)あたりと言われるツバキの自生だが、薮椿自生地の多くは九州や中国地方あたり。一部、島根県の松江や千葉県のいすみ(大原)あたりが挙げられるが、自生地とは言えなさそうだ。とまれ、きょう(9/12)は、その延岡を故郷にする岡田さんと、谷内田さんの城山の薮椿絵を囲んでの3人ランチ会。他の墨彩画や花の絵でもそうだが、友人谷内田孝画伯の薮椿絵はすばらしい。

谷内田さんご本人が「見色明心」と賛を入れてくれた紅白桃斑の四点椿絵をいただいて帰宅。オシャベリの2時間でした。多謝。
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”不倫”でビジネスする人たち。

2017年09月09日 | Weblog
むかし、「不倫は文化だ」と言ったのか、言わなくてそう名指しされたのかは知らないが、そう言ったとされたタレント芸能人がいた。20年ほど前の石田純一氏だったと思う。あれから20年、ただいま、不倫文化真っ最中(?)。不倫ネタがビジネス・ネタとばかりに、喜ぶのは週刊誌だけではない。テレビやインターネットなど、雑誌やSNSの不倫ネタを”これでもか”とフォローし、盛り上げる。

メディアの方々やマスコミの方々が好きなネタなのか、そのようにフォロー報道するところに、ご自分たちの使命を感じていらっしゃるのかは知らない。一昔前の桂文枝師匠や麻木久仁子女史、いま船越英一郎ならぬ松居一代氏や渡辺謙氏や宮迫博之氏など、数えればキリがない。多くのこれら芸能人の方々は、ご自分たちの不倫やスキャンダルをタレント活動の一環と勘違いしたりもしている。

もっとも、このようなタレント芸能人の不倫スキャンダル以上に”よろしくなさそう”なのは、国会や地方の議員さん方の不倫。不倫不倫という雑誌やテレビから雲隠れしていても、歳費を使い報酬をいただいていらっしゃる。宮崎謙介議員、中川俊直議員、藤丸敏議員の皆さんにつづく、今井絵理子議員や橋本健市会議員と食傷を感じていたら、今度は山尾志桜里議員だ。とくべつ迷惑を感じているわけでもないのに「ご迷惑をかけた」と言って、離党したり辞職する者や逆に”ひらき直る”者まで、文化なのか時代なのかと思案してしまう。

SNSといえば大国の大統領までが、ツイッターで”お考え”をご披露する時代。”時代”対応かも知れないが国会や地方の議員さん方、ツイッターで”ただ何か”を発信するの愚は、取り下げてほしい。不倫などを文化にしないでほしい。
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四季自然の変化に生きる

2017年09月07日 | Weblog
人は、自然との関わりで生きる。地球大地や環境に暮らす。朝、昼、晩という時間に暮らす。自然は、四季の顔を持つ。四季は、変化という時間を持つ。わたくしたちも、四季に暮らす。

春にあっては、夢を希望に変えて生きる。夏には、希望する目標や生活に向かって活動し、秋には実りを収穫する。冬は、大地自然の恵みに感謝し、明日への活力を蓄える。大地、地球、自然に生きる私たちは、大地自然と四季を共有する。季節を共有する。わたくしたちと自然や万物は、時間を共有している。すべて、いつも変化している。

日本人は、春夏秋冬と変る自然を愛でる。四季という変化が好きなのだろうか。四季の変化を自らの成長に重ねているのかも知れない。多くの日本画や俳句も、自然やその四季を書く。川合玉堂や東山魁夷の日本画なども、自然の四季描写が多い。自然と人間との一期一会や自然の四季変化を描いている。

四季は、生きものの生成や衰滅という生生流転に重なる。建物や道具や道路の石ころも万物、時間とともに変化している。自分も自分の周りも、すべて変化している。変化するその時を生きることが大切なのだ。
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