カゴ旅ブログ

主に北海道の鉄道写真などをアップしてます。写真撮影辞めて、自作スピーカーブログ始めました。

過去の軌憶の中より 大誉地駅

2019年11月21日 | 池北線
遥か昔の学生時代。この駅から、通っている同級生が居たので、一度だけ下車したことがあります。


更に、某政治家もこの町の出身であります。
私が幼少期、いや、そんなに幼くはないのだが、中学時代だったかもしれない・・・
その、某政治家の自宅の工事に、父親の仕事のお手伝いとして行ったことがあります。


某政治家は、とても親切でいろいろな食べ物をくれた記憶があります。
某政治家の名は、大誉地出身の政治家で検索すると出てくるとおもいます。

今は無き池北線は、幼少期から思入れのある路線で、石北本線生田原駅の駅長さんだった叔父に会いに行くために、必ず乗った路線でした。
のち、生田原駅長から遠軽駅駅長に転任し退職されたのですが、良く蒸気機関車に乗せてもらってました。


幼少期、いつかこの蒸気機関車の運転士になるぞ!って思い、国鉄に入ったものの、仕事は貨物駅でのポイント(転轍機)の清掃業務でした。


駅の外勤職なので、 機関士になるには機関区か、運転区にじゃないと成れない。しかしそれは、就職試験の一次試験の適性検査で配属先が決められてしまっているので、移動は困難でした。


更に、私は国鉄労働組合青年部の役員になり、国鉄民営化反対!的な運動をやってました。
憧れの鉄道は、労働組合の役員になり、57,11のダイヤ改正で、醜い内部事情などを知り、こんな会社、長居するところじゃない!って思ったのでした。
世間は親方日の丸って言われていたけれど労働組合による202億円損害賠償。それを補うために、釧路ー札幌 旭川ー札幌 札幌ー函館 以外のローカル線すべてを廃止にすると言ってきたのである。
私は、56,10から赤字線地北線廃止反対運動の一環として、自らの足を使い本別町、足寄町、陸別町の地域住民宅へ行き署名活動をやってました。
地元池田町町営テレビにも出演し、なんとしても地北線は今後の北海道の鉄道として残すべきだと言論しました。
しかし、その思いは届かず2006年4月21日を最後に端になってしまいました。


民営化は、組合潰しとも言われていたため、私自身の身内の都合で生活苦だったので、 潔く退職了解してしまいました。


バブル経済がきて、弾け、平成初期の頃、国鉄退職は失敗だったかもしれないと、何度も後悔したこともありましたが、今となれば、正解だったかもしれないと、自分に言い聞かせるようにしました。