珍しく、短期間の投稿です・・・
前回の投稿から、数日で投稿です
理由は
書く内容を忘れてしまいそうだから・・・
それと、少し精神的に落ち着いてきたから❓❔ ・ でしょうか
※ 月一回検診して頂いている、歯科医院の中の絵や、飾ってあるお花です。
廊下の壁に、ステキな絵が飾ってあります。
でも、一度撮らせて頂くと、次回は違うもの・・・
そんなことはないので・・・
歯医者さんシリーズはおしまいでしょうね・・・
短大部二年(19才)の、十一月か師走の頃、就職か、デザイン科に進むか決めなくてはなりません。
当時は携帯電話もないし、手紙か固定電話(大家さんからの呼び出し電話) で、田舎の母親と相談したら
経済的な事情もあり、出来れば就職して欲しいと・・・
事務局前に、就職案内の張り紙があったのですが、
被服科と言っても、嫁入りの、釣書 のための短大卒には、
デザイナー募集の張り紙は、ほとんどありませんでした。
※ 田舎風の建物・・・ヨーロッパと日本、他の国の建物
それぞりに個性があり、生活に密着した工夫がされているように、
授業内容も、違ったのでしょうか❓
ほとんどが、事務関係の職種だったような??
何のための被服科だったのかな❔
まだ、既製服も少なく、家庭でミシンをふむ母親の姿が普通だったのでしょうね
やっぱり、花嫁修業の ”〇〇大学短大部” でした・・・
それでも、二・三社はありました。
二社願書を提出したと思います。
一社は、(当時はまだ珍しかった既製服でニットメーカー) ここは、年内に受けて、見事に不合格
もう一社は、年が明けてからの試験でした。
最初の 不合格 した会社に、人生で始めての不合格 の悲しみを、味あわせてもらい、
失望のどん底・・・
でも、卒業式までは数か月残っているし、
卒業後は就職が出来ないと、田舎に帰らなくてはいけないのは決定している
何のために、東京で二年間過ごさせてもらったのか
なんとか、このまま東京で、夢だったデザイナーになるには❓❔❔
まだ、成人にもなってないし、自力で生活も出来ない・・・
多分かなり悩んだのでしょうね~~
あまり、記憶にはないのですが・・・
そうだ!!
気持ちを切り替えよう・・・と、
※ これは、最近、そうだ!!気持ちを切り替えよう・・・と、美容院に行った時の写真
この、美容院に行くと、現実逃避できます。
内装、美容師さんの技術、センスが良くて、引っ越して六件目にやっと出会えた美容室
当時母方の従兄が、『生田』にある大学の大学生で、知り合いのアパートが空いていると勧めてくれました。
とりあえず、『生田』に引っ越すと、気分も変わるかも
そのアパートの大家さんは、従兄の母親 (母の姉なので、私の伯母) の知り合いなので、
いろいろ厚遇してもらえる・・・その言葉にもつられて、即引っ越し
※1969年頃の小田急線 ”生田駅” 何もなかった・・・閑散とした街でした。
駅から、高台に歩いて、十二・三分の場所でした。
アパートは、六畳と、一畳位の板の間に流し台
そこで、始めて好きな時間に使える台所とトイレ・・・
(トイレは共同でしたが、もう一間の住人はほとんど本宅で過ごしていたため、私一人のアパートのようでした。)
自由に使えるトイレは有難いし、
好きな時間にお湯を沸かせる。
インスタントコーヒーも飲める
※ コーヒー豆なんて見たこともなかったと思います。
喫茶店には行ったことはあっても、豆は知らない・・・
コーヒーと言えば、ネエッカフェ
写真は、コーヒー豆専用店の内装
ステキなので、撮らせてもらいました。
そして、年が明けてもう一社の面接試験
そこは、渋谷から代官山方向に歩いて、12~13分
鉢山町にある、ステキなアトリエでした。
確か、スケッチブックにデザイン画を数枚描いて持参するのも条件でした。
履歴書と、スケッチブック、そして自作のワンピースを着て面接に行きました。
※ ↓の写真は卒業制作のワンピース (ウールジョーゼットだったかな?
ローウエストで、シルクサテンのサッシュベルト)
このパターン利用して、白黒のプリント(当時は素材名を知らなかったけれども、エターミン素材)
薄い淡いピンク色のフリンジ付きのストールをサッシュベルト風に巻いて行った記憶があります。
成人式にも、同じスタイルで出席したので、その写真は残っているから・・・
〇工房 〇〇 〇アトリエ
なんて、ステキなアトリエ
※実際とは違いますが、二階にある接客室は、こんな雰囲気でした。
壁面はすべて鏡張り・・写真の暖炉部分が鏡のような接客室で・・・
そんな場所は始めて・・・
ドキドキしながら、面接を受けました。
何を聞かれたか、何と答えたか❓❔
全く覚えてないけれども、最後に先生が
「君の色彩感覚が、僕は好きだな と、言われた事だけは
今でも、はっきりと覚えています。
そして、結果は後日と・・・
結果が出るまでに、私は成人式に出席するために
田舎に帰りました。
すると、あろうことか❓❔
妹が、急性盲腸炎になって、緊急手術
当時は成人の日は、1月15日でした。
久しぶりに会った、同級生と成人式に出席したものの、
就職先は決まってないし、下手をすると、またここ (田舎の山口) で生活しなくてはいけない
こんな時、成人の日を迎え、
しかも、母は妹の手術に付き添って、お祝いどころではない・・・
わがままな性格が爆発
私:「なんで、こんな時に盲腸炎になるの」
妹:「そう言っても、好きで盲腸炎になった訳ではないのに・・・」
母:「そういね~~好きでこの日に盲腸炎になった訳ではないのに・・・
お姉ちゃんなのに、なんてことを言うの 」と、叱られて、また生田に帰る私。
その時、ラジオから、カスケーズの『悲しき雨音』は、流れていました。
『悲しき雨音』を聞くと、当時のことを思い出します。
※ 行動も必ず映っているものですね・・・
効果的に良くなる場合もあるし、逆の場合もある・・・
そのころは、そんなことは全く考えもしませんでした。
生田に帰って、しばらく経ったある日
学校の事務局から、呼び出され
「k川さん、良かったね 〇工房 〇〇 〇アトリエ から、採用の知らせがあったよ
」
※ あれから、半世紀経った今・・・現在の私
地球環境も大きく変化し、私も大きく変わりました・・・
次回は、〇工房 〇〇 〇アトリエ での、仕事内容に続きます。
ここまで、お付き合いいただきありがとうございました