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グレーゾーンのない私

2023-07-17 10:23:30 | 日記

前回のブログで 【 度を越した心配性】と、書いてしまったのですが・・・

     

      ※背景色がグレーで、パステルカラーの光が射している名前も知らない植物です・・・

 臨床心理士の先生のカウンセリング、によると

「一概に人間は、多様性を持っているので、あなたの、性格はこうです!

とは、言えませんが、あなたは白 黒ハッキリしている人ですね・・・

要するに、迷う部分がないらしいです。

グレーゾーンがないみたい・・・

   

そう言えば・・・

中学生の頃から、将来の方向は迷うことなく

デザイナーになる  と、決心してからは、まっしぐら

     

   ※ 多分高校生の頃 この頃は、まっしぐらだった・・・ 

     高校入学後は、

     デザインの勉強をするだけと考えて、花嫁修業のお姉さん方が仕事帰りに行く

     洋裁教室に通い、学校の授業中は、睡眠時間に充てていたみたい。

     入学時には、8番の成績が、高校卒業時には400番以下・・・

     でも、家計をやりくりして、母は教室に通わせてくれて、夜道は危ないのでバス停まで

     迎えにきてくれた。

    

   ※ このスカートはその教室で縫った作品

    ストライプ柄の生地を使い、裾は切り替えてボーダー柄で使用して、

    ポケット口に金ボタンを飾ったデザイン

    この、お勝手で履くサンダルが、笑える・・・

 

そして、高校卒業後は、東京へ

田舎から、東京へ出て行った私のカルチャーショック

田舎では、オシャレだったのに、

東京の私はダサイ

 

それでも、新宿にある〈文化女子大学・短大部 服装科〉に通学した。

入学時は、代々木初台にある寮生活だった。

この、寮生活が・・・・

 

短大という所は、当時は花嫁修業の場であって、

4人部屋の仲間たちも、その気持ちでいたから、

毎晩、お茶を飲みながら、しかも他の部屋からも

そんな意識の人たちが集って、ワイワイ、ペチャクチャ

ひとり,自分の部屋に入ろうものなら、

「どうしたの❓こっちにいらっしゃいよ」と、声をかけられる。

 

田舎者の私は、

「勉強があるから、気にしないで・・・」の一言が言えない

   

     ※ ブログの内容とは関係ないのですが、最近の画像加工

   

そんな状態が、2か月位続いたころ

 

親に負担をかけて、東京で勉強させてもらっているのに・・・

これでは、ダメだ!!!

勉強出来るにはどうしたら❓❔

    

        ※ ひとり顏出した紫陽花 ちょっと、淋しげ、悲しげ・・・

相談出来る友達もいなくて、ひとり出した結論

どこか、下宿出来る場所を探そう・・・

    

 

当時 (昭和42.43年?頃) は、住まいの二階を学生に貸すとか

そんな家もあった時代。

それでも、不動産屋さんを介したほうが、確かだった。

でも、不動産屋さんの手数料がかかる・・・

なんとか、寮費と同じ位の生活費ですむ、下宿を探そう・・・

今思い出しても、悲しくなるけれども・・・

  新宿にある学校まで、交通費がそんなにかからなくて

  田舎から出たばかりの私、交通状況も良く分からないので

  バス利用が適しているエリア

最終的には、中野の弥生町に絞り込んだ。

    

    ※友人の家の玄関先・・・ド レ ミ ファ ソラシドのような、ビンの置物

中野弥生町の住宅街を、アパート、下宿をしてそうな家々を

何件位、歩きながら玄関先を訪ねたのだろう・・・

 

数日の数件目で、

相手になって頂いたお宅があった・・・

まだ、10代の田舎娘が

「お部屋を貸していただけませんか❓❔」の話をまともに

答えてくれる人なんて、いるはずもないのに・・・

きちんと応対してくださった方がいた。

    

      ※突然やってきて、「お部屋開いていませんか?」そんな、びっくりする質問に

       はっきり応対する人がいるはずもないのに・・・

      

    ※ 上の写真を、 はっきりとしてみました・・・

 

「あなた、何を言っているの? 若い女の子が・・・

変な人につかまって、どこかに連れて行かれたら、どうするの❓ やめなさい!!」

多分経緯を話したと思う。

そしたら、

「あなたの気持ち、良く分かりました。

勉強したいから、寮をでたいこと。親に負担をかけたくないから、

自分の足で下宿を探していること・・・」

    

    光が射しているミモザ

そして、家族で使おうとしていたという一階

(二階を貸し部屋にして、一階は家族で使われていた)  の一部屋

北向きの四畳半だけれども、良いですよ・・・と、承諾を得た 

確か、当時でいくら❓ ❓だったか・・・

それでも、仕送りと奨学金ではギリギリ

文化は、授業で洋服を作るのから、材料費が結構かかるのです。

 

本当に、今考えると、ぞっとする

悪い人だったら、今、こうして生きてないかもしれませんね・・・

まだ、平和な昭和40年代だったのか、

私は運が良かったのか・・・

    

    

   ※ 目にするいろんな物は、スタイリッシュになってきましたが・・・

 

21世紀に入ってからは、

こころまで大切なものを

そり取ってきて、自分のことしか考えないシンプル脳になってしまった・・・

そんな気がします。

   

    ※ シンプルな飾りだな・・・光の反射が美しい

この時から、デザイナーに邁進する私の青春時代が始まりました。

 

 

 

 

 

 



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