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ハンドルネーム :Kaigowearと申します。

日の出の勢い❣❣❣

2023-10-09 12:24:02 | 日記

毎日、いろんな場面で

   「暑いですね~~ 」を連発していた日々も

いつの間にか、落ち着いてきました。

       

        ※ 10月10日(体育の日)・・・頭の中にインプットされていたのに・・・

         1964年(昭和34年) の東京オリンピックの開催日を記念して、この日が

         体育の日となったのですね・・・

         一年の中で、この日前後が天候的にも晴れの日が多く、気温も運動するのに適しているとか・・・

         今年に比べて、この頃はもっと肌寒かったように記憶しています・・・

         そして、平和だったし、空を見上げていた・・・そんな記憶があります。 

爽やかな秋晴れの日々がしばらく続いて欲しいものです

 

      

    前回の続き・・・です!

病気の母に励まされて、東京に帰ってきた私です。

   結局、母は、手術して癌を摘出も出来ず、自宅療養になりました。

   そして、妹も大学のために上京。

実家では、父と、病気の母の二人の生活になりました。

二人が、どんな思いで日々を過ごしていたのか・・・・・

知るよしもないけれども・・・

二人とも、毎日、辛かったのでは   

   今思い出すと、本当に心から、申し訳ない気持ちでいっぱいです・・・

        

     

       ※ うっすらと、明るい光が見える  

       そうではなく、退院後は自然に任せるまま (病院の治療は全く受けずに)

       食事療法とかで、微かな希望をもっていた母です。

                            しかしながら・・・

       少年 占い師が言っていたように、秋風がふく、中秋の名月の頃、早すぎる生涯を終えました。

       痛み止めがあれば、あんなに苦しむこともなかったでしょうに・・・

 

        

       駆けつけた私に、「お父さんを、たのむね・・・」といいながら・・・

       

       ※ 老いも経験することなく、母は旅立ちました。

         「お父さんをたのむね・・・」と、私に言い残したことば が、最後でした。

         不平不満も言わず、娘二人の成長を楽しみに生きていた、シックな色合いが好きで、オシャレな母でした。

 

母の病気が発覚し、入院し、手遅れで手術も出来ず、退院し自宅療養の頃は・・・

  (株) 3 4に、入社したばかりの私でした。

 

既製服業界のことは何も知らず、知り合いもいないし、

ただただ、服が好き❕❕というだけで、

いつかは❓を夢にみながら、日々を送っていたように思います。

 

その頃の、(株) 34では・・・

デザイナーの仕事は、МDから生地を渡されて、その生地にあったデザインをおこし、

MDに見てもらい、OKのサインを貰って、そのデザインのパターンを、各自自分でおこすシステムです。

 

生地を渡してもらわない事には、先に進めないのです・・・

       

          (株)34の、М・М課には、МDの下に数人のデザイナーとパタンナーがいて、

            МDのお気に入りの人たちが、仕事らしい仕事ができました。

            私は無愛想だったせいか、同郷のよしみで入社させて頂いたのに、現物化が決定されている

            生地は、ほとんど渡されませんでしたね

           

生地も、契約済みの生地と、とりあえずサンプルを作ってから、良かったら発注しよう

MDが思う生地の2種でした。

でも、年間の売り上げ予算が決まっているわけですから・・・

良かったら発注しようの生地の枠はわずか ・・・・・

新米デザイナーには、良かったら発注しようの、生地がたまに渡されるだけ

  おめでたいのか❓

  のんびりしているのか❓

全く気にしてなかった・・・私です。

    それでも、都内のいろんなお店を見ながら、『なるほど・・・』『こういうデザインもいな~~

いつも、デザインイメージはいつも膨らませていました・・・

お店も服だけではなく、いろんなステキなお店をリサーチするのが、とても楽しかったなあ~~

      

でも、人を大切にする会社 の (株) 3 4 です。

時間はかかりましたが、(株) 3 4 に在職中、パターンメイキング は、かなりマスターできました。

       

ちなみに、パターンメイキングは、大きく分けて二通りあります。

   

ありがたい事に、お給料を頂きながら、

会社に対して貢献することもなく、二通りのパターンメイキングを修得出来ました。

     

     ※ 同じ場所・・・二通りのイメージで表現しました。

     

前回書いた、大野順之助先生はどちらかというと、“ドレーピング法”

人を大切にする、(株) 34の社長は“ドラフティング法” で、指導いただきました。

  パターンメイキングは、最初はあっても、終わりはないのです

 

そして、デザイナーとして認められるようになるには、

自力で頑張るしかありません。

  それでも、たまには・・・

МDから、生地を渡され、「kちゃん!この素材 (生地のことで、業界ではこう呼んでいました) で、

カッコいいデザインをしてみてよ・・・」

  ◆テレビも持ってないし、趣味はお店を見て歩くこと◆

頭の中の引き出しからいろんなイメージを引っ張り出して、デザインします

    

     ※ この頃は、パリ・シャネル風・・・そんな時代でした。

       私はシヤープなサンローランが好きで・・・

       食費を削っても、サンローランの、スーツは無理でも、単品アイテムを買いたかった

 

よく出来て、現物化されて、売れた時は、本当に嬉しかった・・・

新幹線の中とか、街で私のデザインした服を着ている人に会うと (ごくごく、たまですが・・・)

お礼を言いたくなりました

 

(株) 34をはじめ、当時のアパレル業界は日の出の勢い

  サンデカグループ という既製服業界でグループを作り

  情報交換とかしていたみたいです・・・

  新米の私は全く知りませんが・・・

サンデカグループが結束された頃は、婦人服はよく売れたそうです。

  ――女性が、家庭でミシンを踏んで、服を作る ――

そんな時代から、少しずつ、服作りが変化していた時代だと思います。

 

       💛 💛 💛

先輩たちは、年一回、決算時期には、決算賞与が頂けて、なんと金額は・・・

   札束が立つ 金額だったそうです。

残念ながら・・・私が入社した頃は、少し遅かった

  でも、

いろんな経験が出来た、正に人を大切にする会社 (株) 34なくしては、仕事人生を

語ることはできません

次回は、(株) 34 での、いろんなエピソードを書きたいと思います。

当時に、アパレル業界のひとコマになるかと思います

 

       ※ 最近見つけた、山口のパン屋さん

         内装も外観もオシャレでした。

         地方は、ポッ と、そんなステキなお店があります。

        

     

     

    ※ いつもオシャレなお店を覘いていた東京生活ですが・・・

      山口もポッと、数件あります。

      詳しくは知りませんが、建築、内装を手掛けている方は、県内の数か所を手掛けている方で

      他にも数個所あるらしい・・・行ってみたいと思っていますが・・・

    

 



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