毎日、いろんな場面で
「暑いですね~~ 」を連発していた日々も
いつの間にか、落ち着いてきました。
※ 10月10日(体育の日)・・・頭の中にインプットされていたのに・・・
1964年(昭和34年) の東京オリンピックの開催日を記念して、この日が
体育の日となったのですね・・・
一年の中で、この日前後が天候的にも晴れの日が多く、気温も運動するのに適しているとか・・・
今年に比べて、この頃はもっと肌寒かったように記憶しています・・・
そして、平和だったし、空を見上げていた・・・そんな記憶があります。
爽やかな秋晴れの日々がしばらく続いて欲しいものです
前回の続き・・・です!
病気の母に励まされて、東京に帰ってきた私です。
結局、母は、手術して癌を摘出も出来ず、自宅療養になりました。
そして、妹も大学のために上京。
実家では、父と、病気の母の二人の生活になりました。
二人が、どんな思いで日々を過ごしていたのか・・・・・
知るよしもないけれども・・・
二人とも、毎日、辛かったのでは
今思い出すと、本当に心から、申し訳ない気持ちでいっぱいです・・・
※ うっすらと、明るい光が見える
そうではなく、退院後は自然に任せるまま (病院の治療は全く受けずに)
食事療法とかで、微かな希望をもっていた母です。
しかしながら・・・
少年 占い師が言っていたように、秋風がふく、中秋の名月の頃、早すぎる生涯を終えました。
痛み止めがあれば、あんなに苦しむこともなかったでしょうに・・・
駆けつけた私に、「お父さんを、たのむね・・・」といいながら・・・
※ 老いも経験することなく、母は旅立ちました。
「お父さんをたのむね・・・」と、私に言い残したことば が、最後でした。
不平不満も言わず、娘二人の成長を楽しみに生きていた、シックな色合いが好きで、オシャレな母でした。
母の病気が発覚し、入院し、手遅れで手術も出来ず、退院し自宅療養の頃は・・・
(株) 3 4に、入社したばかりの私でした。
既製服業界のことは何も知らず、知り合いもいないし、
ただただ、服が好き❕❕というだけで、
いつかは❓を夢にみながら、日々を送っていたように思います。
その頃の、(株) 34では・・・
デザイナーの仕事は、МDから生地を渡されて、その生地にあったデザインをおこし、
MDに見てもらい、OKのサインを貰って、そのデザインのパターンを、各自自分でおこすシステムです。
生地を渡してもらわない事には、先に進めないのです・・・
※ (株)34の、М・М課には、МDの下に数人のデザイナーとパタンナーがいて、
МDのお気に入りの人たちが、仕事らしい仕事ができました。
私は無愛想だったせいか、同郷のよしみで入社させて頂いたのに、現物化が決定されている
生地は、ほとんど渡されませんでしたね
生地も、契約済みの生地と、とりあえずサンプルを作ってから、良かったら発注しようと
MDが思う生地の2種でした。
でも、年間の売り上げ予算が決まっているわけですから・・・
良かったら発注しようの生地の枠はわずか ・・・・・
新米デザイナーには、良かったら発注しようの、生地がたまに渡されるだけ
おめでたいのか❓
のんびりしているのか❓
全く気にしてなかった・・・私です。
それでも、都内のいろんなお店を見ながら、『なるほど・・・』『こういうデザインもいな~~』
いつも、デザインイメージはいつも膨らませていました・・・
お店も服だけではなく、いろんなステキなお店をリサーチするのが、とても楽しかったなあ~~
でも、人を大切にする会社 の (株) 3 4 です。
時間はかかりましたが、(株) 3 4 に在職中、パターンメイキング は、かなりマスターできました。
ちなみに、パターンメイキングは、大きく分けて二通りあります。
ありがたい事に、お給料を頂きながら、
会社に対して貢献することもなく、二通りのパターンメイキングを修得出来ました。
※ 同じ場所・・・二通りのイメージで表現しました。
前回書いた、大野順之助先生はどちらかというと、“ドレーピング法”
人を大切にする、(株) 34の社長は“ドラフティング法” で、指導いただきました。
パターンメイキングは、最初はあっても、終わりはないのです
そして、デザイナーとして認められるようになるには、
自力で頑張るしかありません。
それでも、たまには・・・
МDから、生地を渡され、「kちゃん!この素材 (生地のことで、業界ではこう呼んでいました) で、
カッコいいデザインをしてみてよ・・・」
◆テレビも持ってないし、趣味はお店を見て歩くこと◆
頭の中の引き出しからいろんなイメージを引っ張り出して、デザインします
※ この頃は、パリ・シャネル風・・・そんな時代でした。
私はシヤープなサンローランが好きで・・・
食費を削っても、サンローランの、スーツは無理でも、単品アイテムを買いたかった
よく出来て、現物化されて、売れた時は、本当に嬉しかった・・・
新幹線の中とか、街で私のデザインした服を着ている人に会うと (ごくごく、たまですが・・・)
お礼を言いたくなりました
(株) 34をはじめ、当時のアパレル業界は日の出の勢い
サンデカグループ という既製服業界でグループを作り
情報交換とかしていたみたいです・・・
新米の私は全く知りませんが・・・
サンデカグループが結束された頃は、婦人服はよく売れたそうです。
――女性が、家庭でミシンを踏んで、服を作る ――
そんな時代から、少しずつ、服作りが変化していた時代だと思います。
💛 💛 💛
先輩たちは、年一回、決算時期には、決算賞与が頂けて、なんと金額は・・・
札束が立つ 金額だったそうです。
残念ながら・・・私が入社した頃は、少し遅かった
でも、
いろんな経験が出来た、正に人を大切にする会社 (株) 34なくしては、仕事人生を
語ることはできません
次回は、(株) 34 での、いろんなエピソードを書きたいと思います。
当時に、アパレル業界のひとコマになるかと思います
※ 最近見つけた、山口のパン屋さん
内装も外観もオシャレでした。
地方は、ポッ と、そんなステキなお店があります。
※ いつもオシャレなお店を覘いていた東京生活ですが・・・
山口もポッと、数件あります。
詳しくは知りませんが、建築、内装を手掛けている方は、県内の数か所を手掛けている方で
他にも数個所あるらしい・・・行ってみたいと思っていますが・・・
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