十二月に入り、今年も、あとわずかですね・・・
日本だけでなく、世界のあちこちで自然災害、戦争・・・毎日ニュースを見ては
こころが痛む 一年です
これまでのこと (青春の記録・・・デザイナーへの道) を、再びお話ししますね
『興味なし』の方も、『興味少しあり❓』の方も、写真をちらっと見てくださると
嬉しいです
三十代後半までの私は、デザイナーにはなったもの、いつも消化不良の日々を送っていました
【本当に作りたい服・・・】見えているのに、見えてないような❓❔
そんな、ある日
三十代後半に、チャンスが訪れました。
友人の紹介で、ある会社の社長にお会いしました。
そこは、古い洋館を使って、事務所にしているこじんまりとした
従業員25人位の、婦人服アパレル
当時、社長は30代 (私より、少しだけ上の同世代) で、従業員も、ほぼ同世代の人たちばかりで
みんな元気いっぱいで、活気にあふれた会社でした
白金台にある、古い洋館の暖炉のある部屋 (ショータイム兼応接室として使われていた部屋) で、
洋服に関する話を、数時間は、話したことと思います。
“ミラノファッション” が、一般的になる少し前の頃でしたが、
社長も私も、“ミラノファッション” が、これから浸透してくると信じていましたから・・・
二人共、意気投合
時間のたつのも忘れて、話しをして記憶があります・・・
洋服以外の話題には、全く無知な私でしたが、
興味ある話だと、時間を忘れておしゃべりな私です
♪ミラノでは
ジョルジュ・アルマーニー ―― ジャン・フランコ・フェレ ―― クリッア ――
ヴィェルサーチ ―― 形態は違うけれど マックスマーラ
♪パリでは、
サンローラン ―― シャネル ――ディオール ――オジャール ――
♪ニューヨクの
カルバンクライン ―― オスカー・デラレンタ ―― ラルフローレン ――
私は、当時あまり知られてなかった、
ソーホー地区の エイドリーが大好きで・・・・
デザイナーたちそれぞれの好きなところや、雰囲気をペラペラ話したことを覚えています
※ 当時は日本人のデザイナーでは、好きな雰囲気はなかった・・・
耀司 ・山本 ―― 川久保玲 ―― とか、パリにはまだ進出してなかったし、
高田賢三 ―― 三宅一生 ――はパリのデザイナーの枠に入っていたようにおもいます。
社長も、嫌いではない話の内容で、盛り上がり
社長:「一緒に仕事しよう 」
私:「わかりました・・・そんな雰囲気の洋服作っていいのですね 」
あきれてしまう話ですが、
詳しい話 (お給料とか、当時その会社は、二つのブランドがありましたが、どっちで働くか❔) は
全くなしで、来週からとだけ・・・
そりゃ、そうですよね
あきれた私は履歴書も持参しないで、その会社に行ったのですから
その日の次の週から、
私の原点 (それまでの仕事とは全く違うので、原点と思います。)
と、なる仕事をすることになりました・・・
※ 最近の私
珍しいんです。
デザイン・パターンを自分用に作ったコーディネイト (ワンピースとコート)
もうそろそろ、着納めの年かな??
姿勢が良くないと、アッパーパーのように見えるかも
ミニ丈で、異素材を低い位置を切り替えた、コクーンシルエット
ノーカラー・六部袖丈なので、インナーにピッタリとしたTシャツをレイヤードできます。
数少ない“私による 私のための世界に一点しかない服”です。
記念に撮りました・・・ジョッキーブーツとコーディネイトしたら、今年らしくなりました・・・
コメントありがとうございます。
お仕事、とてもやりがいがある・・・って、素晴らしいことだと思います。
国家資格まで取られて、新しい道を進まれたなんて、
素晴らしい
私は、ただ好きで、仕事をしていましたが、
今は毎日がSunday族で
経験を活かせる仕事をしたくて、引っ越してからもいろいろアクションをおこしたのですが、
無理で・・・
marimari さんは国家資格まで取られたお仕事
一生続けてくださいね
リタイアしてわかったことですが、
誰かに喜んでもらえる仕事があるって、幸せな事だと思います。
そして、生きている明かし
頑張ってくださいね
marimari です。
すごーい!
なので、お洋服のセンスがとても良いのも頷けます。
チャンス…本当にどこにあるかわかりませんね。
そのことが転機になり、kaigowearさんの今の人生があるのですね。
私も語学を勉強していましたが、50を過ぎ、ひょうんなことから福祉の世界に足を踏み入れました。
国家資格を取り、今は障がい者の支援をしています。もう利用者さん大好きで、毎日楽しく仕事をしています。天職ってこのことなんだと思う毎日です。
これからも色々なお洋服のこと紹介してくださいね。