シアワセ、時々、フシアワセ

人生の折り返しをとうに過ぎた
ワタシの喜怒哀楽

墓参り

2024-06-23 | フシアワセ

こんにちわ( ^o^)ノ 

昨日梅雨入りし雨マークがずらっと並んでる我地方です

コインランドリー行こうかやめようか… 洗濯物が乾かないのが困りますよね

 

 ↓ 途中で終わったままで未完成でした^^;時系列で

21日・金曜日

今日は産直市場じゃなくって、スーパーの生花を買ってきました

カートに15束のお供え花をドーンと( ̄∇ ̄)

家に戻り、玄関に新聞紙敷いて、包装をはがして分解

アレンジして

花立にそのまま立てられるようセッティングしたら

高さを揃えて

崩れないように茎を輪ゴムでとめる(場所別に色の違う輪ゴムが目印)

完成すると、造花のお供花束みたいになります(*^-^*)

水を少々入れた容器に浸し、このまま車に積込む

ゴミも出ない最近気に入ってるやり方です

 

予定では3ヶ所の墓所、1ヶ所につき花立が4~5つ、花瓶にさしてもらうのが1つ

お水は心配しなくて良さそうですが、花にばっかり気を取られてると忘れがちの・・・

お線香とロウソクもね(^◇^;)

 

明日、父の命日が近いので、墓参りに行くんですが

なんとなんと、兄・私・弟、3人揃って参るとか

普通は珍しい事ではないしょうけど、私らにとっては初めての事なのです

同じ親から生まれた兄弟なのに

親が離婚した訳じゃないのに

大人の事情や時代、親に振り回されて成長した結果

3人一緒に過ごした子供時代の時はごく僅か… 

他人行儀な兄弟で友人以下の関係、おかしな話しですよね(´。`)

 

今は同じ街で暮らす弟が迎えに来てくれるので乗せてもらって

生家で兄を拾って、父が眠る霊園へ行き、熟年再婚した父の嫁んちに寄り

祖母の生家であるM姉ちゃん家の墓参りして、兄をおろして生家の墓参り

兄弟3人だけで車に乗るのも、弟の運転も初めてで、ちょっと怖い気もする( ̄∇ ̄;)

 

22日・土曜日

7時出発で行って、墓参り、ランチは途中のガスト、帰宅したら17時でした

大人になってからの兄と弟はどんな関係性なんだろうと、常々思っていた私

口数少なく大人しい弟には積極的にあんちゃんと話す様に言い

トイレ時間をわざと長くして、車内での兄と弟、2人だけの時間を…(・ω・)

後ろ席から時々ツッコミ入れながら観察してみたりw

 

元々が他人の様な3兄弟だったですからね

母の急逝で兄妹断絶もたやすいこと

父の時に兄は来ず、祖母の逝去後に私の方から歩み寄り、父の遺骨を抱いてもらった

1年に1回の父の命日の頃に墓参りに誘うようになりました

(土日が都合がいい兄と、週末は店があるので来れなかった弟)

車がどう、兄自身の家族がどう、私にはどうでも良いような話しばかりの車内は

少しぎこちないですけど、恒例になればな

たぶん・・・

兄も弟も同様だと思うのですが、気疲れ感がハンパなかった( ̄∇ ̄;)疲れました;

 

父の納骨時、一周忌、今回の三回忌、見事に雨でした

おまけにこの日は昼のニュースで【梅雨入り宣言】を聞くとゆう

父が雨男だったんでしょうね

嫁さんが学会さんなんで(父は無関心)、三回忌の法事は無し

3人で一緒に参った事に意味があったと思うんです(火葬時は弟と私、納骨は兄と、一周忌も兄と私)

 

一周忌の時は私の想いを汲んでお寺さんの読経に理解をくれたはずなのに

間際になって父の嫁が自分が拝んだだけじゃダメなのか(`´)

と面倒な事を言い出しましたからね

今回、事前に連絡してたので、墓参りし終えてから自宅にお邪魔し

学会の仏壇横に置かれた父の遺影を拝ませてもらって帰りました

黒い礼服姿の父の遺影写真、弟はまだ見て無かったので良かったです

父を送ってくれた人だし、納骨堂の名入板にこの人用の空白もある

まぁ、どうこう言ってても、忘れずにいてくれるのは有難いことですから

年1回でも繋がっていようと思うのです

 

23日・日曜日

昨夜はTVも扇風機も付けっぱなしで寝落ち、3時頃に気が付きました( ̄。 ̄;)

朝起きたら喉が痛い、乗り心地悪い車だったから首も痛い・・・最悪っ;

 

今回の墓参りね

弟は平日休みで週末は仕事、休むと給料に響くから無理に誘わなかったんですが

当初、弟も一緒に行かないか?と、兄が言ってたので一応聞いてみてたんです

その旨伝えて数日後、休暇をもらえたと言ってたんですょ

それがね

昨日は体調不良とかで、始業前に電話を入れズル休み~コソコソ電話してた

元々前日の金曜日が休みで調整が無理だと自己判断したんでしょうけど

そんなんじゃダメでしょー(`へ´)ねぇ;

週1で風呂&晩飯を食べて帰るのも恒例(婿養子先の店の跡継問題で鬱病ぎみだった弟の様子見の為)

「あんまり会いよったら姉弟喧嘩するようになるけぇ、1回飛ばしねw」

私の方が、明日は約3ヶ月ぶりにお休みを頂きました(笑´∀`)

 

親が死んでいなくなった

それがきっかけで兄弟関係修復とか、これも何だか因果なものですけどね

私が先頭を切って

1つ上の兄と、4つ下の弟と、兄妹弟として生まれた絆を紡ぎ直したい

その願いがあります

元気でまた来年、私も早めに連絡して、弟は必ず事前に休暇を取ってw

3人揃って両親や縁者の墓参りに行けたらと思います

 

今日もありがとうございましたm(_ _)m

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今年の母の日

2023-05-16 | フシアワセ

プランターで種から育てたカモミール、もりもり咲いています

日曜日に寄った道の駅では

切り取った花房が20近く並べられて1パック150円だったかな

たぶん… 使い道はフレッシュハーブとしてでしょうか(カモミールティーとか)

虫除け効果もあるそうですが、うちは今、あの赤い小さい虫(タカラダニ)が発生中

花粉を食べに来てるからもっぱら観賞用です^^;

今年の母の日

ずっと忙しすぎて

亡母の命日も… 母の日も… 今年はしんみりする余裕すらなかった

この日だったって、あえて言わないから父ちゃん(夫)は忘れてる(娘は翌日に花をお供えに来てくれた)

【今日はお母さんの命日だったね】

って、夜、電話がありました

そう言って連絡をくれたのは、生前の母と縁深かったその方だけ

「今年も母が逝き急いだ日のその時間帯に、読経してもらうようにお布施を送ったょ」

って、身内でも無いその方に報告した

ワタシには、今でも母を共有できる人がいて、本当に有難い事だと思います

 

少し前にあったドラマ

《ブラッシュアップライフ》自分の人生をもう1度やり直すタイムリープ系ヒューマンコメディ

この頃に見た夢

久々に夢に出て来た母に「え?おかん、死んだんじゃないん?」と言うと

ニカッと笑って「ん?2回目なんょ^^;」と言った母

「何回目でもえーけど、久々に会えて嬉しいょ」と言うワタシ

今までも何度か夢で同じようなやり取りをした

時には

兄の側で忙しそうに世話を焼いている母の姿はワタシにしか見えないらしい

兼業農家の嫁である兄嫁は横着でズボラで足元の草取りすらしない都会人気取りの人

母は1人忙しくしている兄を可哀想に思ってる様子で、問うと

「うん。死んでるょ。。でも…」

その前は問いかけに無言、その前は後ろ姿、会話は無かった

ただの夢さえも、時の流れはお互いを前に向かわせてるようにも思える

母はどこまで行ったかな・・・

物理的には近くとも心理的には随分と距離があった

愛されなかった娘が、娘を愛せなかった母を、今でも心配している

GWに来た孫たちが泊まった夜

小さい子達(犬)の留守番時の様子を見るための見守りカメラに写るオーブの数々

人の頭ほどの大きさだったり、大小様々、半透明の球体は発光したり動きも様々

(1人1つの球体でもないらしく、数はその魂の感情であると言われた事があります)

時に天井でビシッと音がする

あ!おかん?おとんも一緒?M姉ちゃんにも会えた?おババも?伯母も?おジジも?

そう言えば、おとんの弟さんの嫁さんが亡くなったの知ってる?

きっと久しぶりに現れたオーブは母

(当時は疑いもしなかったけど、今は周りで亡くなった人も増えて、確信はない)

スマホに釘付けになり独り言を言う

肉眼では見えないけれど、電子機器を通すと写る魂

母が逝って3年位まではよくあった金縛り

何かしら伝えたいと思ってる母からの何かを得たくて、神経を研ぎ澄ましていた頃

またなるかと思ってたけれど何事もなくて残念だった

通夜の時に出来を笑っていた、悪意さえ感じる兄嫁チョイスの遺影写真

悔しくて腹立たしくて悲しくて、黙って作り替え差し替え帰った夜

母はその写真のお気に入りだった着物姿で枕元に現れ微笑んでいた

亡くなった頃からワタシに起きた不思議な事の数々、でも、はっきりと姿を見たのはその時だけ

他人さんなら怖い話であっても

大事な人ならきっとみんな、魂でもいいから会いたいと願うはずです

死人に口なしだから、微霊感があって本当に良かったと思いました

 

生前の母が知ってるワタシの孫は孫①だけで(当時の母の曾孫は5人、今は9人)

会いに来たんだと思うし、見守ってくれていると思う

人は肉体を失っても、心は生前のその人そのまんまなのだと

自分が経験して思うこと

鬼と化す可能性だってあったけど娘さんの想いが… と、その道の方に言われた事を信じている

ただただ、あちらの世界で穏やかに笑っていて欲しい。。それだけ。。。

独り暮らしの孤独ではない、大家族の中での孤独は、自立した強い人間さえも痛めつける

母が伝えて来たあの人達は

他人の口から出る陰口が言ったように、罰が当たった不慮の出来事があった

ワタシに言わせたらそれはそれは軽すぎるけどね

新たな憎しみを生むんではない、因果応報、それが本当の罰だと思います

 

あれから5年・・・月日が経つのは早いものです

母の日は自分を生んでくれた母親を想う日

勝手に死んで手に取ることさえ出来なかった、紫陽花好きの母に贈った万華鏡

今年は全部の枝に花芽がつき、また母に会えるような、心待ちにしていますWe should meet again.

 

 

私自身も2人の母で、子供達からお届け物があり、気持ちが嬉しかったです

娘達からは欲しかったニトリの枕、息子達からは高級肉の焼肉セット

 

霜降り過ぎて、脂に弱くなった父ちゃんは一晩中トイレ通いする羽目に

たぶん・・・

10数年前に亡くなった母を想う日だったのに、忘れてたんじゃないかな( ̄∇ ̄;)

 

今日もありがとうございました

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戸惑い

2022-08-12 | フシアワセ

父の49日が過ぎまして

初盆でもあるので父の家にお線香をあげに行ってきました

 

ワタシの心配事は

何もしてもらえない父は、行くべき所に行けるんだろうか?と言うこと

夫としても、父親としても、最悪な人でもありましたが

最後ぐらいは娘として人並みに送ってやりたい気持ちが残る

今回の様な経験は初めての事で、心を痛め、戸惑う事ばかり・・・

父の嫁さんとの関わり方

頑張っていますが、父より9歳年下でお世辞にも常識人とは思えない人柄

その人を選んだのは父本人で仕方の無い事

聞きにくい宗教の事

そこら辺の話をちゃんとしておかないといけない

父ちゃんにも一緒に行ってもらい話をして帰りました

 

直葬で(実際には家で1晩過ごし簡素なお別れ)通夜も葬儀もない、身内の人間数名で見送る

戒名も無くお経を読むお坊さんもいない

亡くなった時も、その後も、法要らしい法要は1度も無い

父の訃報は嫁さんの長男からの電話で知り、今までも何度か彼から報告を受けてきた

嫁さんはワタシの事が恐いと、ワタシへの連絡はすべて長男任せ

彼にとっては

自分の母親の再婚相手、妹の子供を母親と一緒に育てている人

彼にとってはそれだけの人であり

関わりたくないけど母親に頼まれたから連絡してるだけ、と言うスタンス

訃報の次の連絡では

「通夜も葬儀もない直葬。出棺は〇時です。。家族で見送ります。。。」

一言のお誘いも無かったので、こちらから立会いをお願いした

ワタシと父ちゃん、4歳下の弟も一緒に見送った

病室で、孫(血の繋がらない)と一緒に病院のレストランで食事がしたいと

看護士が聞きに行くため席を外して戻ると心停止になっていたそう

普通に会話もでき元気だったのに・・・あっけない人生の終わり

認知症と膵臓癌も患っていたようですが、最期は苦しまずに逝った

 

そもそも父が熟年再婚した当時

お世話になるからと、挨拶に行き、一緒に近くのくら寿司で食事をした

嫁さんとはその時が初対面、昼から生ビールをジョッキ2杯、どうなん?

父ちゃんのおごりだったから、ちょっと引いた

その後も仕事が無いと言う父を時々出張させ雇う事もあり、給料も支払ってきた

我家に2人で泊まりに来た事だってあった

積極的に付合いをするタイプの嫁さんではない事は感じましたが

父の人生の終盤に・・・

父自らが連絡出来なくなったんだから嫁自身がワタシに連絡をよこすべき、はず

それなのに嫁さんがワタシの事が恐いとか言ってる。へ?笑ってしまいます

ただの自分の罪悪感なのでしょう

感謝されても恨まれる筋合いはないと思うんですけどね(^_^;)

でも後から思うのは、コロナのせいにしたくないけれど、

ワタシから連絡出来てたら、まだ生きていた父に会えたのかもしれません

 

再婚同士で墓を建てても後継者がいない、お金も無いのに父と2人で入りたいと言う

父だけならワタシ(3兄弟、私以外は父に関わりたくない)が決める事ですが

嫁さんがいる

その嫁さんには40歳前後の息子と娘がいて、2人には学校に行くような歳の子達もいる

嫁さんの子供達にとっては死別した父が実父であり・・・ワタシの父とは赤の他人

嫁さんには死別した前夫の墓があっても再婚して姓が違うから入れない

1人用じゃなくて2人用が必要になる

はぁーややこしい(-_-;)(-_-;)(-_-;)

先日契約して帰った納骨堂、ワタシが負担して契約者は嫁さんです

色々あったとしても

父の人生最後まで一緒にいてくれた感謝の気持ちが正直あります

生きてる限りは供養もしてくれるでしょうから

亡母にごめん・・・と

心痛めながら、父の嫁さんと今からも付合いをするつもりでいます

その嫁さんが

分骨してワタシの母の墓に入れてあげたら?なんて、無神経な事を言うからイラッとした

名字は同じでも離婚し出て行った人、先祖代々の墓には入れない(婿養子ですが旧姓に戻らず)

父のお骨は骨壺のまま安置され、奥さんが入ったのち、また10年安置され

その後2人のお骨は合同供養塔に移されて永代供養をしてもらう

ということ

落着く先が決まって少しは安心できました

 

ワタシの戸惑い

嫁さん家族は一族みんな某新興宗教を信仰しているらしい

(これは生前の父から聞かされていました)

仏教のような戒名もなく、通夜葬儀も違う、墓は〇〇家、区切りの法要も無い

ワタシの生家は

1,733年に亡くなった先祖である曹洞宗僧侶が隠居寺を建てた事から始まり

生家の菩提寺のルーツになる寺で1番目の檀家らしい、曾祖父母は熱心に信仰していた

父の生家は浄土真宗、詳しく知らずとも先祖代々の長い歴史がある

それぞれの家が普通に仏教だったので

新興宗教にも、そのお作法にも、戸惑いしかなくて・・・モヤモヤするばかり

嫁さんはそうであっても父はその宗教と無関係ですからね

おとん、大丈夫か?

お経の1つも唱えてもらえなくて成仏できるん(/_;)なんて思ってしまうんです

そんな事が心配だったり、不安だったり

心穏やかに過ごせない理由の1つでした

ワタシよりずっと、父と母と連絡を取り合い、胸の内も知ってた父ちゃん(夫)の出番

ワタシが聞きにくい事も聞いてくれて(さすが父ちゃん♪)先の予定を立てる事ができました

 

納骨堂契約の時も、今回も、見てると、大丈夫なん?

と思わせる頼りなささを感じ、あれこれ心配してしまうワタシ

生活苦で父のお供えやら花やら、してやれないと言う嫁さんに色々買って持って行く

今回もお盆の準備にとイオンの商品券を置いて帰った

おかんに悪いなと思ってる位だから、現金は言付けたくない!!という娘心です

蜂の巣も退治して帰った

何でこんな心配をしないといけないのか(-_-)父め(`´)

 

帰り道に

ワタシの生家の墓が見える場所で母に遠くから手を合わせました

父ちゃんも

再婚してる自分の母親の墓が見える場所で遠くから手を合わせました

離ればなれで育ったお兄さんが建てた父親の墓も遠くから手を合わせました

父ちゃんには墓にも参れない家族関係があり

それに心痛めていたワタシが、自分自身もそうなるなんて・・・夢にも思っていませんでした

人生には本当に思いがけない色々な事が起きます

 

今朝方、3度も金縛りにあい、部屋にあるペットの見守りカメラをスマホで確認

白い玉がフワリフワリ飛んでました(気配は感じても肉眼では見えないので)

今までなら「おかん、元気やったん?どうしよるん?」そう声掛けしますが

2人ともいなくなったから「おかんなん?おとんなん?」どっちか私も分からない

何かを伝えに来ている。それだけは感じるのですが・・・

父の祭壇の前で、100日の法要か納骨前の法要か

そんな事を3人で話していて

「おとん、1回くらいお寺さんにお経を読んでもらおう」と言ったタイミングで

【ピシィ!!】と、かなり大きなラップ音

その場では「おとんも賛成してるみたいですねー」なんて言いましたが

きっと、そんなお金がかかる事せんでええ、そう知らせたような気もしています

 

供養って、残された遺族が故人を想いする事であって

死んでしまった本人にとっては、知ったこっちゃないのかもしれません

特にうちの父は・・・

 

ちょっと長くなりましたが

この記事を書いてる最中、いとこから生家の祖母(母の母)の訃報が届きました

その後に弟も連絡してくれました

 

昨日の帰り道

急に思い立って避けていた生家の近くまで行ったわけですが

途中、祖母が入院してると聞いた病院の前を車で通り、思う事がありました

祖母は昨日の、その時間帯の頃に

ロウソクの灯りが消えてゆくように亡くなったそうです

104歳、大往生、よく頑張って生きてくれたと思います

知った者がみんないなくなってゆく・・・

長生きした事で皆を見送ってきた祖母は、よくその淋しさを口にしていました

同い年の祖父が75歳で亡くなり、5年前には叔母(母の姉)、そして4年前に母

2年前には孫である従兄弟の急逝、親兄弟もみんないない

今頃、先に逝った家族や知人友人に逢えている事でしょう

最後に会ったのは

亡母の一周忌と納骨が目前の頃、縁側に2人で座ってスーパーの寿司を食べた

「もう会いに来れないから元気でいてね」とハグしたら

【死んでから来てもつまらん。生きてるうちに会いに来てょ】そう言った祖母

山桜が風に吹かれて飛んで来て、花見だね~って言って一緒に笑ったね

おばば、ありがとう

笑った時に出来る目の下のエクボは祖母譲り、貰ったのはワタシだけ♪

ありがとう

 

幼少期に育てて貰った祖母が自分の母親だ!と言う兄は悲しみに暮れてる事でしょう

すべての自らの不遇は、生まれた家のせい、親のせい

育てて貰えなかった恨みがあると、それを盾に、母へ過剰な懺悔の人生を求めた

自分のふがいなさを棚に上げ、家を出なかったのは祖母がいたからだと

兄にとっては肩の荷が下りたでしょうが、これからは誰のせいにも出来ない

頑なな心を悔いて、今からの人生を生きて欲しいと願っています

 

そうすると思うのは、今朝の金縛りは?

きっと母が祖母の事を知らせに来てくれたのかもしれませんね

周りの知った人が亡くなると経験する事が多い、ワタシの不思議なことです

長い記事にお付合い頂きありがとうございましたm(_ _)m

コメント

昔のことをよく思い出します

2022-07-29 | フシアワセ

今年も白花夕顔と赤花夕顔が咲く頃になりました(*^-^*)

昨日、父ちゃんの4回目のワクチン接種券が送られてきて

3回目は副反応(モデルナ)でしんどかったからな、次はどうでしょう

本人は副反応が重いほどワクチンが良く効いているんだ!と言いますけどね( ̄∇ ̄)

かかりつけ医では9月初旬まで予約が一杯で集団接種を検討中です(どこもモデルナらしい)

もう、ちょっとどころじゃない、急激に増えてる

ワタシが暮す地域も最多更新しつつある(一昨日は約3,000人、昨日はもうちょっと少なかった)

このまま行けば、お盆頃には5,000人台半ばに達すると予測されてるらしい(゚_゚;)

身近に迫って来てると感じたのは

息子の会社の外回りの人がコロナになり、息子も同僚達も検査したんだそう(大丈夫でした)

20歳代で若い人の罹患

熱とかそんな症状は一切無いのに、とにかく腰が痛くて痛くて立っていられないと

見聞きするコロナの症状と違うけど、こんなケースもあるんだと驚いた所です

 

 

※長文です。他人のフシアワセになんか興味ないょ~って方はスルーしてくださいね(-.-)

さて

ワタシは最近、昔のことをよく思い出すようになりました

孫を通して、その年の頃の自分を重ね、考える事もあります

自分自身の事は

自分で考え決める事ができた人生で、誰のせいでも無く、後悔はありませんが

家族の事として捉えると心を痛める事が多くあります

もうどうにもならない事なのに・・・年をとったからでしょうか( ̄∇ ̄)

 

4年前、生家で兄家族と祖母と暮していた母が急逝した

いつも、夕方の忙しい時間帯に長電話をしてきて、一方的に喋り倒す母からの着信

まぁ、いいっか。

今、忙しいから後からかけ直そう。。そのまま忘れる。。。

2日後にかけたけれど、母は出ませんでした

その3日後には母の日がある

ネット注文して届いた紫陽花を届けに行くから、その時でいいよね

まぁ、いいっか。

ワタシが思った

まぁ、いいっか。

は、生涯悔いる事になり、その母の日は母の葬式になった

鑑識の見解

1度目はロープが切れ失敗、自宅に戻り再び準備した上で覚悟しての行為

生家の山で変わり果てた母の姿

兄は「よぉそんな勇気があったもんだ。鬱だったそうな」と言い放った

兄嫁は「桜子さん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と絶叫していた

たまにしか行かないワタシに生家の人達は皆うまく取り繕う

母:祖母も、母:兄も、母:兄嫁も、ワタシはいつも中立の立場で聞いていた

そこまで悪化していたと、兄嫁の悪意、家庭不和に気付けていなかった

『〇〇ちゃんだけが悪いんじゃないょ』

そう声掛けし、兄嫁を抱きしめた自分の行動を悔やんでも悔やんでも悔やみきれない

一旦帰り次に会った時の彼女は

泣き叫びながら過呼吸になりながら謝った事すら無かった事のように振る舞っていた

 

2人姉妹の姉が嫁に行き自分が家を継ぐ事になった

親が決めたから。親の言う通りにしたら間違いない。。と、この世代の人はよくそう言う

母が自分の命をかけてまで守りたかったのは

先祖から継いだ家の為、家督のため、12代目である自分の代で終える事だけはしたくない

自分がいなくなれば解決すると思ったのだろうか

何時代の話なんだろう

兄嫁が溺愛していた3番目の子も自立し巣立った喪失感、兄夫婦と母と祖母の暮らしになる

結婚してる3人の子供の家を転々と移動しながら暮すのが夢だった兄嫁

母を悪者にし兄と揉めさせて夫婦で家を出る口実が欲しかった

自分の夢だけを叶える為に

自分が悪者にならないように陰湿なことを重ねていく

親も兄弟も居ない、単身の叔父と暮す17歳の高校生だった嫁を妊娠させたのは兄

1人で家事育児が出来ないと同居を望んだのは彼女の方だった

ご飯すら炊けない、挨拶すらしない、驚くほど何も出来ない人だった

子離れできない兄嫁は50歳を過ぎただろう、そんなくだらない事で母は死に急いだ

 

あの時電話に出て話を聞いてやっていたら・・・

最悪の事態にはならなかったかもしれない

ワタシにも、何か出来る事があったんじゃないか・・・と

その時も、今でも、今からも、そう思い続けると思う

 

父も先月亡くなった

最後に会ったのは母が亡くなった時で、電話で話したのは3年前

電話が繋がらなくなり(痴呆症になり施設や病院にいた)家も嫁さんの連絡先さえわからず

代わりに嫁の長男が連絡して来た頃にはコロナの世の中になり

生前の父に会う事は難しく、久しぶりに顔を見たのが棺の中

 

親が2人とも亡くなり、1つの時代が終わったように感じて

自分の人生を振り返り考える事も増えました

皆さんも親御さんを亡くされた時、そんな想いになったのでしょうか

 

母の実母である祖母は大正7年生まれの104歳で健在です(同い年の祖父は75歳で死去)

最後に会ったのは3年前

平日は生家からディサービスに通い、認知機能の衰えはあっても元気そうでした

先月だったか、体調を崩して入院したと弟から聞きました

祖母は長寿でしゃんしゃんした人なので、私自身も親の老いに疎かったのだと思います

多くを語らない母がどれだけの苦悩を抱えていたのかを知るのは亡き後

もっと大事に想ってあげたら、心に寄り添ってあげたらと、悔やまれます

 

母は死去後ワタシを金縛りにさせ

何故死んだのか

誰が追い詰めたのか

今、自分がおかれているいる状況を、自分目線で伝えて来たりしてました

そんな多くの不思議な事が3年ほど続きました

他人さんには怖い話かもしれませんが、母の心を鎮める為の努力は惜しまなかったです

何も感じなくなった頃

母の行く先を案じながら、再び訪れた別れに淋しい気持ちになったのを覚えています

今、父の遺骨を預かり帰り手元供養してますが

何も感じません

自分の思うように我を通した思い付きの人生を生きた父

もし思い残す事があるとしたら

溺愛していた血の繋がらない孫である男の子の事

(嫁の娘が夫と死別後に育児放棄し、赤ちゃんの時から父と嫁が預かって育てていた)

ワタシも赤ちゃんの時に会った事がありますが、この前見た時にはもう中学生

その子の事が唯一の気がかりなんじゃないかと、父はそばにいると思います

母は孫(弟の子)と、父はその子を連れて、2人で会ってたりもしてた

よくわからない変な関係ですね

 

兄は幼少期に跡継ぎだからと生家の祖父母に育てられてた時期があり

5人揃って、3兄弟揃って暮したのは、弟が生まれた当時の半年に満たない

兄が欠けるか・・・、ワタシが欠けるか・・・

父のせいで兄とワタシは生家に預けられた(その後兄はそのまま生家で暮す事になる)

その期間が約2年だった事、赤ちゃんだった弟は父の実家にいた事

口に出したらいけない雰囲気で親にも聞いた事がなかったですが

つい2~3年前、父の妹である叔母に教えてもらいました

そんな、親子兄弟離ればなれの暮しがあったワタシの家族

 

親の反対を押切り都会に出したのに、父は同郷から愛人を呼寄せ近くに住まわせていた

知った母が子供を置いて飛び出し、困った父が子供を生家に預けに来た

そりゃぁ祖父も怒り心頭でしょう

子供を置いて2年も行方不明だった母もどうかと思うし

親の身勝手で辛い思いをするのはいつも子供達

幼いワタシは母が飛び出した時の光景も、2人が迎えに来た日の事も良く覚えています

先祖代々の家を継いで守って行く為に

先で必ず娘夫婦が戻ってくるように

兄だけは手元に残し手放さなかった祖父(結局兄が高2、私が高1、弟が小6の年にUターンした)

周りにも長男を残し都会で働き仕送りしてた人がいたので珍しい事ではないと

兄を残してまで都会に戻った両親は

その選択が将来ずっと影響し続けるなんて、当時思う事はなかったでしょう

(頑なで世間知らずの兄は自ら羽ばたく事も無く、自分のふがいなさを生い立ちや親のせいにばかりしてましたから)

原因を作った張本人は、兄との関係の修復もしきらないまま出て行った

 

兄を育てられなかった後悔が他人の子を育てるきっかけになったのか?は分かりませんが

何の因果なんでしょうかね、人生とは不思議なものですね

 

父は最後の最後まで仕事を求め奔走していて

うちに手伝いに来てもらう事もあり、その時には先払いを頼まれてました

子を育てる為に必死だったようです

歳のせいで大工仕事も見つからず、福祉の世話にはなりたくないと最後まで抵抗し

嫁さんが倒れ入院、父は認知症を発症、共倒れした

生活が立ちゆかなくなり福祉の援助を受け始めると

唯一ワタシに連絡してきていた嫁さんの長男からの電話は途切れた

何も聞かされないまま、何もしてあげられないまま

最期は膵臓癌を患い77歳の人生を終えました

 

両親の結婚生活は40年、今の嫁さんとは15年位でしょうか

これからのワタシの人生は

母の日の頃が命日の、母を想い

父の日の頃が命日の、父を想う

男の子は大事にされ女の子はいらない(田舎ならではの価値観とゆうか昭和脳ですね)

差別されて育ち15歳で社会に放り出された自分が、今もこうして亡親を心配している

罪作りな親をもったのだとつくづく思うのです

 

今のワタシの関心事は墓問題

嫁さんが30歳代で死別したご主人は某宗教の墓で眠る

嫁さんもその宗教だけれど再婚したから名字が違うし父と入りたいと言う

父はその宗教とは無関係

本来なら5人兄弟の長男で継ぐべき家があったのに婿養子に入った(次男の叔父が継いでいる)

離婚しても母の姓を名乗ってるので実家の墓にも入れない

そぅ、2人とも墓が無いのです

生活苦で何も残していない父への最後の親孝行は父と嫁さん2人分の終の棲家

ワタシが負担する事になりました

家族関係が複雑になればなるほど色々な問題がある事、現在進行形

親を反面教師に

とにかく普通で平凡な人生を送れるよう、日々努力して生きる事を学んだ気がします

 

叔母(父の妹)が「手を合わせに行ったら花も無く可哀想だった」と言ってたので

そんな父へ100均の造花で菊の花のお供えアレンジを作りました

高さ50㎝程のフラワーアレンジ、造花でも無いよりはマシでしょうか

埃除けにセロファンでラッピングを施し飾ってもらいましょう

今日はダラダラと、まとまりが無くてすみません

少し重い話になってしまいましたが、お付合い頂きありがとうございましたm(_ _)m

 

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おとん

2022-06-26 | フシアワセ

昭和20年生まれの父の訃報が届き、旅立ちを見送ってきました

ワタシが経験した事がないような質素な旅立ち

 

自由の身になれて良かったね・・・

 

本人が望んでいた旅立ちは

通夜も葬儀も戒名も坊さんもいらない

帰りたかった市営アパートの小さな部屋で、血の繋がらない家族に囲まれ1日過ごし

ワタシに第二の人生だ!と豪語した

関わりのあった場所を巡ってもらって、骨になって自分の家に戻る

そこが父の居場所であり、今の家族との暮らしの場

その場に実子であるワタシと弟が一緒にいた事をどう見たんだろう

あなたの娘と息子です

 

大工だった父はいつも角刈りかパンチパーマ

少し延びた髪の父を初めて見たような気がしましたが

思っていた以上に穏やかできれいな死顔をしていました

本当は父には文句の1つでも言ってやりたかったですけどね・・・

お疲れ様でした。よく頑張りました。又会おう。と頭を撫でてあげました

今はあの世の入口で

生前の行いを閻魔様にこっぴどく説教されている最中だと思います

 

昔の漫才師、TVで見てた横山やすし氏のような性分だった父←ワタシが勝手にそう思ってきた

無責任で、自分勝手で、短気で、子供みたいな人←うちの父の事

建築士や指導者の免許を持つ大工職人としては尊敬しますが

短気ゆえ、弟子達を叱り飛ばしていた父の姿を見ていた子供の頃を思い出します

夫、父親、としては最低な人で、もう、言い出したらキリがない程

最後には

生家の一部が立ち退きになり、婿養子の父がその大金を使い込み

逆ギレして家を出て、新たに住まいを構え別居状態になりました

ワタシは母を連れ父の所に何度も説得に行きましたが

襖の向こうにはもう今妻がいて一緒に暮していたようです

再婚して15年たつそうなんで当時父が62歳頃の話です

 

亡母の艱難辛苦は父に出会った事からだと

生家の家族問題を作った張本人は悪びれることもなく

母と離婚後も頻繁に連絡したり母を振り回していましたから

何だかんだ言いながらも

ずっと待ち続けていた母の気持ちを思うと切ないものです

跡継ぎの長男だからと兄だけ生家で育てられた(5歳から約10年~)のも父が原因で

幼少期に育てて貰えなかった恨みがある!と、孫も居るような歳の兄が口走る

父と母が揃って兄との親子関係を修復をするべきだったのに・・・父は匙を投げた

母だけが兄夫婦に責められ続け、母を死に追いやった事

兄の知らない所で兄嫁が母にしていた事は、人として、一生許せません

たらればを言っても空しいだけですが

両親と3兄弟、当り前に過ごせていたら、又違った未来があったのだろうか

思っても考えても無駄な事だと思いつつも、いつまでも胸を痛めてしまいます

きっと良い時もあったはずの家族は崩壊

寡黙な血筋の家族に欠けていたのは、察する事ではなく

言葉だったのかもしれません

父がそう言っていた、らしい、今の家族が決めた事

通夜も葬儀もない直葬だと、聞いた時には涙が止まりませんでした

痴呆症になり施設にいる時も、精神科に入院している時も

コロナがあって生前の父には会えないまま、留守電に残る父の声が切ない

食欲がなくなり胃瘻にし、内臓に腫瘍が見つかり薬物治療を始めた

と聞いた、その翌日の訃報でした

どんな親であれ

人生の終盤を迎えた親に自分は何もしなくてもいいのか?と

ずっと良心の呵責を感じていたワタシでしたが

結局、何も、親孝行らしい事をしてあげられなかったです

当日は

花も無いんじゃないか?と、お供花と棺桶に入れる花を準備して行きました

実際には簡素でありつつも、考えていたよりはまだマシのように思えました

父の妻は今の人であり、母は前妻

ワタシの父はこの父で、母はこの母で、私らが生まれたのは事実

あの世で

恨み辛みなく一緒にいて欲しいと願うのは子供の正直な心の声です

 

父は母とあの世で逢えただろうか・・・と心配し

父はちゃんとお墓に入れてもらえるのだろうか・・・と心配し

親の心子知らずじゃなく

「子の心、親知らず」な親を持った娘の心はとても複雑です

 

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