隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「1995年・勝手にライバルバンド」の曲たち!~ミスチルは先輩だそうです

2020年04月21日 01時05分05秒 | スピッツ

2020.04.19 21:00
「草野マサムネのロック大陸漫遊記」
 at TOKYO FM



 オンエアよりもかなり前の段階で収録なので、状況がつかめないけれど、大変な中にいる方たちにもこの番組が息抜きになれば、と。
 そして今回もスタジオではなく「換気のいい部屋での収録」です。
 「雑音が入るかも」
 どんどん入っちゃってください!

 今日のテーマは、「1995年・勝手にライバルバンドで漫遊記」。
 1995年は「スピッツが『ロビンソン』でブレイクした年。
 「そのときに勝手にライバルだと思っていたバンドが1995年にリリースした曲」をセレクトしての放送です。


 オンエア曲
 01 ロビンソン(スピッツ)
 02 KNOCKIN' ON YOUR DOOR(L⇔R)
 03 ズルい女(シャ乱Q)
 04 ガッツだぜ!!(ウルフルズ)
 05 Over Drive(JUDY AND MARY)
 06 太陽が燃えている(THE YELLOW MONKEY)
 07 DESIRE(LUNA SEA)
 08 ピーターパン(BAKU)
 09 醒めない(スピッツ)


 漫遊前の一曲は、「やはりこの曲です」、スピッツで「ロビンソン」(1995年、11thシングル/6thアルバムハチミツに収録)。
 いつ聴いても、いい曲だなあ。声、若いなあ・・・。

 最初の曲は、「黒沢健一・秀樹兄弟のバンドL⇔Rによる1995年の大ヒット曲」、「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」(1995年、7thシングル)。
 当時7週連続1位だった「WOW WAR TONIGHT」を抑えて1位に輝いた楽曲だそうだ。
 草野「彼らは94年からじわじわ売れていたので、羨望の存在でした」
 草野くん自身は「競争がキライで音楽の世界に逃げてたところもあるんで」、口には出さないけれども「曲が素晴らしいなあ」と思っていた、と。
 (競争がキライ・・・(笑))
 「意地張ってたかもしれない、若かったから」
 スピッツ草野とL⇔R黒沢はFM802の『ミュージックガンボ』で曜日違いのDJをやっていたのは1997年ころかな?
 一度、お互いの番組にゲスト出演して、相手の曲をカバーしたり。草野くんはたしか、黒沢君のギターで「HELLO, IT'S ME」を歌い、本人の前では歌いにくいな、と笑っていた記憶もあります。
 「HELLO, IT’S ME」、いい曲ですよね。

L↔R hello it's me
 生意気な言い方をすれば、あふれる才能を感じさせる。
 いなくなっても確実に曲が残っていることを、せめて幸せだと思うようにしよう。
 草野くんがそこに触れなかったのは、彼の配慮でありこだわりなんだと思います。

 そして、「ちなみにミスチル、ユニコーン、エレカシは先輩なんでかけません。Charaも同世代で意識してたんだけど、バンドじゃないんで省きました」と。
 (ミスチル・・・、先輩なんだ~)
 そして、「このころ、テレビやフェスでいろんなバンドを会っていたので、基本、顔見知りのバンドから選びました」だそうです。

 次は、「ブレイク時期もほぼ一緒」のシャ乱Q「ズルい女」(1995年、7thシングル)。
 オリコン初登場9位でその後10位以下に落ちるが2位まで浮上したという、「シャ乱Qらしいロングヒット」。
 『今田耕司のシブヤ系うらりんご』のエンディングテーマが、3-5月はスピッツ、6月はシャ乱Q。
 テレビ番組にもよく一緒に出演していて、メディアでも「ライバル扱いされていた」けれど、つんくさんとは電話番号を交換して、いえ電で話したりしていたそうです。
 ふ~、懐かしいなあ。艶っぽい声。
 で、当時1位に君臨していたのは岡本真夜さんの「tomorrow」。
 口ずさみながら、「あれですね。同世代の人とカラオケに行くと女の人が必ず歌う」って。

 次は、「スピッツといろいろかかわりの深い」、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」(1973年、2ndシングル)。
 自分たちのブレイク前は面識なかった、と言いながら、「自分でブレイク・・・っておこがましいね」(笑)。
 ウルフルズはアマチュア時代の拠点が関西だったこともあるけれど、「共通の映像監督である竹内鉄郎くんなどを通して」知り合いになっていった。
 草野「アルバムもずっとよくて、個人的にはファンなので、いつかこの番組で特集をやりたい、というくらいのバンドです」
ウルフルズ - ガッツだぜ!!

 (ちなみにこの竹内監督の作品は、1996年の第一回「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS(旧称SPACE SHOWER Music Video Awards)」で、VIDEO OF THE YEARを受賞している。
 すごいMVだな!! 同時期の「ロビンソン」のMVも竹内監督の作品だと思うと、アーティストの資質への考慮も含め、プロの仕事だと言わざるを得ませぬ)
 このときの松本さんの衣装は志村けんさんのバカ殿の衣装を借りたそうで、「衣装の裏には『志村』とネーミングされていた」と。
 志村けんさんについては、「オレ、ドンピシャのドリフ世代なんで、語りだすと長くなっちゃうんだけど、今日は『本当にありがとうございました』と言いたいです」と。

 次は、JUDY AND MARYの「Over Drive」(1995年、7thシングル/3rdアルバム『MIRACLE DIVING』)。
 (来ましたー!!)
 ギターのTAKUYAさんとは、彼が「スカンク」にいたころからの知り合い。
 草野「スピッツとスカンクは仲が良くて」
 彼のギターは「特徴もあるしテクニックもあるし、その後多くのギタリストに影響を与えたと思いますね」。
 「この前の大阪城ホールでのライブに来てくれて、元気そうでした」と。
 (TAKUYAさんもつぶやいていましたよね。)
 草野「解散して20年になるけどいまだに人気があって、ジュディマリのファンという若い人に会うことがあります」
 (あるある)
 草野「っていうか、YUKIちゃんも若いよね~。何食べてるんだろう」(笑)
 (当時の音楽雑誌で、TAKUYA / YUKI / マサムネ / テツヤ(or 田村)の4人の対談っていうのもありましたね。みんなかわいかった)
 (ギタープレイもYUKIちゃんのボーカルも、かっこよくて、なんてチャーミングなんだ! そして弾むように心地よいメロディー。いまでもときどきアルバムを聴くことがある)
Judy And Mary 小さな頃から Warp Tour Final Live

 ここまで聴いてきて、「あれから25年」というのが信じられないと綾小路きみまろさん風にふざけた草野くんですが、私も含めてラジオの前のみなさんも、同じ思いだったかも・・・。

 そして次は、THE YELLOW MONKEYの「太陽が燃えている」(1995年、8thシングル/5thアルバム『FOUR SEASONS』)。
 顔見知りではなかったけれど、デビュー当時はリハーサルスタジオが同じだった、と。
 草野「ときどき小窓からリハを覗いて、すごいかっこいいバンドがいるってメンバーで盛り上がってた」
 当時、田村くんと「中学生だったらイエモンとスピッツ、どっちが好きだった?」「イエモン」という会話をよくかわしていたって(笑)(これ、よくインタビューでも言ってましたね)

 のちに共通の知り合いを通じて渡っていたのか、「テレビで吉井くんがスピッツのパーカーを着ていてくれて、いい人だなあ、なんて思っていました」と。
 親しくなったのは、「吉井くんがソロになってから」。
 ただし、「吉井くんが以前にやっていたバンドを地元静岡で田村+テツヤが見ていた」・・・とか、そのあたりの話はジュディマリの恩田さんや(五十嵐)公太さんもメタル出身なので、「掘ると長くなる」んだそうです。
 草野「グラムのハードロックで(日本で)売れた!というのがすごいことだと思います」
 そして久々に、このMV。
THE YELLOW MONKEY – バラ色の日々

 よく書いていますが、2000年、第一回のROCK IN JAPAN FES.(当時は名称がまだこれじゃなかった気がするけど)で見た、台風の前の奥田民生~スピッツ~THE YELLOW MONKEYの流れは忘れられない。その後、半年もたたずにイエモンは活動休止~解散の道をたどったのでよけいに記憶に残っているのだろう。
 
草野「ちなみに、この曲は、1996年の『ガッツな息子でキラリ☆』のイベントで、奥田民生さん、ウルフルズ、スピッツでセッションして盛り上がりました」
 (ココにセットリストあり。3曲のセッション中、個人的にはこれが最も楽しかった。いいイベントでした)

 最後は、「ライバルと言うのはおこがましい」、LUNA SEAの「DESIRE」(1995年、6thシングル)。
 草野「かなり好きなバンドでして。デビュー当時から売れていて、1995年にブレイクというわけではないので今回の趣旨にはあてはまらないのですが、今日はルナシー聴きたいな、という気分だったのでむりやりねじ込んでみました」
 ビジュアル系のバンドでも独特な雰囲気で、「とくに河村隆一くんのあのエグイ歌い方は最初から耳がとりこになっちゃいましたね」と。
 2006年リリースのカバー集もとてもよかった、と。
 そして、「SUGIZOくんのギターが気持ちいい」と。
 フィギュアスケートのルッツとかサルコーって人の名前らしいんだけど(知りませんでした)、「ウィ~ンというサスティーンが長く響くのを、個人的にはSUGIZOと呼んでおります」。
 打ち上げのカラオケで「desire」を「音上げて」と言いつつ歌っていたと、MOON CKILDの佐々木くんにばらされていましたね~。
 曲終わりに、ルナシーの呼び方「どれが正しいの? 今度教えてください」って。ファンの方へ?


 特集の最後に。
 1995年と言えば、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった年。
 草野「今の時代と比べることはできないけれど、暗い時代のあとには明るい時代がやってくると信じていきましょう。同じ時代に生まれた者同士、普段以上の思いやりの気持ちをもって暮らしていきたいと思います」
 ほんとうにそうだ、同感です。ついついイラついてギスギスしてしまう自分を反省・・・。

 そして最後は「ちょっぴりタイムマシン」のコーナー
 曲は、BAKUの「ピーターパン」(1990年、1stシングル)。
 BAKUはホコ天の大人気バンド!

 活動中は面識なかったけれど、ボーカルの谷口宗一さんがまだ売れていなかったスピッツを推してくれていて、解散後に対談などで「お世話になった」と。
 またギターの車谷浩司さんは、Spiral Life後、ソロではAIRをへてLaika Came Backとして活動中(草野くん、訂正)。スピッツのイベントにも参加している。
 「若さで突っ走る音楽だが、今聴くと粗削りなところがかっこよく聴こえて、そのあたりも興味深い」と。


 来週の予告!
 「私の映画ロックで漫遊記」。
 草野くんが今まで観てきた聴いてきた映画音楽の中から、「ロックだな」と思う曲をセレクトしてくれるそうだ。
 自宅で映画を観ることが増えた人も多そう。どんな曲が聴けるかな??

 そして、「旅にまつわる曲」も大募集。「ミスチルの『終わりなき旅』的な・・ね」。
 旅もままならない昨今、音楽にのせて、行ってみたいところに思いを馳せたり、かつて訪ねたところを思い出したりできたらいいですね。

 バックには、25年後もまだロックし続けるバンドの「醒めない」!

 昔がよかったなんて言う気はさらさらないけど、でも自分が若い時から90年代くらいまでは、レコードやCDを買いに行ったりラジオで聴くしか音楽との接点はなかったわけで、労力の末に得たものをドキドキしながら聴いた日々は、格別な思い出になっている。
 同じ時代を生きた人とは、曲名やアーティスト名をあげて、ああだこうだと語り合える。その曲数やバンドの数のなんと多いことか。
 ずっとほぼ洋楽ばかりで、でも特に80年代末にスピッツを知ってからは日本のバンドにも興味を持てるようになった。
 そして、どこまでいけるんだろう、いつまで楽しめるんだろうと笑いながらライブに通える日々が、また戻ってきますように。
 そんなことを願いながら・・・、おやすみなさい。



                            


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 足腰に自信があるうちは(笑)、ライブハウスに通いたい!
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