2007年5月24日(木) 14時開演(於 青山円形劇場)
『ナイスエイジ』以来、なぜか目が離せなくなってしまった「ナイロン100℃」の新作です。
実は先行でとれなくて、あきらめていたら追加公演の予告。それが予想外にあっけなくとれたので喜んでいたら、「14時開演」って。昼かよ…。
無理かと思われたのですが、そこはあきらめの悪い私のこと、画策のうえ、どうにか行ってきました。昼間の青山をプライベートで歩いたのは、何年ぶりだろう、なんて思いつつ、円形劇場にギリギリ到着です。
●どこまでが岸田國士で、どこからがケラさんなの?
何を隠そう、岸田國士の芝居をちゃんと観たことはないです。戯曲も読んだことはない。岸田戯曲賞の存在や、岸田衿子・岸田今日子の父親ということ、くらいしか知識はない。2、3年前に外国に日本の戯曲を紹介する本の仕事をした際に『屋上庭園』の英語訳をチェックしたことがあり、昔もこういう人の普遍的な心理を描いた作品があったんだなあ、と興味深く思ったことがあっただけ。
この人は、日本で最初に「近代的なせりふ劇」を書いた作家なのだということを、今回はじめて知りましたが、その意味もあまりわかっていない私です。
でも、ごくごく普通の日常でのごくごく普通の言葉の重なりが、決して古さを感じさせず、まるで私たちの心の奥を舞台上で見せられているような気がしたなあ。
これって、岸田國士の戯曲の本来の姿なのか、ケラリーノ・サンドロヴィッチという鬼才のなせるワザなのか、無知な私には判断できないところが悔しい。
●色鮮やかな衣装と、下駄のきれいな足さばきとか…
一つ一つの短編は、「犬は鎖につなぐべからず」の今里家の町内の出来事として位置づけられ、今里家の犬があちこちで悪さをするエピソードでつながっている。円形劇場の構造をうまく使って、テンポよく進んでいく。いろいろなエピソードが組み込まれてはいるものの、今は失われたきれいな日本語のせいか、そのスピードを感じさせないところがすぐれもの。色鮮やかな現代風な色彩の衣装が美しく、女優さんたちの立居振舞が優雅。コミカルにのけぞったりするけれど、でもなぜか優雅。下駄の足さばきがきれいだったのは誰だっけ?
印象に残ったのは、どれだったけ。
まず、「犬は鎖につなぐべからず」の父親が心身ともに遅れのある(と思われる)幼い息子にそそぐ視線の優しさ、毅然としたおおらかさ。大河内浩さん(二時間ドラマでも、よくお目にかかります)は「屋上楽園」でも場面をひきしめた演技で、うまいなあ、と。
「驟雨」の姉・妹のセリフの応酬が現代にも十分に通じていて、間の取り方が心地よかったな。姉(松永玲子)のコミカルなちょっとオーバーな演技と、妹(松野有里巳)の正統派っぽいセリフのかみ合い方がよかったです。
「隣の花」の描く二組の夫婦の微妙な心のすれ違いもおもしろく、とくに緒川たまきのはかない美しさが目をひきました。きれい…。
客演の萩原聖人は、コミカルなところにちょっと不自然な感じ、肩に力の入ったところがあったけれど、相変わらず少年のような佇まいで、緒川たまきさんと肩を寄せ合う場面が視覚的にもきれいでした。
客演の俳優さんもそうだけど、ナイロン100℃のとくに女優さんたちがいつも個性的で(今回は峯村リエさんはいなかったけど)、舞台が本当に華やかです。
理屈はともかく、おもしろくて深くて、また次の公演も!と思わせてくれた昼下がりの(ぜいたくな)芝居見物でした。
ちなみに、「犬を~」の息子役をかわいく演じた植木夏十さん。「屋上庭園」では屈折した並木の妻を演じ、つつましくもせつない心情をさりげなく見せてくれた。その見事な変化に力を感じます。
『ナイスエイジ』では、使用人の集団の中にいても(15歳の少女役はもちろんよかったのですが)、華があるっていうか、なんとなく気になる存在でした。
『ナイスエイジ』以来、なぜか目が離せなくなってしまった「ナイロン100℃」の新作です。
実は先行でとれなくて、あきらめていたら追加公演の予告。それが予想外にあっけなくとれたので喜んでいたら、「14時開演」って。昼かよ…。
無理かと思われたのですが、そこはあきらめの悪い私のこと、画策のうえ、どうにか行ってきました。昼間の青山をプライベートで歩いたのは、何年ぶりだろう、なんて思いつつ、円形劇場にギリギリ到着です。
●どこまでが岸田國士で、どこからがケラさんなの?
何を隠そう、岸田國士の芝居をちゃんと観たことはないです。戯曲も読んだことはない。岸田戯曲賞の存在や、岸田衿子・岸田今日子の父親ということ、くらいしか知識はない。2、3年前に外国に日本の戯曲を紹介する本の仕事をした際に『屋上庭園』の英語訳をチェックしたことがあり、昔もこういう人の普遍的な心理を描いた作品があったんだなあ、と興味深く思ったことがあっただけ。
この人は、日本で最初に「近代的なせりふ劇」を書いた作家なのだということを、今回はじめて知りましたが、その意味もあまりわかっていない私です。
でも、ごくごく普通の日常でのごくごく普通の言葉の重なりが、決して古さを感じさせず、まるで私たちの心の奥を舞台上で見せられているような気がしたなあ。
これって、岸田國士の戯曲の本来の姿なのか、ケラリーノ・サンドロヴィッチという鬼才のなせるワザなのか、無知な私には判断できないところが悔しい。
●色鮮やかな衣装と、下駄のきれいな足さばきとか…
一つ一つの短編は、「犬は鎖につなぐべからず」の今里家の町内の出来事として位置づけられ、今里家の犬があちこちで悪さをするエピソードでつながっている。円形劇場の構造をうまく使って、テンポよく進んでいく。いろいろなエピソードが組み込まれてはいるものの、今は失われたきれいな日本語のせいか、そのスピードを感じさせないところがすぐれもの。色鮮やかな現代風な色彩の衣装が美しく、女優さんたちの立居振舞が優雅。コミカルにのけぞったりするけれど、でもなぜか優雅。下駄の足さばきがきれいだったのは誰だっけ?
印象に残ったのは、どれだったけ。
まず、「犬は鎖につなぐべからず」の父親が心身ともに遅れのある(と思われる)幼い息子にそそぐ視線の優しさ、毅然としたおおらかさ。大河内浩さん(二時間ドラマでも、よくお目にかかります)は「屋上楽園」でも場面をひきしめた演技で、うまいなあ、と。
「驟雨」の姉・妹のセリフの応酬が現代にも十分に通じていて、間の取り方が心地よかったな。姉(松永玲子)のコミカルなちょっとオーバーな演技と、妹(松野有里巳)の正統派っぽいセリフのかみ合い方がよかったです。
「隣の花」の描く二組の夫婦の微妙な心のすれ違いもおもしろく、とくに緒川たまきのはかない美しさが目をひきました。きれい…。
客演の萩原聖人は、コミカルなところにちょっと不自然な感じ、肩に力の入ったところがあったけれど、相変わらず少年のような佇まいで、緒川たまきさんと肩を寄せ合う場面が視覚的にもきれいでした。
客演の俳優さんもそうだけど、ナイロン100℃のとくに女優さんたちがいつも個性的で(今回は峯村リエさんはいなかったけど)、舞台が本当に華やかです。
理屈はともかく、おもしろくて深くて、また次の公演も!と思わせてくれた昼下がりの(ぜいたくな)芝居見物でした。
ちなみに、「犬を~」の息子役をかわいく演じた植木夏十さん。「屋上庭園」では屈折した並木の妻を演じ、つつましくもせつない心情をさりげなく見せてくれた。その見事な変化に力を感じます。
『ナイスエイジ』では、使用人の集団の中にいても(15歳の少女役はもちろんよかったのですが)、華があるっていうか、なんとなく気になる存在でした。