2014.10.24
鴎外の怪談
at 東京芸術劇場 シアターウエスト
http://www.nitosha.net/ougai/index.html
作・演出 永井愛
出 演 金田明夫/水崎綾女/内田朝陽/佐藤祐基/
高柳絢子/大方斐紗子/若松武史
好きな劇場で、好きな作家の作品です。
小ぶりな空間には独特の空気があって、舞台の熱や戸惑いがそのまま伝わる。それがいい。
幸徳秋水の大逆事件の頃の数ヵ月の森鴎外の私生活が、彼の書斎を舞台に描かれる。
鴎外の二番目の若い妻、鴎外の母親、そしてそこを訪れる知人や編集者、作家永井荷風らが、大逆事件の行く末に心穏やかではない鴎外とそれぞれに絡みあう。
まず感じたのは、凛とした鴎外と自分の中途半端な行為に悩む鴎外・・・その2つの顔がとても丁寧にうきぼりにされているということ。
激昂し興奮する登場人物たちの高い声による台詞が行き交う中、金田明夫は緩急をたくみに使って鴎外の内面を切実に伝えてくれる。悩み、苦しみ、妻と母の争いに巻き込まれる姿はなぜかとても魅力的だ。
書斎のセットも古き時代の重さや温かさを饒舌ではなく伝えてくれる。
お手伝い役の高柳絢子が2つの心の動きを軽妙に演じていて印象に残った。
妻や若い編集者や作家の演技がちょっと一本調子なところが私には残念だったけれど、それは鴎外という人物の深さを際立たせるために演出だったのかもしれない。
鴎外はエリスへの思いを貫けなかったことへの悔恨の念をところどころに表しながら、若くて奔放な今の妻を慈しみ、老いてなお血気盛んな母にも優しい視線を送る。
懐の深さは、社会から迫害される思想家や活動家への理解や、国が突き進もうとしている未来への大きな懸念にも表れ、だからこそ苦しみ、悩む。
懸念を強く主張する鴎外の言葉は、まさに今この国が歩もうとしている未来への、永井自身の疑問や主張なのだと思う。
国民が何も知らされずに事が決められることがいかに恐ろしいか、何も言わないことはそうした矛盾に従うことに等しいのだということを、時代をさかのぼらせ、森鴎外という人物に語らせている、それがまっすぐに伝わる場面では、私自身も微動だにできなかった。
幸徳秋水らの大逆事件については、昨今の解釈に従って、幸徳は事件への関与が薄かったのに当局の陰謀で死刑の判決を受けたということになっている。そのなりゆきに鴎外も少なからず関わったという流れだが(これは創作?)、そのことへの鴎外の後悔の念は計り知れない。
それをかたい言葉で表現する一方で、家庭人としての鴎外のおかれた境遇の滑稽さが軽く絶妙に描かれ、「クスッ」と何度も笑わせてくれる。軽妙な金田と迫力の母を演じる大方のクライマックスのやりとりは見ごたえがあった。
最後の場面、妻が出産を終え、森家になんとなく穏やかな空気な流れるところで幕。
結局、悔やむ心とは裏腹になんとなく戻ってきた日常の中で、鴎外は少し自嘲気味に、心の中のエリスに言うのだ、今回もこんなふうななりゆきになってしまった・・・と。
波乱に満ちた人の人生も、ありふれた毎日だと思う人の人生も、たぶん、こんなふうに「また、こんな結末になってしまった」とつぶやく日々の繰り返しなのかもしれない。帰り道、そんなことを思っていた。
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