2013.1.13 (日)
実家に里帰りしていた若い友人一家が小さな子どもとともに顔を見せてくれた。
紆余曲折、生き方が定まらずに「どうにかなるのかなあ」と自問自答していた彼は、いつの間にか二児の父になり、地方の特別支援学校の教師になっていた。
肢体不自由児の卒業後の進路、地元にもどったときの周囲とのつながり・・・、さまざまな問題を話してくれた。
優しいパパの顔と、落ち着いた教師の表情、その両方に、学生の頃の無邪気な様子が重なって見えた。
ちょっとステキな昼下がりでした。
今朝の朝刊の「マクド難民」の記事。
生きることの基本さえ奪われてさまよう30~40代の姿。
自分の足で立っている実感、誰かと生きる暮らしというものが人を前向きにするとしたら、そういう日々への道のりの長さを思う。
■■「愛ある暴力」なんて
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY201301110314.html
桑田真澄氏のこの記事を紙面で読んだとき、プロとしての実績のある人の発言としての重さを感じた。
このように明快に語れる人がいかに少ないか。ああいう悲惨な事件のあとでも、なかなかそういう声は聞こえてこない。
ある元プロ野球選手は、「あってはならないこと」と大阪市立桜宮高校の体罰を非難したうえで、苦渋の表情を浮かべ、自分も体罰を受けたけれど、相手教師から「愛」を感じたので、今でも「恩師」と思っている、と発言していたな。
そういう経験や感覚は個々人のものだから私たちが否定はできないけど、それはもう「特殊な例外」として、自分の中の思い出話として埋葬してほしい。
そして「勝つこと」「強くなること」にすべての意味を見て顧問もコーチも保護者も生徒も一気に進んでいこうとすれば、「強くしてくれる」存在のすることに異議を唱えることは難しくなるし、疑問さえ感じなくなるマヒ状態が生まれるのかもしれない。
それはほんとうに恐ろしいし、愚かなことだ。
高校教育の一環だとすれば、強くなることとともに、負けることもあるということ、むしろ負けたあとにどう向き合うか、のほうがよほど意味深い教育ができると思うんだけど。
昔、大学のワンゲルに所属していたとき、男子の間では普通に当たり前のように「新人へのしごき」があった。女子は実際には現場を見ることはなかったけれど。
私は2年間しか所属していなかったからえらそうには語れないし、その後はどうなったのかは知らないけれど。
でも、山でのそういう事実以外、ふだんはおもしろい優しい先輩たちだったから、なんだか別の世界で行われているように思っていたし、そういうことを乗り越えてこその経験・・・くらいに感じていたかもしれない。
そういうことに「負けて」やめていった男子とか、そういうことに疑問を感じてやめていった先輩もいると思うけれど、主流派のほうが(しごき容認?)多いし、なんとなく「残ったほうが勝ち組」くらいにとらえていたかもしれない。
やめていくときに一緒に飲んだ同期の男の子はグダグダと先輩への不満を言って、なんだか「ウザイな」と冷ややかに見ていた私だけど、自分もやめて呪縛をとかれてからは(おおげさだけど)、「ウザイと思ったあの子のほうがまともだったんだな」と思うようになった。
ずっとあとになって、その頃キャプテンをやっていた先輩と個人的に話すことがあって尋ねたけど、「密室のできごと」として感覚がマヒしていたということを、私と話して初めて気づいたと言ってたっけ。それもなんだか怖いように思うけど。
体罰でも、しごきでも、暴力でも、そのときに冷静にその行為をできる人間なんていないんだ。「手が出るとき」は誰もが興奮状態にある。
そういう手段しかとれない自分を、実は恥じなくちゃいけないんだ。
体罰を受けた人がそれを正しいとすれば、体罰の歴史がつくられていく。恥ずかしい歴史はここらへんで幕にしてほしい。
今回の男子生徒には、ほんとうに言葉がない。つらかったんだろうね。
生きる場所はいくらでもあったのに、若くて純粋で頑張っていたから、苦しい自分を責めてしまったのか。
愛ある暴力なんてありえないと、大人が発信してほしい。