隠れ家-かけらの世界-

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「子育てごっこ」(三好京三)顛末?~『朝日新聞』(2007年6月22日)「惜別」より

2007年06月23日 14時14分42秒 | プチエッセイ

●意味のない懺悔(笑)
 懺悔:報道された内容で有名人を一刀両断して、もう「毛嫌い」しちゃうところがあります。
 「あーうー」ばかり言って、何を伝えたいのかがわからない大平元総理。「あーうー」「あーうー」
 そういう報道のされ方に、私は「こいつは、おバカな人間なんだ」という判定を下しました。ずっとそう思っていました。だけど、亡くなってからの報道では「これほど多くの本を読んだ政治家はいなかった」と、その教養の深さが賛美されていた。「そんなこと、生きてるときは全然報道しなかったじゃん!!!」
 別に、本を読んだからといって、どうなの?ってとこはあるんですよ。「教養」がどんなものなのか、それって人を判断するときの基準として、どれくらい信頼できるものなの?というのも不明だし。
 そういうことは別にして、大平元総理の印象は、生きているときと死んだあとと、私の中では180度違ってしまったのです(だからって、別に好感度が増した、ってことではないですよ)。
 なんだかんだ言いながら、メディアの伝えるものに弱いってことと、思いこみの激しいやつだ、ってことなのです。
 これが「導入」です。

●悪くなかったかも?
 作家・三好京三さんが亡くなった。『朝日新聞』の「惜別」に記事が載っている。
 この作家への印象も、報道されたものに影響されていた。
 センセーショナルなとらえ方をされたという『子育てごっこ』を、私はリアルタイムでは読んでいない。ただ、当時すごく興味をもったので、いろいろ調べる機会があり、当時の記事なども読んでいる。
 なんのしつけもされていない少女をひきとって熱血先生とその妻が「子育て」としていく奮闘記ともいえる作品だった(と思う。もう何年も前のことで詳細は覚えていないんだけど)。
 熱血先生は苦手だし(テレビドラマまでなら許せるんだけど)、強引な人間も嫌いなので、全面的に受け入れられた内容ではなかったような気がするし、この少女の幸せって?とか、しばられるより昔みたいに放浪しているのも悪くない?とか、だけど「きだみのる」って人もわかんないなあ、とか、そんな断片的な印象だけが今、心に残っているだけだ。
 ただ、その後養女になったその女の子が成長してから、自分のことを小説に赤裸々に書いていた養父である三好氏に反発し、そのことがのちに話題になったこともあって、それがちょっと衝撃的に心に残っている。
 そして、その報道については何も語らなかった三好氏への報道は、「失敗した子育て」「預かった子どもを使って教育の実験をした」「熱血教師の教育は子育てでは生かされず」みたいな感じのものが多かったと思う(私が読んだものがたまたまそうだったのか、それは不明だけど)。
 例によって思い込みの激しい私は、熱血教師が苦手ってことも相まって、三好氏に対しては「まやかしの独善的な教育者」という烙印を押して、そしてそれ以来興味をもつこともやめてしまったのだ。
 「惜別」によると、1993年の『季刊・三田文学』に娘との旅物語「和解旅行」を発表しているそうだ。記事には、「教師・作家・親年としての悔恨をつづった。『ない子ほしがり、父親ごっこに浮かれた』」と書いてある。
 思い起こして「父親ごっこ」かー、なんか悲しいなあ、でも知っていたら読んだのになあ、と思ったのです。
 葬儀には娘夫婦もかけつけ、祭壇の前で号泣したとか。そして、三好氏が最後に口にしたのは、娘の行く末を託した英国人の夫の名前だったとか。
 「子育て」はたぶん、そのときどきで評価が上がったり下がったりするものなのだろう。子どもの頃は親を憎んでも、大人になって「ありがとう」と思える場合もある。子どもの頃は何も感じなかったけれど、成長してから親を忌み嫌う場合もある。ずっと可もなく不可もなく、という場合もあるだろう。
 どれがいいとも思わない。たぶん「子育て」に良し悪しなんてないんだろう。「私の場合は、こうだった」というだけのこと、かもしれない。
 だけど、やっぱり最後に「好きだったよ」と言えるとしたら、言われるとしたら、それは悪くないかもね、とは思う。
 そういう意味で、三好氏は「悪くなかったかも」ってことになるんだろうか。


 今回の「惜別」は、ほかに映画監督・熊井啓氏、作家・大庭みな子氏が取り上げられている。
 熊井氏の映画への真摯な姿勢、それを語る、今は映画監督となった奥田瑛二の言葉がいい。「これくらいでいいか」と日和りそうになったときに熊井監督の厳しかった現場を思い出すと言う。そして、夫のおかげで「退屈しない人生を送れた」という妻であり作家の熊井明子氏の言葉も。
 大庭みな子氏と言えば、やっぱりあの夫の存在は忘れられない。この人がどういう人物なのかは、私は全く知らないけれど、作家である妻の奔放な生き方をうけとめ、倒れてからは、介護だけではなく口述筆記も引き受け、献身的にそばにいた人だ。
 作品は『三匹の蟹』と短編をいくつかしか読んでないから、何も語ることはできないけど、その夫婦物語にはちょっと興味がある、かな。


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1 コメント

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三好京三 (のびのびた)
2008-08-02 13:54:12
大平正芳さんは信念と弱者に対する自愛のあった
人物だと私もおもいます。 

三好は養女の千尋さんを中学生の頃から手篭め(強かん)していた事実は自明です。

千尋さんの告白をウソツキ扱い処理に奔走した
事も偽善教育者の本領発揮でした。

発覚以降も岩手だか東北だかの方言保存だか何やら
に逃げたのも厚顔のなせる業でした。

一切の言い訳は出来ません。
人間として許されません。

その時の14歳の少女の気持ちを
想像して三好の罪を憎むべきと思います。

彼に物故者(地獄でしょうが)の名誉は有りません。







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