隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

沖縄と愛国心(『朝日新聞』社説より)~6月23日に思うこと

2007年06月23日 13時06分25秒 | プチエッセイ
■6月23日に思う~沖縄慰霊の日

 この時期に不似合いなほどきれいな愛空が、朝から広がっている。
 青空には人の心を微妙に動かす不思議な力がある。青ければ青いほど、明るければ明るいほど、どこかせつなくなってしまうのはなぜなんでしょう。子どもの頃から、そうだったような気がする。そういう魔法を、青空はもっていますよね。

●今日は晴れていますか?
 今年の沖縄はすでに梅雨が明けているけれど、62年前の沖縄はどうだったんだろう。今日は「沖縄慰霊の日」。もうその日を「実際に」知っている人も少なくなっている。
 沖縄には両極端とも言えるイメージがある。美しい海、沖縄発信のさまざまな音楽…、そして日本で唯一の「本土決戦」があったところ。
 北の北海道、そして南の沖縄(個人的には本島ではなく、石垣周辺の島だけれど)は私のtwo(?)of the most favorite placesなんだけれど。
 その沖縄をめぐる多くの闘争の話もいろいろな人から聞いている。70年前後には、「6・25」は「反安保、反米」の象徴的な日でもあったはず。今は厭世の感らしいけど。
 文部科学省は、その沖縄での集団自決には日本軍は関与していなかった(つまり、沖縄の多くの人たちは勝手に自決したんだってこと)という検定によって、その事実を社会の教科書から削除した。
 米軍の「本土」への攻撃を少しでも遅らせるための犠牲となった沖縄、というのは歴史的事実ではないのか。生き残った人々が証言しているように、手榴弾が配られたこと、生き残れば「男は捕虜、女は強姦」と脅されたこと…、それだけでも、軍の関与があったという十分な事実にはならないのか。
 その頃の記憶をちゃんと残している世代と言えば、70代以上の高齢者ということになるだろう。私たちは、歴史の証人としてのそういう方々の言葉を、真摯に受け止めなくてはいけないだろう。
 現地に暮らしていた人々の言葉を無視して、「軍が関与していた」という事実を教科書から削除すれば、「愛国心」が育つとでも考えているのか。
 過ちを検証し、謝罪し補償し、そのうえで歩いていく重い足取りを選ぶ国のほうが、よほど「愛国心」にふさわしい姿だと思うんだけどな。
 今日の沖縄には、どんな空が広がっていますか?


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