2015.4.27(月)
■松島のにぎわい
宮城みちのく公園でのARABAKI 2015(ココにレポあります)の次の日、仙台のホテルを出発した私たちは、牡鹿半島まで足をのばした。
途中、松島では予想外の人出にびっくり。GWの賑わいなのか。
ここは湾になっていて津波の被害はほかよりも少なかったときいたけれど、宮城の観光の拠点だし、地元にみなさんの復興へのがんばりは強かったのだろう。
海は穏やかで、真夏のような陽射しと春の風が心地よい。
公園に立つ目新しい掲示板が目を引く。
■牡鹿半島 鮎川浜
私たちの目的地は、石巻の先、牡鹿半島の鮎川浜。
牡鹿半島は20年近く前に東北をふらふらと旅したときに寄って以来、訪れたことはない。
震災以後、仕事仲間の手伝いをするために石巻は訪れたけれど、牡鹿半島はネットなどでの情報を見ていただけだった。
ARABAKIに行く前、以下のブログの画像を拝見して、急遽訪れたくなった。
鮎川浜の「おしかのれん街」のことも、石巻の仲間に聞いていたので。
http://kasakoblog.exblog.jp/20865262/
いろいろなサイトで今のようすを見てきたが、震災から4年、ここの復興もなかなか進まない現状のようだ。
石巻から半島に入り、中心地である鮎川までそれなりの走りでがある。
集落のあったところには仮設住宅が立ち並び、重機による工事も行われている。堤防が新しくなっているのがわかる。
だけど、4年たって、まだこの状態?というのが正直な感想だ。石巻の中心地ともまったく異なる光景。
鮎川地区に入ると、車道から浜が見下ろせる。
地元の方が「遅々として進まない。がれきの撤去も石巻の市街地から比べたらずっと遅かったし。どうにかがれきが片づいた・・・くらいの感じ。もともと過疎の地域だったからね、牡鹿はどこも。だから後回しなのか」
そんなふうに話してくれた。
震災後、復興のために建てられた「おしかのれん街」。
月曜の午後ということもあるのだろうけれど、「休日とかはもう少し賑わいますよ」とお店のご主人。
外からの客、工事関係者がたより。仮設に暮らす高齢の方は車がなければここまで出向くことはできない、ということだ。
津波は免れたという支庁のビルの脇にある。
鮎川浜は、上のブログの画像で見る以前のおもかげは皆無で、あのときを境に自然も人間もそれまでとはまったく異なる運命を背負わされたわけだ。
こういうところが被災地のあちこちに残されていて、「忘れられた感じ」(地元のかた)を味わっているのだろう。
自戒の念をこめて思う。
狭い国なのに、大事なことは中央で進み、目立ったところで「プラス」であればOK、と勘違いしてしまう。
牡鹿半島を駆け足で訪れたにすぎないけれど、あそこでお会いした地元の方々と、心地よい風と、何もない地面を思い出す。
鮎川浜に下りる道を間違えてもっと先まで行ってしまった私たちに、巡回の車に乗っていた市の職員のお二人が丁寧に道を教えてくれた。
だけど、おしかのれん街の位置の説明がどうにも要領を得ない感じが否めない。
車の中で、「道順を教えるの、あまり得意じゃない人たちだったね」と感想を述べ合った私たち。
でも鮎川浜に着いてわかったのです、その訳が。
以前に仙台市の被災地でも経験したけれど、津波で目印になる建物がなくなってしまって、「○○で曲がって・・・」というような説明が不可能になっていたんだってこと。4年たったのに、今もそういう状態だということだ。