2018.6.23(土)
■ 沖縄の慰霊の日
若い頃、精神的にはまだ「幼い頃」と言えるようなときに、6.23にはまだその名前はついていなかった。
沖縄が返還され、異国ではないけれど「遠い」イメージのあの場所を、青い海に憧れて訪れたこともあった。
浮かれていた数日間のなかで、一度だけ訪れた基地の近くで私の頭上を飛んだ米軍の戦闘機の爆音とその低空飛行は今も鮮烈な記憶だ。
あの数日間の際立つ忘れがたい解放感と、どこかで後ろめたい自分の思いの両極端が、沖縄という響きのなかに、いつも思い出としてある。
沖縄を何度訪れても、最初に見た風景や体験がずっと鮮烈にあって、そこを一度も乗り越えたことはない。
何十年、何百年たっても、沖縄や沖縄の人々の犠牲の上に私たちが生きているという事実は変わらない。
■ 高校放送部
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180622/k10011491341000.html
中学高校は放送部で勝手放題にふるまっていたワタシです。
赤ん坊主人公のホラーっぽいラジオドラマつくって、コンクールでは「高校生としてふさわしくないテーマ」と内容検討以前に却下されたり、昼休みの好きな曲だけ流して人気(?)DJになったり・・・。
そんな私には、こんなふうにテーマを決めて番組を制作する現代の彼らが眩しい。
■ ヤジ
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/judoukitsuen-yaji-anami?utm_term=.duRRzvPxRb#.vngjGbyzjL
すべて問題外。
政治家のヤジ自体が大っ嫌いだけど(与党野党問わず)、これについては、批判の言葉も不要だと切り捨てます。
■「ドルフィン・ラブ」から「黒い翼」
スピッツの向かう方向がどこであっても「ついていきますよ」という姿勢はきっと変わらないと思うけれど(今後はね)、アルバム『Crispy!』とときはちょっとだけ、本当にちょっとだけ「そっち行っちゃいますか?」と私も感じたんだろうか。
そんなことはなかった!と言うときもあるけれど、でも『惑星のかけら』がヘビロテだった私の耳に、新譜はこれです、と差し出されたのが『Crispy!』だったんだから、ちょっとは「え??」だっただろうなと正直に告白。
「シンプルなサウンドからのこのキラキラ感は、越えるにはちょっと高いハードルだった?」
今日、電車の中で私のiPhoneから偶然流れた「ドルフィン・ラブ」を聴きながら、25年前に私に問いかける。
そうかもしれないけど、「ドルフィン・ラブ」のちょっと無理したおしゃれなボーカルは私の気持ちを過去のステキな場所に戻してくれるし、なんとなく統一感のない、でも凸凹におもしろい曲たちの最後に「黒い翼」までたどりつくと、いつも「やったぜ!」と思う。
「無限の空へ 落ちていけ♪」・・・「青い車」の「輪廻の果てへ 飛び下りよう」と同じくらいに、絶望的で暗くて、それでもどこかにあるの?と光を探したくなる、不思議な言葉たちだ。
ラストのコーラスが壮大な雰囲気を醸し出しているけれど、シンプルなバンドサウンドでアレンジしてゴースカとかのライブハウスで演奏してくれたら、どんなふうに響くんだろう。
そういえば、ココで、川の話題から「多摩川」を含む『Crispy!』ラスト3曲について4人で語って「今じゃ、ないパターン」と笑っています。