隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

勘違い「格差社会」

2006年04月26日 19時19分30秒 | プチエッセイ
■優しいこころで

 「格差はあっていいと思う」
 私たちの国のトップの発言。例の舌足らずの紋切り口調の、説明不足の深みのない発言(就任当時、あの言い方がわかりやすくていい!と評価した人が大勢いたってことが信じられないけど)。巷のおじさんが飲んだ勢いで部下を相手に…っていうなら許せるけど、国のトップですよ。できるだけ多くの人に伝わるように発言するのが最低のマナーでしょ、と思う。大相撲の優勝力士に「感動した!」と言って優勝杯を渡すのとは訳が違うんだから。
 で、「格差社会」の話。努力した人が報われる世の中、というのはわかる。自由主義経済の国なんだから。頭脳を駆使したり、汗を流したり…と表面に現れる形は異なっても、「一生懸命」には当然の報酬があっていい。
 でも問題は、努力したって、うまく物事が進まず、空回りしたり失敗したりする不器用な人間だっているということです。運に見放される人もいる(「運も才能のうち」というのは、私は大嫌いな言葉です。それは強者の言葉でしかない)。そういう人もいるということを意識したうえでの「格差社会OK]なんですか。
 私の仕事場の近くに、一人暮らしで体が不自由な男性がいる。年齢は75歳。プライドの高い彼はこれまで、周囲の人の援助も受けながら頑張ってきたけれど、今は介護の手を借りる毎日。最近はドア越しに声をかけたり、大したことではないけれど何かできることは、と、皮肉屋冷酷な私でも気にしないではいられない。
 一昨日、通ってくる若いヘルパーさんたちに話をきき、状態が少しはわかって安心したのだけれど、このヘルパーさんたちの姿勢には本当に心が洗われる。言葉遣い、心遣い、そのすべてに彼らの、彼女らの優しさと、プロとしての意識の高さが感じられる。決してきれいな仕事ではないし、たぶん収入だって決して多いとはいえないはずだけれど。
 私の友人に特養老人ホームで介護の仕事をしている人がいるが、彼女から聞く若者たちのがんばりにも心を打たれる。
 これは一例であって、世の中には、援助の手を借りて生活をしている人、そしてその手助けをしている人が大勢いる。そういう人たちがちゃんと報われる「格差社会」だと言えますか。舌足らずの政治家さん。
 生まれる場所を選べない子どもたちがきちんと同じように可能性をもった存在として教育を受けられなくなっている今の日本を見て、「格差があっていいと思う」だけですませていいのか。
 生きていくことの大変さを語るほど立派な人生を歩いているわけではないけれど、でも不本意にも生きることを絶たれてしまう人もいるなか、せめて息をしているなら、心のどこかに優しい部分はもっていなくちゃね、そんなふうに少し謙虚になります。こんな私だって…。

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