隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

テレビのリポーターへ

2006年04月04日 23時19分39秒 | プチエッセイ

■「挨拶」を尺度にするな

 
不可解な事件や理解不能な出来事が毎日のように新聞やテレビをにぎわす。
 
新聞で事件の概要を把握しても、あとで週刊誌の特集記事を読むとまったく違う印象の事件だったと知ることもある。正直、何を信じたらいいのかわからないときもある。中立な報道なんてありえないのだろう、と今では思うけれど。新聞によっても、捉え方がかなり異なっていて、おもしろいと思う反面、読者の資質を問われているのかなと不安になったりもする。たいていの人は一紙しか購読していないわけだし。
 
ところで、今日はテレビのリポーターに一言。
 
事件の容疑者の周辺を取材して、それをリポートするとき、「しっかり挨拶する人だったらしいですね」は、もうやめてほしい。「挨拶するいい人がなんでこんなことを」的な発想だ。結構よく耳にするでしょ?
 
たしかに近所の人はその程度しか知らないわけだし、「挨拶する」「挨拶しない」が人物判断の基準になっていることってあると思う。でも実は、そんなのアテになりますか? そんなことで人がわかるわけないことは、みんな承知だろうに。
 
挨拶されれば気持ちがいいし、それはそれでいいけど、挨拶したって意地悪なやつもいる、挨拶しなくたって実は子どもに優しい人もいる。
 
だから、容疑者の周辺を取材して、友人とか仕事仲間のような人に応じてもらえなくて、ご近所さんの「挨拶してくれるいい人だったんですけどね」しかコメントがとれなかったのなら、そんなのはリポートしないでほしいんですけど。
 
ああ、テレビのリポーターを語りだすと止まらなくなるので、やめときます。人を束で判断するのは大嫌いなんだけど、テレビのリポーターだけは「束で嫌い」なんです。


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