■訃報
ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。
街を歩いていて、すれ違った誰かが「ZARDがね…亡くなったらしいよ」、そう言っているのが耳に入り、えっ?と思ったのが最初です。
メディアに姿をさらさず、CDのジャケットや、PVで垣間見る姿や、スカパーで流れた数少ないライブの映像しか目にしたことのない私にとって、「死」という雰囲気からは本当に遠い佇まいのアーティストでした。もう40歳になられていたということ、闘病生活を送っていらしたということ…、その事実は、私の中の勝手なZARDのイメージ箱にはおさまりきらない違和感で、宙を浮いています。
とくに思い入れのあったアーティストというわけではありませんが、身近にはZARDのCDをすべてもっている人や、彼女の歌で青春をかけぬけた人がいます。彼らは今頃、どんな思いで彼女の訃報を受けとめたのだろうか、と想像すると、胸が痛くなります。
私自身は、つらいときを音楽が支えてくれた、という経験はありません。なぜなら、そういうときに音楽を聴く余裕などなくしてしまう…、そういう器の狭い人間だからです。
でも、ごくふつうのありふれた日常を暮らすなかで、音楽がどんなに心を満たしてくれるか、淡い色しかない現実の世界をどんなに輝かせてくれるか、騒音ばかりが耳につく生活に透明なひとときをどんなに心地よく味わわせてくれるか…、それはよく知っています。
その贈り主が突然消えてしまうことの驚き、むなしさ。それは、私の貧困なボキャブラリーではとてもでないけれど形容できない悲しさです。
彼女の死の真相は、と、テレビなどでさかんに取りざたされていますが、それは無用な下品な行為です。
ただ、苦しかったであろう闘病生活を送るうえで、毎日を生き、音楽への思いを沸き立たせ、そして、どんな思いで早朝の病院を歩いていたかを、私たちはひっそりと想像し、彼女の音楽とともに心の中にしまっておけばいいことだろうと思います。
ZARDの歌で懐かしい日々を思い出すよ、と言っていた知り合いは、いま、仕事に追われる忙しい日々を送っています。秋には結婚もひかえています。「俺、仕事が休みだから、音楽葬に行ってこようかな」と、つぶやいていました。
めまぐるしい日々を送っていくなかで、ひょっとしたらZARDは少しずつ彼の胸から淡くなっていくでしょう。曲を聴くこともなくなっていくでしょう。
それでも、ラジオから「揺れる思い」が流れてきたら、ふと夢中で生きていたあの頃を思い出すかもしれない。疲れて雑踏を歩いているとき、頭の中でZARDが「負けないで」とささやいてくれるかもしれない。
そうだとしたら、やっぱりZARDは彼の心に生き続けていることになるのでしょう。
坂井泉水さんのご冥福を心からお祈りしています。合掌。
ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。
街を歩いていて、すれ違った誰かが「ZARDがね…亡くなったらしいよ」、そう言っているのが耳に入り、えっ?と思ったのが最初です。
メディアに姿をさらさず、CDのジャケットや、PVで垣間見る姿や、スカパーで流れた数少ないライブの映像しか目にしたことのない私にとって、「死」という雰囲気からは本当に遠い佇まいのアーティストでした。もう40歳になられていたということ、闘病生活を送っていらしたということ…、その事実は、私の中の勝手なZARDのイメージ箱にはおさまりきらない違和感で、宙を浮いています。
とくに思い入れのあったアーティストというわけではありませんが、身近にはZARDのCDをすべてもっている人や、彼女の歌で青春をかけぬけた人がいます。彼らは今頃、どんな思いで彼女の訃報を受けとめたのだろうか、と想像すると、胸が痛くなります。
私自身は、つらいときを音楽が支えてくれた、という経験はありません。なぜなら、そういうときに音楽を聴く余裕などなくしてしまう…、そういう器の狭い人間だからです。
でも、ごくふつうのありふれた日常を暮らすなかで、音楽がどんなに心を満たしてくれるか、淡い色しかない現実の世界をどんなに輝かせてくれるか、騒音ばかりが耳につく生活に透明なひとときをどんなに心地よく味わわせてくれるか…、それはよく知っています。
その贈り主が突然消えてしまうことの驚き、むなしさ。それは、私の貧困なボキャブラリーではとてもでないけれど形容できない悲しさです。
彼女の死の真相は、と、テレビなどでさかんに取りざたされていますが、それは無用な下品な行為です。
ただ、苦しかったであろう闘病生活を送るうえで、毎日を生き、音楽への思いを沸き立たせ、そして、どんな思いで早朝の病院を歩いていたかを、私たちはひっそりと想像し、彼女の音楽とともに心の中にしまっておけばいいことだろうと思います。
ZARDの歌で懐かしい日々を思い出すよ、と言っていた知り合いは、いま、仕事に追われる忙しい日々を送っています。秋には結婚もひかえています。「俺、仕事が休みだから、音楽葬に行ってこようかな」と、つぶやいていました。
めまぐるしい日々を送っていくなかで、ひょっとしたらZARDは少しずつ彼の胸から淡くなっていくでしょう。曲を聴くこともなくなっていくでしょう。
それでも、ラジオから「揺れる思い」が流れてきたら、ふと夢中で生きていたあの頃を思い出すかもしれない。疲れて雑踏を歩いているとき、頭の中でZARDが「負けないで」とささやいてくれるかもしれない。
そうだとしたら、やっぱりZARDは彼の心に生き続けていることになるのでしょう。
坂井泉水さんのご冥福を心からお祈りしています。合掌。