2017.11.12(日)
高知の友人からのLINEに、仁淀川の紅葉の風景が・・・。例の仁淀ブルーのあたりらしい。
紅葉のピークにはまだ少し早いけれど、空気がおいしくて、体の中がきれいになる感じ・・・と。病をこえて、娘たちと新しい季節の景色を楽しめるまでになったんだと、私までうれしくなる。
それにしても、そこまで車で1時間足らずで行ける、というのがやっぱりうらやましい。
いやいや、私の周囲にだって、特上とは言えないかもしれないけれど、こんな大事にしたい風景もはあるんですけどね。
昼前に、母の施設へ。
今日から相撲が始まるとうれしそうだったこと、持って行ったプチトマトとスイートポテトに満足気だったこと。ひと安心。
そうそう、Roxy Contactryというお店のスイートポテトの自然な甘さが絶品!(ココ)
近くに1か月ごとに全国の話題のスイーツブランドを紹介しているお店があって、そこで先月購入。冷凍しておいたのをようやく食す。
■ ワタシは大丈夫?
入居者の仲間の中には認知症の症状がある方も多く、その程度によって、中には「○○さんはおかしい」「なんで何度も同じことを言ったりするの?」と母に何度も問いかける人もいるらしい。母だってその理由がわかるはずもなく、だからそのたびに「そういう人なのよ、おかしくなんかないのよ」と繰り返すそうだ。
私には、「何度言ってもわからないみたいなのよ」とあきれたような表情を見せるけれど、きっと実際には丁寧に優しく対応しているんじゃないかと思う。思いっきり外面はいい人だから。
そんな母だけれど、見知らぬ男性の姿に脅えて、「怖いから一緒に食堂に行きたい」という女性のことは「何言ってるのかしらね、いつもそうなのよ」と何度も「おかしい、不思議だ」と繰り返す(そう言いながらも食事のときには声をかけているみたいだけど)。
不安な気持ちがつのって、そういう言葉になるんだろうね、と何度説明しても、やっぱり「おかしい、おかしい」と言う。
いちばん親しい友人が入院中で、ハガキをだしても返事がないことを、「なんで返事をくれないのかしら。おかしいでしょ」とも言う。病気でベッドに横になっていたら、ハガキを読むことはできても返事は難しいよね、と言うと納得するのだけれど、同じ話題を忘れたころに繰り返したり。私の言葉を忘れているわけではなく、たぶん納得していないのだろう。
本当にしっかりした母だけれど、人のことはわかっても自分のことは見えていないのか。「おかしい」病は終わらない。これは一種の老化現象なのか、でもそういう面は以前からあったようにも思う。
だけど、ふっと思う。私は大丈夫? 同じようなことをしていない?
思い込みで判断して、「おかしなことを言う人だ、なんでなんだろう」と思ったり発言したり、していないと自信をもって言えるだろうか。
「そういうことがあったら、いつでも指摘してね」
と相方に頼んだら、
「わかった。ま、今のところは大丈夫だと思うけど」
だけど、きっとヤバくなっても、ヤツは指摘なんかしてくれないんじゃないか? 頑固で強情なワタシが素直に「そう?」と耳を傾けるかどうか・・・。私にだってわからないんだから。見て見ぬふりをするんじゃないか、と信用はしていません。
我を顧みるって、老いも若きも変わらず案外難しいことだけど、年齢を重ねるとどこかしら頑固になるケースが多くて(自分も周囲も含めて)、ときどき立ち止まってしまう。
立ち止まれるうちは、まだマシなのかもしれないなあ。
■「甘い手」
私がどれくらい「甘い手」(スピッツのアルバム『ハヤブサ』)にこだわっているか、周期的に「ライブで聴きたい病」がおそってくるか・・・なんて興味をもっていただけないと思うけど・・・(当たり前だ)。
検索したら、
http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/a333aa0c353b8ee5ba9dc5d22da33c28
(2007年)
http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/74b8a37a225fe74830d719583a1541c2
(2012年)
http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/d4caf3692dfa287985cf059e7774be52
(2015年)
http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/32f6ca16ed006d5b533249ebe09f4085
(2016年)
最近とみに欲求がつのってきているようです。
『ハヤブサ』は、リサイクル騒動でスピッツにしては「例外的な」荒れた時期を通り抜けてのリリースだったということもあって、あの頃の安堵感も相まって、不思議な存在で今も胸の中にある。
だけど、そういう事情とは関係なく、シンプルなサウンド、今より少し苦しげな鼻にかかった高音のボーカルの声、「甘い手」や「holiday」に隠されている妖しくてあぶなげな若い男の心の動き・・・、そういうものがいつ聴いても心を揺さぶる。これはあの頃の彼らだから表現できた空気かもしれないと思うと、よけいに愛おしい。
「甘い手」は歌詞は小さな世界の繰り言にすぎないけれど(そこがいいんですけど)、サウンドや構成は、広がりのある壮大なイメージを掻き立てる魅力にあふれている。「夜を駆ける」や「新月」に通じる広がりをライブで感じたいなあ。
・・・と、いつまでも願っているのも、ファンとしては悪くないです。
みんなが「いい、いい」と言うから映画館で「シン・ゴジラ」を観て、おもしろかったし、いろいろ感じるところもあったけれど、でも絶賛の声の中で取り残されている私もいて(笑)、どうにも感想を書けなかったんですよね。そこまで?という気がして。
個人的には、ゴジラ映画は結構見ている派ですけど。
昨夜の地上波での「シン・ゴジラ」、再チャレンジしたんだけれど、何ということか、途中で寝てしまい、「終わったよ」という相方のあきれた声に起こされたという顛末・・・。
この映画を語る資格は私にはないな。
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こちらは天候は良好です。暖かい・・・。
ピーター・ガブリエルといえば、私にとってはジェネシス。リアルタイムで知らないのですが、あとで映像やアルバムを体験したというか。フィル・コリンズからさかのぼるという作業ですけど。
それでさっきちょっと画像を見てみたら、たしかに変貌していました(笑)。
最近の動きについてはまったく知らないのですけど、スティングとのジョイントかー、ちょっと興味あります。それにつけても、スティングの変わらなさはちょっとそっちのほうが異常ですけどね。
数年前?のジェネシス復活?ライブのときは彼は参加しなかったんですよね。
ポップでキャッチーで、サウンドはロックで、という単純な嗜好は自分の中にあるのですけど、私の尺度での「プログレ感」のある楽曲がアルバムの中にあると、結構ライブで長期にわたって「聴きたい曲」に君臨し続けます。
そういえば、スピッツは以前に語ってたことがありますよ。それぞれの父親の話題から、将来的な自分たちの容貌の変化について(笑)。「ヤだなあ」とか。お互いの父親を知っているわけだから、彼らにしかわからない空気でしたけど。
でも人は誰でも少しずつ変化して老いていくわけで、「あれ、いつのまにか腹がでてきた?」とかファンのわれわれも気づいたり。それも楽しみつつ、軽く揶揄しつつ・・・。
こっちも確実に老けていくわけですしね。
若いファンの方たちは、すでに「おじさん」としてのバンドを支持しているわけだから、これも心強い? 「かわいい」にはたぶん「おじさんにしては」という枕詞がつくのでは?
こっちは、あ~あ・・・と自分のことではちょっとため息もつきつつ、ですけど。
「ガーベラ」もいいなあ。
だけど、ぜひ「甘い手」、希望は捨てすにいます。
今日もありがとうございました!
昨年行われたスティングとピーター・ガブリエルのジョイント・コンサートの映像を観たことがあります。
風貌のあまり変わらないスティングの隣で、ピーター・ガブリエルは見事に太って、はげていました。
昔、武道館で一度だけ観たことがあるピーター・ガブリエル。
私がこれまで節操なくいろいろ観てきた中でも、最も感動したと言ってもいいほどの素晴らしいライブでした。
見た目もかっこよかったんですけどねえ。
草野さんの場合、「太る」も「はげる」もなさそうだけど、かと言って、50歳を過ぎて「永遠の少年」を求められるのも、本人にとっては酷な話なんだろうし。
「はげても大丈夫だからね」くらいの懐の深さ(?)がファンの側にも必要なのかもしれないですね。
耳が大きくて一休さんみたいなマサムネ君、というのもなかなか、かわいいんじゃないかと思いますが。
それはさておき、『とげまる』リリース時に、渋谷陽一社長が語っていたという「新月」のプログレ感。
私が観たときのピーター・ガブリエルは、だいぶポップ寄りになっていましたが、かつてのプログレ感はやはり顕在だったわけで。
確かに、「新月」「ガーベラ」「甘い手」あたりはそこに通じるものがあるかも。
あ、「新月」って「はげ」にかけてるわけではないですよ。念のため。