お盆に親戚のおじさんが来て、父と話をしていたときのこと。
岩国空襲の話になりました。
岩国駅前の繁華街と、今では観光地としてすっかり有名な錦帯橋と城山のある地点の中ほどに私の実家は位置しております。
空襲警報が鳴ったのを聞いて、父は城山のほうを見上げたそうです。と、米軍の戦闘機の編隊が見えたかと思うと、機体から豆粒のような爆弾が駅前の方角に向かって落とされ始めたそうです。
戦闘機のスピードに乗って爆弾も駅前に落ちるように計算されていたらしく、爆弾は実家を通過し、ほどなくして駅前のほうから火の手が上がりだした、ということです。
次の日、父は駅前に様子を見に行った、といい、そこで口をつぐんでしまいました。
どんなことになっていたのか、想像はつくものの、やはりちゃんと見てきた人から聞きたいと思い、どんな様子だったのか尋ねましたが、それきり言葉を濁していました。
思い切って、
「死体とか、ころがっとったん?」
と、聞きますと、
「そりゃ、そうじゃ」
と、一言。
広島や長崎のむごい写真が資料館に残っており、
ドキュメンタリー番組などで、目にすることがありますが、
実の父親がそのような光景を目撃した一人だったことを知る、初めての会話でした。
私もその話を続けることはできませんでした。
戦争は、むごいものだという思いを直接に受け止めた、父との会話でした。
岩国空襲の話になりました。
岩国駅前の繁華街と、今では観光地としてすっかり有名な錦帯橋と城山のある地点の中ほどに私の実家は位置しております。
空襲警報が鳴ったのを聞いて、父は城山のほうを見上げたそうです。と、米軍の戦闘機の編隊が見えたかと思うと、機体から豆粒のような爆弾が駅前の方角に向かって落とされ始めたそうです。
戦闘機のスピードに乗って爆弾も駅前に落ちるように計算されていたらしく、爆弾は実家を通過し、ほどなくして駅前のほうから火の手が上がりだした、ということです。
次の日、父は駅前に様子を見に行った、といい、そこで口をつぐんでしまいました。
どんなことになっていたのか、想像はつくものの、やはりちゃんと見てきた人から聞きたいと思い、どんな様子だったのか尋ねましたが、それきり言葉を濁していました。
思い切って、
「死体とか、ころがっとったん?」
と、聞きますと、
「そりゃ、そうじゃ」
と、一言。
広島や長崎のむごい写真が資料館に残っており、
ドキュメンタリー番組などで、目にすることがありますが、
実の父親がそのような光景を目撃した一人だったことを知る、初めての会話でした。
私もその話を続けることはできませんでした。
戦争は、むごいものだという思いを直接に受け止めた、父との会話でした。