誰かから聞いた言葉ですが、今まで自分が受けた恩を、ほかの人に返すこと、特に、親からいただいた恩を子どもに送っていくという意味の恩送り。
年を重ねるにつれてずしりと響いてきます。
私は、親からいただいた恩の大きさほど子どもに送ってやれているだろうか。
若さに任せて突き進むだけの自分本位の人生だったのではないか・・・そんなふうにどうしても思ってしまうときがあります。
生徒のためにと怒ったことも、結局自分の気持ちのはけ口にしていただけなのではないかと思う時も。
そう、自分を振り返りながら、せめて、今、自分は反省していて謙虚になろうとしていることを確認して、それでもこれからだ、と思う自分に希望を持とうとしています。
そんな気持ちにしてくれる、アツい文章に出会いました。
ぜひ、読んでいただきたくて、ご紹介いたします。
「幼児教育に懸ける」
天野優子(一廣学園 風の谷幼稚園園長)
『致知』2005年11月号「致知随想」
………………………………………………………………………………………………
いま、入園児募集の際に受ける質問の多くは、
次のようなものです。
「スクールバスはありますか」
「給食はありますか」
「預かり保育はありますか」
問われているのは教育の中身ではありません。
子育てを人まかせにし、自分たちの負担を
少しでも減らしたいという感じのものが多いのです。
これは親による無意識の「子捨て」ではないでしょうか。
いまから八年前、五十歳を過ぎていた主婦の私が、
三億円の借金をして立ち上げた風の谷幼稚園。
十四年間の幼稚園勤務の経験以外に、土地も資金もない状態。
地主さんに土下座をしたり、役所では
たらい回しの目にも遭いましたが、
そんなことは問題ではありませんでした。
設立の動機は、人が人として育っていきようがない、
そんな幼児教育の現状に、強い危機感を覚えたからです。
子どもたちに「誇りをもって生きていってほしい」と
いうのは私たちの願いです。
しかしいま、大人も含め、多くの人々が強い不安感や
自己否定感を抱えて過ごしています。
私はその主な要因は、自分というものを
きちんと確立できていないという
自信のなさにあると考えています。
幼稚園を始めた頃のこと。
年長児に、小さい子の面倒を見てほしいと頼んだら、
「なんで俺たちがしなきゃいけないの?
こっちだってしたいことがあるのに」
といわれ、強いショックを受けました。
ところがその彼らに、嫌々ながらであれ
面倒を見てもらった子たちが年長になった時のことです。
幼稚園から一キロ余りある尾根道を伝っていくと、
広い芋畑に着きます。
子どもたちはその芋を掘りたいだけ掘ってよいのですが、
全部自分で持ち帰ることが約束事。
年長児は皆、体重の半分もある芋を背負っているにもかかわらず、
年少児の手をちゃんと引いて帰ってくるではないですか。
理由を聞いてみると、
「これまで自分たちがしてもらったから」。
これは私にとって、目から鱗が落ちる体験でした。
つまり、人は自分がしてもらったことを決して忘れず、
その受けた行為を必ず誰かに返していくものなのです。
大切なのは、それを言葉ではなく、
具体的な行為を通して体験させていくということです。
私は、人は白紙の状態で生まれてくるものだと考えています。
子どもたちはその状態に、周りから
さまざまなものを吸い取って色をつけていきます。
赤ちゃんの時から始まる、
快、不快を中心とした「感覚」。
その感覚が点で集まっていき、感性が形成されていく。
次にその感性が、価値観へとつながり、
やがては人生観をつくっていく。
だからこそ、その基となる「感覚」の部分に、
どんなよい情報や体験をインプットさせるのか、
それを丹念にやろうと考えているのです。
それではもう一つ、木工作を例に挙げてみましょう。
子どもたちには三歳の時から金づちと釘を使わせ、
車などの遊び道具を作らせます。
当然初めはうまくいきません。
釘が曲がってしまったり、板からはみ出てしまったり。
そんな時は「釘を抜けば、また打てるんだよ」と声をかける。
それで穴ぼこだらけになったなら、板をひっくり返せばいい。
おかげで、風の谷幼稚園の子どもたちの中には
「失敗」という言葉がありません。
そうやってうまくいかなかった時に、
まだ可能性があるはずだ、何かいい方法があるはずだと
発想できる力を身につけることが、
生きる上で大切になってくるのです。
だから縄跳びでも、体の未発達な四歳の時期に
あえて「できない」という事実にぶつけさせ、
課題をクリアするための方法を分析させます。
以前、子どもたちにカルタ作りをさせたところ、
こんな読み札を作った子がいました。
「やればできると思えばできる」
皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、
私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。
それさえ分かっていればどこへ行っても大丈夫。
幼児期とはそうした経験の積み重ねの中から、
揺るがない自己をつくっていく期間でもあるのです。
しかしながら現在、幼児教育を取り巻く状況は惨憺たるもので、
私のやっていることなど焼け石に水にもならないと、
悲観的になってしまうことがあります。
冒頭にも触れた、上の世代から伝わってくるもののなさ。
人間は、人間が愛情を持って育てない限り、
ちゃんとした人間にはなれないものなのです。
それでも自分にできる精一杯のことはやる。
幼稚園を立ち上げる時、三億円のお金を借りるため、
夫の実家も何も全部担保に入れ、
以来十年近く無給で働いています。
人を信頼することが難しい世の中において、
そうした私の行為は多くの人に
「本気」として映るようです。
だから、なまじ給料なんて
もらわなくてよかったと思っています。
開園当初は、絆創膏を買うお金もなかったこの幼稚園に、
いま年間四百万円近くの寄付金が集まります。
来年、その集まったお金で、
幼稚園のそばに五百坪の土地を買い、
自然の広場を作る予定です。
私たちの理念に共感してくださり、
現在では入園のために
他府県から家族ごと引っ越してこられるケースも
珍しくありません。
光が一杯に溢れ、風が流れる幼稚園。
この場所が子どもたちの
よきふるさとになってくれることを願っています。
年を重ねるにつれてずしりと響いてきます。
私は、親からいただいた恩の大きさほど子どもに送ってやれているだろうか。
若さに任せて突き進むだけの自分本位の人生だったのではないか・・・そんなふうにどうしても思ってしまうときがあります。
生徒のためにと怒ったことも、結局自分の気持ちのはけ口にしていただけなのではないかと思う時も。
そう、自分を振り返りながら、せめて、今、自分は反省していて謙虚になろうとしていることを確認して、それでもこれからだ、と思う自分に希望を持とうとしています。
そんな気持ちにしてくれる、アツい文章に出会いました。
ぜひ、読んでいただきたくて、ご紹介いたします。
「幼児教育に懸ける」
天野優子(一廣学園 風の谷幼稚園園長)
『致知』2005年11月号「致知随想」
………………………………………………………………………………………………
いま、入園児募集の際に受ける質問の多くは、
次のようなものです。
「スクールバスはありますか」
「給食はありますか」
「預かり保育はありますか」
問われているのは教育の中身ではありません。
子育てを人まかせにし、自分たちの負担を
少しでも減らしたいという感じのものが多いのです。
これは親による無意識の「子捨て」ではないでしょうか。
いまから八年前、五十歳を過ぎていた主婦の私が、
三億円の借金をして立ち上げた風の谷幼稚園。
十四年間の幼稚園勤務の経験以外に、土地も資金もない状態。
地主さんに土下座をしたり、役所では
たらい回しの目にも遭いましたが、
そんなことは問題ではありませんでした。
設立の動機は、人が人として育っていきようがない、
そんな幼児教育の現状に、強い危機感を覚えたからです。
子どもたちに「誇りをもって生きていってほしい」と
いうのは私たちの願いです。
しかしいま、大人も含め、多くの人々が強い不安感や
自己否定感を抱えて過ごしています。
私はその主な要因は、自分というものを
きちんと確立できていないという
自信のなさにあると考えています。
幼稚園を始めた頃のこと。
年長児に、小さい子の面倒を見てほしいと頼んだら、
「なんで俺たちがしなきゃいけないの?
こっちだってしたいことがあるのに」
といわれ、強いショックを受けました。
ところがその彼らに、嫌々ながらであれ
面倒を見てもらった子たちが年長になった時のことです。
幼稚園から一キロ余りある尾根道を伝っていくと、
広い芋畑に着きます。
子どもたちはその芋を掘りたいだけ掘ってよいのですが、
全部自分で持ち帰ることが約束事。
年長児は皆、体重の半分もある芋を背負っているにもかかわらず、
年少児の手をちゃんと引いて帰ってくるではないですか。
理由を聞いてみると、
「これまで自分たちがしてもらったから」。
これは私にとって、目から鱗が落ちる体験でした。
つまり、人は自分がしてもらったことを決して忘れず、
その受けた行為を必ず誰かに返していくものなのです。
大切なのは、それを言葉ではなく、
具体的な行為を通して体験させていくということです。
私は、人は白紙の状態で生まれてくるものだと考えています。
子どもたちはその状態に、周りから
さまざまなものを吸い取って色をつけていきます。
赤ちゃんの時から始まる、
快、不快を中心とした「感覚」。
その感覚が点で集まっていき、感性が形成されていく。
次にその感性が、価値観へとつながり、
やがては人生観をつくっていく。
だからこそ、その基となる「感覚」の部分に、
どんなよい情報や体験をインプットさせるのか、
それを丹念にやろうと考えているのです。
それではもう一つ、木工作を例に挙げてみましょう。
子どもたちには三歳の時から金づちと釘を使わせ、
車などの遊び道具を作らせます。
当然初めはうまくいきません。
釘が曲がってしまったり、板からはみ出てしまったり。
そんな時は「釘を抜けば、また打てるんだよ」と声をかける。
それで穴ぼこだらけになったなら、板をひっくり返せばいい。
おかげで、風の谷幼稚園の子どもたちの中には
「失敗」という言葉がありません。
そうやってうまくいかなかった時に、
まだ可能性があるはずだ、何かいい方法があるはずだと
発想できる力を身につけることが、
生きる上で大切になってくるのです。
だから縄跳びでも、体の未発達な四歳の時期に
あえて「できない」という事実にぶつけさせ、
課題をクリアするための方法を分析させます。
以前、子どもたちにカルタ作りをさせたところ、
こんな読み札を作った子がいました。
「やればできると思えばできる」
皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、
私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。
それさえ分かっていればどこへ行っても大丈夫。
幼児期とはそうした経験の積み重ねの中から、
揺るがない自己をつくっていく期間でもあるのです。
しかしながら現在、幼児教育を取り巻く状況は惨憺たるもので、
私のやっていることなど焼け石に水にもならないと、
悲観的になってしまうことがあります。
冒頭にも触れた、上の世代から伝わってくるもののなさ。
人間は、人間が愛情を持って育てない限り、
ちゃんとした人間にはなれないものなのです。
それでも自分にできる精一杯のことはやる。
幼稚園を立ち上げる時、三億円のお金を借りるため、
夫の実家も何も全部担保に入れ、
以来十年近く無給で働いています。
人を信頼することが難しい世の中において、
そうした私の行為は多くの人に
「本気」として映るようです。
だから、なまじ給料なんて
もらわなくてよかったと思っています。
開園当初は、絆創膏を買うお金もなかったこの幼稚園に、
いま年間四百万円近くの寄付金が集まります。
来年、その集まったお金で、
幼稚園のそばに五百坪の土地を買い、
自然の広場を作る予定です。
私たちの理念に共感してくださり、
現在では入園のために
他府県から家族ごと引っ越してこられるケースも
珍しくありません。
光が一杯に溢れ、風が流れる幼稚園。
この場所が子どもたちの
よきふるさとになってくれることを願っています。
自分の反省にもなりますね。
孝行したい時になんとか・・・・。涙
おかげさまで両親とも元気です。
今のうちに何かできればと思っています・・・・。