☆映画の旅の途中☆

色んな映画をどんどん観る旅

『仁光の受難』(2016)@東京フィルメックス

2016年11月28日 | 邦画(1990年以降)
『仁光の受難』(2016)

【作品詳細】
日本 / 2016 / 70分 / 監督:庭月野議啓(NIWATSUKINO Norihiro)

主人公は謹厳実直な修行僧、仁光。仁光の悩みは、若い娘から老女まで、なぜか女たちに異常に好かれることだった。絶え間ない誘惑に気が触れそうになった仁光は、自分を見つめ直す旅に出る。旅の途中で出会った勘蔵という名の浪人とともに寂れた村にたどり着いた仁光は、村長から男の精気を吸い取る「山女」という妖怪の討伐を頼まれる。かくして仁光と勘蔵は山へと向かう……。奇想天外な妖怪譚を巧みな編集を駆使して描いた作品。時折挿入されるアニメーションやVFXも絶大な効果を上げている。様々なジャンルの作品を発表してきた映像作家・庭月野議啓が4年をかけて製作した長編デビュー作。

【感想レビュー】@東京フィルメックス
11/23(水・祝)に『私たち』に続いて観たコンペティション部門の2本目。

これは…!!!!
フィルメックスの上映作品か!?!?!?!?

…と、あの場に居た多くの方が思ったかと思う。。

なんせ、おっぱいがいっぱいですからね

でもこれが面白かったんです

上映後のQ&Aで、監督が『お金(製作費)が無いから時間をかけた』と仰っていたのですが、なんだか胸が熱くなりました。
以前、監督とお仕事された方が質問されていて、製作費はいくらか?という凄ーい生々しい質問に1,000万円と迷いなくお答えになった庭月野監督。
(この美しい苗字は本名だと仰っていました)

映画はというと、修行僧の仁光が、凄まじい煩悩の渦に飲み込まれていく様が強烈でした。

その表現にアニメーションやVFXが時折り挿入されるのも面白かったです

また、ラヴェルのボレロで踊るダンサーの振付けと仁光の煩悩を払う身体の動きがマッチしていって、世界観がぴったりハマった時の昂りといったら…!!
もうブラボーなわけなのでした

フィルメックスの上映作品で、おっぱいがいっぱいなことのじわじわくる面白さは、最近よく云われる反知性主義をここに感じたことです。

つまり、Q&Aで林ディレクターが仰っていましたが、『仁光の受難』は本気の1本だと言うこと。
みなさん、フィルメックスは貧困に喘ぐ人々を捉えた映画のセレクトが多いとお思いかもしれませんが、そんなことはない、と。多少言い回しが違うと思いますが、そのような事を仰り、また会場から笑いが起きました。
みんな、少なからずそう感じていたという証拠ですよね、ふむ。

貧困に喘ぐ人々、同性愛、宗教、少数民族、など多くのマイノリティーの視点に立った映画に対して、おっぱいがいっぱいで照れ隠ししつつ、この本気の映画を撮るには、相当な知性の蓄積を要するという、この逆説的な面白さも加わり、なんだか痛快でさえありました

監督は、多くの構図を、もう最初から決めていたとのこと。
Q&Aは、上映前の舞台挨拶とは打って変わって温かく面白い空気感だったと思います

人間の煩悩との闘い、面白かったです

配給がつきますように…。




『この世界の片隅に』(2016)

2016年11月16日 | 邦画(1990年以降)
『この世界の片隅に』(2016)

監督:片渕須直/原作:こうの史代
2016年/日本/配給:東京テアトル

【作品概要】
本作は、昭和19~20年の広島・呉を舞台に、戦時中、毎日眺めていたものがいつしか変わり果て、身近なものが失われてもなお生きていく、主人公・すずの日々を描くアニメーション。原作は、第13回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した、こうの史代の同名漫画。心に染みるこの原作を、映画『マイマイ新子と千年の魔法』(第14回文化庁メディア芸術祭 優秀賞受賞)の 監督・片渕須直がアニメ映画化に挑んでいる。
(ユーロスペースHPより抜粋)

©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
【感想レビュー】@theater
優しいタッチの絵柄と押し迫る厳しい現実のギャップが苦しくて、気付いたらハラハラと涙が…。

けっこう周りでも静かに涙している方がおられたなぁ。

のんさんの声が主人公:すずのキャラクターに合っていて心地良く響きました。
すずは、おっとりしていて、天然で、周りにツッコまれっぱなし。そういう描写は、確かに現代的なのだけど、そういうキャラクターの主人公が、変化してしまう瞬間がある。すずは、現代に生きる私達と当時を繋ぐ役割りを担ったキャラクターでした。

戦争が始まって時が経っても、強く明るく過ごしていたすず。そんなすずが変わってしまう、それほどの大きな衝撃。。

呉の港に並ぶ軍艦の群れ。軍港の景色。優しいタッチながら物々しい。。

アニメならではの空襲の空の描写。

すずの幼い頃のファンタジーな思い出。



笑えたり泣けたり。

あっという間に観終わりました。

『火垂るの墓』と同様に戦争アニメの定番になっていく予感がします。


映画の隅々にぬくもりを感じました





『ダゲレオタイプの女』(2016)

2016年10月16日 | 邦画(1990年以降)
『ダゲレオタイプの女』(2016)

監督、脚本:黒沢清
キャスト:タハール・ラヒム(ジャン)、コンスタンス・ルソー(マリー)、オリビエ・グルメ(ステファン)、マチュー・アマルリック(ヴァンサン)、マリック・ジディ(トマ)、バレリ・シビラ(ドゥーニーズ)、ジャック・コラール(ルイ)

【作品概要】
世界最古の写真撮影方法「ダゲレオタイプ」が引き寄せる愛と死を描いたホラーラブストーリー。

【感想レビュー】@theater
ヒューマントラスト有楽町の初日舞台挨拶付き上映に行って参りました

黒沢清監督のお話しを生で聞いてみたいのと、西島秀俊さんがゲストということもあって、このお二人ならではのお話しも楽しみにしていました。
トークのお話しはおいおいに…。

映画はというと、とにかく、とにかく映る背景のすべてが美しく、131分のどこを切り取っても画になるのだろうなぁと思いました。

はて、この感じ今年どこかで…と思い出したのが『ホース・マネー』。
大胆に暗い照明使いや照明自体がそのシーンを大きく作用する要素を担う、そういった点が『ダゲレオタイプの女』と通ずるものがあるなぁと感じました。
ほの暗い室内をサーッと曲線を描くように射す照明は、ボヤけた室内の在りようを照らします。するとその瞬間、妙に生々しくその空間がリアリティを持ち始めて、グっと惹き込まれました。

そういったことはこれまでの作品、また『クリーピー』の照明使いも記憶に新しいですが、今回やはり違うのは、室内のインテリアもお屋敷も街も俳優陣も、映る世界がフランスなので、本当に不思議な感覚でした👀!!

美しいコンスタンス・ルソー
青いドレスに白く細い首が良く映えて…
あの青いドレスが、ゴシック調の美術や照明と、もうこの上なく絶妙だったのですが、女性の幽霊が迫ってくるといえば『叫』の赤いワンピースが真っ先に浮かびますけど、今回は青いドレス👗。“青”、に意味があるのかないのか、気になります


白々しい蛍光灯、無機質なコンクリートの建物のヒビ割れ、半透明のカーテンなどの遮蔽物…などなど、黒沢清作品といえば!なアイテムは今回は控えめ。あ、でも温室や屋敷の玄関などは半透明といえば半透明だったかな…それに当たるのかしらん
細部をもう一度観たいです
そんな中で、柵越しのアングルなどは健在で、印象的でした


階段が印象的に使われていて、映画としてギアが入る瞬間でもあって、すごくテンションが、上がりました
これは、小津安二郎監督の『風の中の牝雞』(1948)をヒントにされたのかなぁと思いました。『黒沢清、21世紀の映画を語る』の著書の中で『風の中の牝雞』のことをお話しされていたこともありますし。ふむ。

現実と異界の境目が朧げだったり狭間を往き来する。そんな不確かで浮遊する時間や空間を体感できる素晴らしさ

それで、黒沢監督といえばスクリーンショットで撮る車中シーンとその車窓の異界ぶりというのが、今作では普通の景色に観えたわけで👀(‼︎)逆に驚いたのですが。。はれ!?と思い至った考えは、現実と異界の境界線が、もう既に曖昧だったから、あえてそのままの景色にされたのかしら…というもの。
ドレスの色とともに、どこかの媒体で明らかにならないかしら、もうなっているのかしら、と悶々としております。
観る前はインタビュー記事など、情報を遮断していたのでチェックはこれからです

それにしても。

やはり、撮影地が違うと色んな変化があったり、でももちろん黒沢監督作品の香りもしたりで、楽しかったです

男女のベッドシーンとか、黒沢監督は気恥ずかしくなっちゃうからと避けがちなはずが、今回は俳優陣の提案で取り入れることになったらしいし👀
チュッチュチュッチュ💋 キスもかなりしていますし。でもやっぱりそれがフランスなら普通だろうと観ているこっちも思うし、やはり文化や習慣で変わるよなぁと思いました。


照明、美術、俳優陣とも、現実と異界の狭間を自由に往き来きして、誘われるようにスクリーンに惹き込まれました。


【初日舞台挨拶の覚書き】
監督だけ日本人だったけど、優秀な通訳のおかげできちんと伝わったこと。
日本の撮影だと曖昧な表現をしがちで、フランスでもまぁそんな風に話したものの、通訳の方が端的に伝えてしまうので、逆にスタッフ陣はテキパキ動いてくれていたという…
日本での撮影では…の監督のお話しの時に、西島さんが笑いながら『飲んでもいいし飲まなくてもいい、みたいな』のような感じで仰っていて監督と俳優の枠を超えたお二人の間柄が感じられてほのぼのしました


また思い出したら書きたいと思います



『降霊』(1999)

2016年09月11日 | 邦画(1990年以降)
『降霊』(1999)

監督:黒沢清
出演:役所広司, 風吹ジュン, 草ナギ剛, 哀川翔, 石田ひかり

【作品概要】
関西テレビの田中猛彦プロデューサーに、マーク・マクシェーンの『雨の午後の降霊術』を提示され、そのテレビ用のリメイクということで製作された。
失踪した少女の捜索を依頼された女性霊媒師とその夫が見舞われた悲劇。録音技師である克彦の妻・純子。彼女には、霊を見たり、自身に憑依させることが出来る能力が備っていた。そんな純子に、警察が行方不明の少女の捜索を依頼するが…。

【感想レビュー】
なんだか嫌〜な感じ…というのが全体を支配していて観終わった後もなんだか嫌〜な感じが続きます。黒沢作品、いつもこんな感じの気が…


黒沢清監督の過去作を観る旅をしているので、後の作品のピースというかパートというもの…を、過去の作品に見つけることが多くて、そういうのも込みで楽しかったです

でも怖いけど…。

役所広司さんと風吹ジュンさんといえば、同年公開の『カリスマ』ですが、『降霊』では夫婦役。2人家族で大きい一軒家に住んでるんです。妻の心の奥底の摩耗が表出してくる感じが怖くて、近作『クリーピー』に通ずるモチーフでした。妻の行動原理の理解に苦しむのですが、実は積年の思いがそこにはあった、というところ。
怖い怖い…。

また、『降霊』ですから、タイトル通り、霊も出てくるにはくるけれど、温度を感じさせない人間達の方がよっぽど霊みたいだし、そっちの方が怖いという…。

そんな事も手伝って、画像が粗くて朧げなのさえ怖くなってきました

そういえば

過去作品を観れば観るほど、戸田昌宏さんがいらっしゃることに気付きます。
トーク番組とかの露出はないですし、一体どんな方なのか気になりますけど、そのミステリアスさがまた良いのかもしれません


まだまだ過去作の旅は続く予定です





『ドッペルゲンガー』(2002)

2016年09月08日 | 邦画(1990年以降)
『ドッペルゲンガー』(2002)

監督:黒沢清
脚本:黒沢清/古澤健
出演者:役所広司、永作博美、ユースケ・サンタマリア、ダンカン、戸田昌宏、佐藤仁美、柄本明、鈴木英介

【作品概要】
ある企業の研究員が自分の分身=ドッペルゲンガーを見たことから始まるユーモラスなサスペンス映画。

【感想レビュー】
面白かったです

なんだか『ジキル&ハイド』みたいなゾクゾクする妖しい感じもありつつ…、終盤にかけてどんどん展開していく時の間とかテンポとか、これはコメディーか?!、な調子で、もう!もう!本当にサイコーでしたゲラゲラ笑ってしまいました

一人の人間が持つ多面性をドッペルゲンガーとして実体化しているわけで、ちょっと哲学的思考なのです。
そのあーでもないこーでもないと堂々巡りする思考が、会社の研究室や自宅、倉庫の隅を研究室っぽくした所とか、外と遮断された空間で展開される。
そしてそこから、新潟へと向かう道中の飛躍的な開放感のカタルシスがもう!すごいんです‼

役所広司さんが演じる分身のセクシーさも良かった…!ちょっとああいう強引なキャラクターってたまには良いよなぁと憧れます

それにしても。

人間って愚かで愛おしくて面白い生き物だなぁと黒沢映画を観ていつも思います。
このドッペルゲンガーみたいに、自分の中の二面性を自覚して使い分けてみたりすると、少し楽になるかもしれないなぁ

なんて思ったりしたのでした