『アクト・オブ・キリング』(2012)
監督 :ジョシュア・オッペンハイマー
製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー
【作品概要】
インドネシアで行われた大量虐殺を題材にし、ベルリン国際映画祭観客賞受賞、アカデミー賞にもノミネートされたドキュメンタリー。1960年代にインドネシアで繰り広げられた大量虐殺の加害者たちに、その再現をさせながら彼らの胸中や虐殺の実態に迫る。
1960年代のインドネシアで行われていた大量虐殺。その実行者たちは100万近くもの人々を殺した身でありながら、現在に至るまで国民的英雄としてたたえられていた。そんな彼らに、どのように虐殺を行っていたのかを再演してもらうことに。まるで映画スターにでもなったかのように、カメラの前で殺人の様子を意気揚々と身振り手振りで説明し、再演していく男たち。だが、そうした異様な再演劇が彼らに思いがけない変化をもたらしていく。(Yahoo!映画より)
【感想レビュー】@theater
確かに、前評判通り、新しい映画を観た!という感触を持ちました。
観終わった直後の率直な感想は、哀しい…という感情。
80年代のほんの数年間、インドネシアの中心地ジャカルタで幼少期を過ごした私にとって、特別な映画体験になりました。
所々、単語の響きに聞き覚えがあるので(かと言って話せないのですが)、かえって字幕を追う集中力がそがれ気味になりつつ…必死に観ました。
粋なスーツに身を包むその人は、ピンクのハットを被って、びっくりするほどにこれまた粋にカメラに収っていた…。映画の中で、映画を撮っている様子を映しているわけで…。
映画的に観える時と、生々しく観える時と、その狭間を往き来するのは、何とも奇妙な感覚でした。
ハリウッド映画に憧れ、ハリウッド映画をよく観たという彼らは、かつてのマフィアやアクション映画を愛し、その生き様に惚れ、殺人の仕方まで真似したと言う。
しかし、我々の方がより残酷だったと誇らしそうに語った…。
けれど映画を愛していた彼らが、自分達の栄光を、その偉業を、映画に記録しようとした時、その行為を通して自分達を省みた時…、彼らの中で保っていた何かが崩れていきました…。
その一連の様子は、確かに新しく、映画的な新しいドキュメンタリー作品を観たと、形容したくなるほど。
その意味でも、一見の価値はあると思います。
普段は、映画を自分側に引き寄せて観るという事をあえてしない私が、どうしても今回はそうは出来ませんでした。
原風景がジャカルタです。当時の現地の人達の眼差しも、よく憶えています。治安が悪いので、私は一人で一歩たりとも外に出てはいけませんでした。
隣には華僑の方が住んでいた事は、後に聞かされて知った事です。
その人は、この事実とどう向き合っていたのだろう…。
日本に帰ってきて、しばらくした頃に、何の脈絡も無く、突如“バウ=臭い”だよね?っと言った私に、母はとっても驚いていました。
それだけ鮮明に覚えていた生ゴミの側を通る時の単語。
映画の中で、粋なスーツに身を包む彼が言った言葉も、“バウ”。
ここで、たくさんの共産党関係者の人達を殺した。ひどい血の匂いだった…。
字幕と口調に妙に温度差を感じて、後で母に聞きました。すると、他の事も分かりました。
『ひどい死体の臭いと血の臭いだった、と彼は言っていた。彼が使っていた“MATI(マティ)”は、動物の死に対して使う言葉。人間の死に対して使う言葉は“TINGGL(ムンガル)”。だから“MATI(マティ)”は、人間に対して絶対使ってはいけない言葉』だそうだ。
今も悪夢を見て起きるという彼だが、罪悪感とも罪の意識ともまた違う次元にいるようだった。
彼らと一般の人との間に温度差があるのが伝わってきて、なんだかとっても裸の王様な感じが否めない。
自らの偉業をPRするはずの映画は、自らの裸の王様ぶりを露呈する映画となった…。なんて皮肉なドキュメンタリー映画‼一見の価値があります!
監督 :ジョシュア・オッペンハイマー
製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー
【作品概要】
インドネシアで行われた大量虐殺を題材にし、ベルリン国際映画祭観客賞受賞、アカデミー賞にもノミネートされたドキュメンタリー。1960年代にインドネシアで繰り広げられた大量虐殺の加害者たちに、その再現をさせながら彼らの胸中や虐殺の実態に迫る。
1960年代のインドネシアで行われていた大量虐殺。その実行者たちは100万近くもの人々を殺した身でありながら、現在に至るまで国民的英雄としてたたえられていた。そんな彼らに、どのように虐殺を行っていたのかを再演してもらうことに。まるで映画スターにでもなったかのように、カメラの前で殺人の様子を意気揚々と身振り手振りで説明し、再演していく男たち。だが、そうした異様な再演劇が彼らに思いがけない変化をもたらしていく。(Yahoo!映画より)
【感想レビュー】@theater
確かに、前評判通り、新しい映画を観た!という感触を持ちました。
観終わった直後の率直な感想は、哀しい…という感情。
80年代のほんの数年間、インドネシアの中心地ジャカルタで幼少期を過ごした私にとって、特別な映画体験になりました。
所々、単語の響きに聞き覚えがあるので(かと言って話せないのですが)、かえって字幕を追う集中力がそがれ気味になりつつ…必死に観ました。
粋なスーツに身を包むその人は、ピンクのハットを被って、びっくりするほどにこれまた粋にカメラに収っていた…。映画の中で、映画を撮っている様子を映しているわけで…。
映画的に観える時と、生々しく観える時と、その狭間を往き来するのは、何とも奇妙な感覚でした。
ハリウッド映画に憧れ、ハリウッド映画をよく観たという彼らは、かつてのマフィアやアクション映画を愛し、その生き様に惚れ、殺人の仕方まで真似したと言う。
しかし、我々の方がより残酷だったと誇らしそうに語った…。
けれど映画を愛していた彼らが、自分達の栄光を、その偉業を、映画に記録しようとした時、その行為を通して自分達を省みた時…、彼らの中で保っていた何かが崩れていきました…。
その一連の様子は、確かに新しく、映画的な新しいドキュメンタリー作品を観たと、形容したくなるほど。
その意味でも、一見の価値はあると思います。
普段は、映画を自分側に引き寄せて観るという事をあえてしない私が、どうしても今回はそうは出来ませんでした。
原風景がジャカルタです。当時の現地の人達の眼差しも、よく憶えています。治安が悪いので、私は一人で一歩たりとも外に出てはいけませんでした。
隣には華僑の方が住んでいた事は、後に聞かされて知った事です。
その人は、この事実とどう向き合っていたのだろう…。
日本に帰ってきて、しばらくした頃に、何の脈絡も無く、突如“バウ=臭い”だよね?っと言った私に、母はとっても驚いていました。
それだけ鮮明に覚えていた生ゴミの側を通る時の単語。
映画の中で、粋なスーツに身を包む彼が言った言葉も、“バウ”。
ここで、たくさんの共産党関係者の人達を殺した。ひどい血の匂いだった…。
字幕と口調に妙に温度差を感じて、後で母に聞きました。すると、他の事も分かりました。
『ひどい死体の臭いと血の臭いだった、と彼は言っていた。彼が使っていた“MATI(マティ)”は、動物の死に対して使う言葉。人間の死に対して使う言葉は“TINGGL(ムンガル)”。だから“MATI(マティ)”は、人間に対して絶対使ってはいけない言葉』だそうだ。
今も悪夢を見て起きるという彼だが、罪悪感とも罪の意識ともまた違う次元にいるようだった。
彼らと一般の人との間に温度差があるのが伝わってきて、なんだかとっても裸の王様な感じが否めない。
自らの偉業をPRするはずの映画は、自らの裸の王様ぶりを露呈する映画となった…。なんて皮肉なドキュメンタリー映画‼一見の価値があります!