☆映画の旅の途中☆

色んな映画をどんどん観る旅

『降霊』(1999)

2016年09月11日 | 邦画(1990年以降)
『降霊』(1999)

監督:黒沢清
出演:役所広司, 風吹ジュン, 草ナギ剛, 哀川翔, 石田ひかり

【作品概要】
関西テレビの田中猛彦プロデューサーに、マーク・マクシェーンの『雨の午後の降霊術』を提示され、そのテレビ用のリメイクということで製作された。
失踪した少女の捜索を依頼された女性霊媒師とその夫が見舞われた悲劇。録音技師である克彦の妻・純子。彼女には、霊を見たり、自身に憑依させることが出来る能力が備っていた。そんな純子に、警察が行方不明の少女の捜索を依頼するが…。

【感想レビュー】
なんだか嫌〜な感じ…というのが全体を支配していて観終わった後もなんだか嫌〜な感じが続きます。黒沢作品、いつもこんな感じの気が…


黒沢清監督の過去作を観る旅をしているので、後の作品のピースというかパートというもの…を、過去の作品に見つけることが多くて、そういうのも込みで楽しかったです

でも怖いけど…。

役所広司さんと風吹ジュンさんといえば、同年公開の『カリスマ』ですが、『降霊』では夫婦役。2人家族で大きい一軒家に住んでるんです。妻の心の奥底の摩耗が表出してくる感じが怖くて、近作『クリーピー』に通ずるモチーフでした。妻の行動原理の理解に苦しむのですが、実は積年の思いがそこにはあった、というところ。
怖い怖い…。

また、『降霊』ですから、タイトル通り、霊も出てくるにはくるけれど、温度を感じさせない人間達の方がよっぽど霊みたいだし、そっちの方が怖いという…。

そんな事も手伝って、画像が粗くて朧げなのさえ怖くなってきました

そういえば

過去作品を観れば観るほど、戸田昌宏さんがいらっしゃることに気付きます。
トーク番組とかの露出はないですし、一体どんな方なのか気になりますけど、そのミステリアスさがまた良いのかもしれません


まだまだ過去作の旅は続く予定です





『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)

2016年09月08日 | 邦画(クラシック)
『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)

監督:岡本喜八(本篇)、中野昭慶(特撮)
脚本:新藤兼人
音楽:佐藤勝
出演者:小林桂樹、丹波哲郎、仲代達矢、酒井和歌子、大空真弓、加山雄三、池部良

【作品概要】
太平洋戦争末期、沖縄。日本軍は本土防衛の第一線として沖縄に大兵力を投下する。しかし、米艦隊との航空決戦を目論む大本営と洞窟陣地による決戦を主張する沖縄三十二軍は対立。やがて沖縄大空襲の日を迎える(Amazonより)。

【感想レビュー】
記録映画ばりに、どんどんどんどん進みます。台詞が早口なことも多くて、展開がスピーディーです。
この映画が、1971年公開ということは、ぎりぎり沖縄返還以前ですから、その意味においても、公開当時に観た人達にとっては相当にショッキングな内容だったのではないかなと思いました。

戦争なので、大本営にしろ陣地にしろ、軍の戦略というのはある。あるのは分かる。そしてその狭間で忸怩たる思いをする人達がいるのも分かる。

けれども。

代償を払うのはいつだって、何も知らないそこに暮らす人々。駆り出されて上から言われるままに戦わねばならなかった人々。

群像劇で、多くのセクションが出てくるので、平等に描くのは至難の技だと思うのですが、素晴らしかったです。


老婆が踊り狂うシーンは、軽々に言葉にできない、あるいはしたくないほどで、身じろぎできないほど圧巻でした。あれ以上続いたら、どうかなりそうでした。スクリーンで観ることを想像すると…。

かと思うと、ブラックな笑いもちょこちょこ差し込まれていて、シニカルでした。でもそうでなければ観ていられなさそうです。救いなんて微塵もないのだから。。


そして岡本喜八版『日本の一番ながい日』のように停滞する時を過ごす沖縄三十二軍のトップ。
いよいよ差し迫り、最期の自決の時。この描写がまた凄い。責任をとって潔く行く、という英雄的なことには全然させてくれないわけです。対象的に描かれる住人や兵士達の最期。

そこに強烈な反戦のメッセージを感じました。


また、丹波哲郎さんと仲代達矢さんのシーンで、戦争が始まる前のサイゴンのホテルマジェステイックの横の映画館で観た映画の話しが印象的です。
『あれは美しい映画だった』と丹波哲郎さんが仲代達矢さんに言うのです。

文化や芸術とは、時間も空間も遠く遠く離れてしまった最前線の地。気付いたら取り返しのつかないところまで来てしまったという思い。

それは、この戦争以前に豊かな文化は確かにあった。けれどそれは破壊されてしまったのだという、現代にも通ずる視点で、とたんに戦争が身近に迫ってくる瞬間でした。

登場シーンは少なくても存在感のある役者陣やその描写も素晴らしい映画でした。


折に触れて観たいと思います。





『ドッペルゲンガー』(2002)

2016年09月08日 | 邦画(1990年以降)
『ドッペルゲンガー』(2002)

監督:黒沢清
脚本:黒沢清/古澤健
出演者:役所広司、永作博美、ユースケ・サンタマリア、ダンカン、戸田昌宏、佐藤仁美、柄本明、鈴木英介

【作品概要】
ある企業の研究員が自分の分身=ドッペルゲンガーを見たことから始まるユーモラスなサスペンス映画。

【感想レビュー】
面白かったです

なんだか『ジキル&ハイド』みたいなゾクゾクする妖しい感じもありつつ…、終盤にかけてどんどん展開していく時の間とかテンポとか、これはコメディーか?!、な調子で、もう!もう!本当にサイコーでしたゲラゲラ笑ってしまいました

一人の人間が持つ多面性をドッペルゲンガーとして実体化しているわけで、ちょっと哲学的思考なのです。
そのあーでもないこーでもないと堂々巡りする思考が、会社の研究室や自宅、倉庫の隅を研究室っぽくした所とか、外と遮断された空間で展開される。
そしてそこから、新潟へと向かう道中の飛躍的な開放感のカタルシスがもう!すごいんです‼

役所広司さんが演じる分身のセクシーさも良かった…!ちょっとああいう強引なキャラクターってたまには良いよなぁと憧れます

それにしても。

人間って愚かで愛おしくて面白い生き物だなぁと黒沢映画を観ていつも思います。
このドッペルゲンガーみたいに、自分の中の二面性を自覚して使い分けてみたりすると、少し楽になるかもしれないなぁ

なんて思ったりしたのでした






『アカルイミライ』(2003)

2016年09月08日 | 邦画(1990年以降)
『アカルイミライ』(2003)

監督/脚本:黒沢清
出演者:オダギリジョー、浅野忠信、藤竜也

【作品概要】
世代間による対立や現代社会に対する価値観の相違などを巧みにとらえた作品。おしぼり工場で働く雄二(オダギリジョー)と守(浅野忠信)。ある日守は社長夫婦を殺害し、やがて刑務所内で自殺。一方雄二は、音信不通だったという守の父・真一郎(藤竜也)と一緒に暮らすようになり、いつしか不思議な関係が築かれていく。 (Amazonより抜粋)

【感想レビュー】
久しぶりに黒沢清監督作品を観る旅の続き

オダジョーさんお若い…!
浅野忠信さん不敵過ぎる…!
お二人ともなんて綺麗な若者なんだ…。
しかしその遥か上をゆく格好良さの藤竜也さん

ストーリーの他に、まずは眼福要素が詰まった映画なのでした

よく何とか世代って括りますけど、あれは自分が括られるとなんだか抵抗したくなるけど、他の世代を見渡すとやっぱりなんとなしにある気がしてきます。不思議ですけれども。

各々の世代が持つ空気が家や衣装などに体現されていて面白かったです。

オダジョーさんの衣装とか、サイケデリックでボロボロで退廃的で、もはやアートです。でも、このあえてのボロボロ衣装が似合い過ぎて普通に着こなしてしまっているオダジョーさん
映画的に良いのかどうなのかは…分かりません

各家のインテリアの細部にまで、登場人物達のキャラクターが表出されている感じとかも、楽しく観ました

それだけに、水槽をたゆたう一匹のクラゲが効いてきます。


観終わった後にじわじわくる映画でした。
ある現実が在って、みんななんとなく漂いながら生きている。
流されたり、流れたり、留まったり、
もう漂ようことを止めたり。

結局、何があっても時間はいつでも平等に経っていくこと、そんな中を押し流されるように漂よいながら生きていること、生きていくこと。
そんな、実態があるようでないその時代の空気みたいなものを映画にしちゃう黒沢監督は…改めてなんだか恐ろしい人だなぁと思いました


刑務所の面会部屋へ降りていく無機質な階段とかゾクゾクしました。
登場人物達のキャラクターが反映されているリアリティーのある家と真逆をいくファンタジーさ

過去作の旅はまだまだ続きます